重慶市の74歳の楊隆美さん 2回不当拘禁で体調が悪化
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 【明慧日本2021年5月15日】(重慶市明慧記者)重慶市綦江区興新工場で勤務後定年退職した法輪功学習者の楊隆美さん(74歳女性)は、2017年3月、カン水鎮にある百貨店で真相を伝えていた時、連行された。その後、非法に3年の懲役を言い渡され、重慶市走馬女子刑務所で拘禁されている。

 楊さんは拘禁期間が終了する前、迫害を受けて記憶力が悪くなり、いつもぼーっとしていて精神状態が悪く体は斜めになり、身体は骨だけが残っている状態で歩く時もゆらゆらしていた。身長は160㎝メートルから150㎝メートルにまでになってしまった。

 釈放された後、拘禁されていた3年間の給料は1元も支給されていなかった。関連部門に反映した後でも毎月、1000元くらいの生活費しかもらえなかった。さらに楊さんは嫌がらせを受けて、監視されている。

 楊さんは法輪功を修煉するというだけで、およそ8年間に渡って中国共産党から残忍な迫害を受けた。

 8年の非法に判決を言い渡された

 2001年12月、楊さんは他の2人の学習者と一緒に、綦江の自宅で警官に連行され、綦江留置場で拘禁された。2002年2月、警官らは自分達は「陪審員」だと言って、楊さんと他の2人の学習者を縛って、他の刑事犯と一緒に街中を引き回した。

 2002年、楊さんは8年の重刑を言い渡され、重慶中川女子刑務所で拘禁され迫害を受けた。楊さんは第8番のエリアに拘禁され、労働を強いられた。高血圧という不健康な状態で、重さ50kgのビーズが入った袋を運ぶことを強制された。

 拘禁された期間中、楊さんの定年の知らせさえも聞いていなかった。釈放された後、年金の後払いなどもなかった。2009年5月5日、8年間にわたって拘禁された楊さんは釈放された。

 2011年1月、楊さんは再び1年の労働教養を言い渡されたが、体調不良の問題で、刑務所外での服役を判決され、綦江洗脳班に連行された。

 2011年8月8日、楊さんは松藻炭鉱書記・範明元、主任・呂黔江に洗脳班まで連行された。洗脳班の主任・漆は、楊さんを労働教養所に送るつもりだと言った。

 2012年7月13日、午前8時、楊さんは自宅で十数人に再び連行された。9月12日夜、渝北望洗脳班から帰宅した。

 再び非法に3年の刑罰を判決された

 2017年3月、楊さんはカン水鎮の百貨店で客に真相を伝える時、真相を知らない店長に通報された。カン水鎮の警官は楊さんを派出所に連行し、持っている資料を押収し、尋問を行った。

 その後、綦江公安局の警官達は、楊さんの自宅に侵入し、法輪功書籍と携帯などを押収し、楊さんを江津留置場までに連行し半月ほど拘禁した。楊さんは酷い迫害を受けたため、血圧が220までに上った。その後警官は彼女を貴州トウシ関愛刑務所病院に運び、6カ月以上経っても警官からの説明や、釈放などもないため、彼女は絶食で抗議した。数日後、警官は彼女を釈放した。

 帰宅して何日か後、以前自宅に侵入して来たカン水鎮の警官が来た。楊さんは私物を返してもらいたかったが、彼女が見たのは国内安全保衛部門(法輪功迫害の実効機関)の李という隊長だった。この隊長は楊さんに嘘を付き、私物を送ってあげると言った。その一日後、夕食が終わって楊さんは家族と一緒に散歩をしている時、警官に連行された。

 綦江公安局で、楊さんは尋問され、その後江津留置場で半月くらい拘禁された。その後3年の実刑判決を宣告され、重慶走馬女子刑務所で拘禁され、第1エリアで、3年間の迫害を受けた。

 この3年間、楊さんは法輪功の修煉を諦めないというだけで、毎日酷い拷問を受けていた。留置場の警官達は直接迫害を加えないが、受刑者に指示して、転化しようとしない学習者をひどい迫害を与える。例えば寒い日にベットの敷物を減らすとか、薄い布団を配布するとか、毎日洗脳教育を受けさせるとか、睡眠を剥奪したり、トイレを禁止したり、また息子との面会を禁止するなど酷い手段を受けた。この期間中、楊さんは迫害を受けて起き上がることができなかった。拘禁期間が終了する前、迫害を受けて記憶力が悪くなり、精神的にぼーっとして、体は斜めになり、歩く時も身体がゆらゆらしていて骨だけが残っている状態で、160㎝メートルあった身長が150㎝メートルにまでになっていた。

 釈放された後、拘禁された3年間の給料は1元も支給されなかった。関連部門に反映した後だも、毎月1000元くらいの生活費しかもらえなかった。 さらに楊さんは嫌がらせを受けて、監視されている。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/6/423030.html)
 
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