香港の学習者 忘れられない思い出
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明慧日本2021年5月8日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は香港の大法弟子で、1995年に修煉を始めました。当時、私は北京で仕事をしていて、同僚に法輪功学習者がいて、私を師父の講法ビデオを見に連れて行きました。ビデオの第1講を見てから、私はその場で法輪功を修煉したいと決心しました。

 師父と一緒に居られた貴重な時間

 師父は1995年、1996年、1997年に何度も香港に来て説法をされました。第1回目は1995年5月13日に、大嶼山で説法をされました。1996年に師父は香港に2回来られ、1回目は小範囲の説法を行われ、参加者は20人しかいませんでした。2回目は7月15日、ある学校の講堂で70人ぐらい参加しており、私は幸運にもその日の説法を聞くことができました。

 その日、私は通路に近い所に座っていました。師父がそばを通られた時、私は立ち上がって両手を合掌し、「師父、こんにちは」と言って、師父は「良し、良し、良し」と返事をして下さり、私はたいへん嬉しかったです。

 説法が終わると、皆は師父と記念写真を撮ろことになり、私は師父のそばに立ちました。師父はとても背が高くて、私の身長はかろうじて師父の肩に届くぐらいです。「顔が他の人に遮られていないか、こちらに少し寄ってください」と師父は気にされて私に話して下さいました。私は師父の方に少し近づきました。

 写真:1995年7月15日、香港法輪功学習者70人余りが師父と撮った記念写真

 師父は来場の全員に握手をされました。師父が帰られる時、私は幸運にも師父と一緒のエレベーターを乗ることができ、エレベーターの中で師父ともう一度握手しました。

 修煉してから私は名利などを軽く見るようになりました。法輪功修煉のための本拠地を造りたいと師父が言われたので、私はとてもそこに行きたいと思っていました。説法を終えて師父が汽車に乗って香港を離れられる前に、私は師父に本拠地はいつ、どこに建設されるのかを聞くことができました。師父は「ここ(香港を指す)で造る、ここの環境は複雑なので向上が速い」と答えられました。その回答を頂いてから、もう何も質問することがないと感じました。それ以来、カナダのバンクーバーに行く計画を止めて、ずっと香港に定住して、香港で修煉を続けてきました。

 師父と一緒に居られた時間を思い出すたびに無限に光栄と感じています。

 深センで警察と8時間の対峙

 1999年7月20日以降、中国共産党は法輪功に残酷な迫害をし始めました。当時、仕事の関係で私は頻繁に深センと香港を行き来していました。深センでは、私の住むところは丘の上にあって、私は毎日も丘の上で煉功をしていました。迫害が始まってからもいつも通りに音楽を流して煉功をし、何のトラブルも起きませんでした。

 ある日、深センから香港に戻って、山東省の学習者・趙金華さんの迫害致死事件に関して、電話を通じてある同修からのインタビューを受けました。私は「法輪功学習者はみな善良な人であり、政治にも関与していなくて、我々を対立の立場に追い込ませたのは中国政府です」とコメントして、自分の実名も告げました。

 1週間後に深センに戻ったら、私服警官が私の住むところの近くに出没していることに気づきました。香港でインタビューを受けた時に自分の実名を言ったので、香港にいる中国共産党のスパイに知られて、深セン側の警察は名前を通して私の居場所を突き止めたのだと思います。

 家の小さな庭に車で入って、庭の扉を閉めました。午前10時、管理人を名乗る私服警官が来て、戸籍を確認すると言って、持ってきた私の写真を出して、私の顔と照合しました。私本人であると確認した後、ドアを開けろうと要求しましたが、私は断りました。1時間後に警官4人が来て、私に派出所に同行するよう要求しました。私はドアを開けずに、「私は香港人です。私がどんな法律を犯したのかを言えないなら、ドアを開ける理由がない」と言い、ずっと彼らと対峙しました。

 私が警察のせいで家に閉じ込められている状況を知って会社の同僚は、香港にいる私の秘書に電話しました。迫害が起きてから、私は事前に秘書に「もし深圳から電話がかかってきたら、きっと私にトラブルが起きている。もし私に何かあったら、香港のメディアに連絡してください」と言っておいたことがあるので、秘書は私の状況を香港の多くのメディアに連絡して、私も翌日の香港の新聞の第1面に載りました。翌日、私は無事に香港に戻りました。その後、ずっと香港で同修たちと一緒に「三つのこと」を行っていました。

 事後、ある記者は私に「あなたが公安に言ったことを全部聞くことができた」と言いました(彼がその会話をどう聞いたのかが分からない)。記者は「あなたの言ったことはもっともだ、あなたたち法輪功学習者はとても良い人だ。ドアを開けないのは正しかった。開けたらきっと捕まえられて、財産も没収されます」と言いました。

 新華社の前に座り込み、迫害に抗議

 中国の政府メディアは法輪大法を中傷する文章を発表し、全世界を騙しています。大法が冤罪を受けて、われわれ香港の大法弟子はとても心を痛めています。1999年10月下旬から数カ月続き、われわれは新華社香港支局の向かい側に24時間座り込んで抗議を表しました。当時、私は仕事があるためによく夜に来て、深夜零時から早朝5時まで座って、週末や休みの日なら、昼間も参加していました。

 昼間に私たちは「法輪大法が素晴らしい」と書いた横断幕を持って、新華社の入り口に向かって『轉法輪』を朗読します。記者が取材に来たりします。師父の法身が毎日私たちと一緒におられるのを私は天目で見ました。

 毎日、皆はまず『論語』を3回読み上げます。その時、師父の法身は記者たちに「動くな」と言っているのを天目で見ました。だから記者はいつも3回『論語』を読んだ後に取材に来るのです。同修たちは記者に法輪大法の良さを語り、それぞれの修煉体験を語り、なぜ法輪大法を固く信じているのかを語ります。どの同修の発言も素晴らしいものでした。

 ある日の昼間、われわれ十数人が『轉法輪』を読み続けていたところ、突然、新華社香港支局のガラス製の扉が割れて落ちました。その光景が私の心を深く震撼しました。割れた門は、中国共産党の虚言がいずれこのように破裂すると示しているのではないかと思いました。

 1995年に法を得てから、あっという間に26年近く経ちました。26年間、一世紀の1/4、その間に私と同修たちは多くの雨風を浴びてきたのですが、修煉の意思はますます固くなっています。法を正す時期にいられることは、いかに光栄なことでしょう!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/2/422878.html)
 
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