ウイルスによる封鎖を突破し 衆生を救う
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年6月4日】師父は「ここまで進んできたら、大法弟子に試練を与える要素も多くはありません。石炭はすでに残りが少なく、多くの純金を精錬することができなくなりました。ですから、火を消す必要があるのではありませんか? そうです。(皆が熱烈に拍手する)その後、何が起こるのですか? 大法弟子が圓滿成就するのではありませんか?(皆が拍手する)一部の大法弟子が師父とともに法がこの世を正す段階に進んでいくとしても、このようになっても、一度、ピリオドを打たなければなりません。法を正す時期の大法弟子という段階は至極重要なのです」[1]、「私たちは今日、最後の一歩まで歩んできたのです。皆さんにはっきりと教えますが、師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです。(皆が熱烈に拍手する)前期と後期を合わせて20年です。結局、旧勢力が手を出していくつかのことを変えてしまったのですが、熔錬炉の石炭が底をつき、火力も弱まり、このことも間もなく終わろうとしています。ですから、皆さんは今まで以上にしっかり取り組むべきです」[1]と説かれました。

 師父の説法を勉強することを通して、法を正す時期が間もなく終わろうとしており、急いで衆生を救わなければという緊迫感があり、私自身もこの形勢についていかなければならないと思いました。2020年の旧正月前、私は大量の卓上カレンダーを配り、また、大量の法輪功に関する資料やシール、小冊子、お守りなどを準備しました。みんなが旧正月に帰省するのに合わせて、衆生に配って見てもらえればと思っていました。

 しかし、まさか中共ウイルス(新型コロナウイルス感染症)が突然発生し、市や村などが直ちに封鎖されるとは予想もしていませんでした。当時、まだ地区が封鎖される前で、私は同修たちと急いで交流し、中国共産党(以下、中共)から妨害されてはならず、いつも通りにやるべきことをしっかりやり続けるべきだと悟りました。しかし、すぐに地区も封鎖され、自由に外出することができなくなり、集団学法に参加することも、同修たちと協力して真相を伝えることもできなくなったのです。

 仕方なく、私は区内の各住宅のドアに迫害の実態を伝えるシールを貼ることにしました。その後、シールを貼っているところを住民に撮影され、ネット上に載せられました。義理の娘がその写真を見せてくれました。息子は「お母さん、くれぐれも気を付けてね」と言いました。その時、私は師父が説かれた「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができる」[2]を思い出しました。私の心は動じませんでした。

 後に、同じ地区に住む娘から、法輪功への迫害の実態を知らない老人が警察に通報したと聞きました。警官が老人に「誰がやったのか知っているのか?」と聞くと、老人は「知らない」と答えたので、警官は「知らなければ通報するな」と言ってそのまま立ち去ったそうです。今回貼られたシールは1カ月以上そのままでした。

 2週間ほど封鎖され、出歩けないので、これを機に家で法を勉強することにしました。しかし、「法だけを勉強して、衆生を救わないのは良くない! 何とかして外に出なければ」と思いました。地区の表門も裏門もすべて封鎖されて通れないので、出口を探そうとフェンスに沿ってぐるぐる回り始めました。すると、ある場所のフェンスが植木に隠れて比較的目立ち難いのを発見しました。そのフェンスは3メールもなかったので、乗り越えられるだろうと思いました。私は62歳ですが、フェンスを上る時、まるで20代の若者のように簡単に乗り越えることができました。これでいつでも外に出て衆生を救うことができます。

 最初は1人で街に出ました。街には誰もいないし、たとえ何人かの人に出会って資料を渡しても、中共ウイルスに感染することを恐れて受け取ってくれませんでした。そこで、夜にシールを貼りながら、各地区に入って資料をポスティングすることにしました。

 資料拠点は別の封鎖地区にあり、毎日池の傍のでこぼこ道を迂回し、フェンスを乗り越えてその地区に入らなければなりません。夜になると、その道は非常に暗くてひっそりとしていています。怖いと思うこともありましたが、師父が見守ってくださっているので、大丈夫だと思い直しました。毎晩、その地区に入って資料を入手した後、またフェンスを乗り越えて外に出て、一軒一軒回って資料をドアにぶら下げていきました。

 2時間歩き続けても疲れを感じず、かえってとても快適でした。このようにして約2週間続けました。1人では限度があり、やはり同修の助けが必要だと思い、同修たちと連絡して手分けして衆生を救いにいきました。やがて、資料拠点のある地区への路地の入り口を塞いでいた障害物が取り除かれ、出入りが自由になりました。

 私は集団学法を復活させなければならないとみんなと交流しました。家族による妨害で出て来たくない同修もいたので、この時期に命を救うことについて自分が悟ったことをみんなと交流しました。その重要性を理解した同修を私は毎晩1人連れ出し、一緒に資料を投函しました。しばらくして、みんなで資料を配りに行くことができるようになりました。

 師父は「精進していない大法弟子、極端に走る大法弟子は直ちに、自分自身を正し、誠心誠意に法を勉強し、修煉してください。なぜならば、このような弟子は最も危険だからです」[3]と説かれました。まだ出て来られない同修がこの機に1歩踏み出せなければ、もう本当にチャンスがないのです。協調人と相談して、まだ出て来ていない同修を助け、一刻も早く集団学法や真相伝えを復活させなければなりません。それぞれの状況を知った後、よく知っている同修たちと連絡し合って、それぞれ個別に同修と交流し、手助けをすることにしました。

 地区に出入りするには身分証のコードをスキャンするほか、体温もチェックしなければなりません。しかし、私の行方は邪悪に知られないので、妨害されることもなく、監視されることもありません。恐怖心で出て来られない同修もいましたが、その同修にはお守りなど小さなものから配るように助言しました。そして、徐々にみんなが様々な障害を突破するようになり、次第にみんな資料を選ぶことなく、たくさん配るようになりました。

 夫も同修ですが、真相を伝えることに関しては容易に踏み出せず、自分で学法、煉功発正念をしているだけでした。同修たち全員が動き出して資料配りに出かけているのを知って、夫は動揺しましたが、結局、その1歩を踏み出せませんでした。私は師父の『理性』という経文を夫に読み聞かせました。「修煉は大学入試のようなもので、学法、煉功、発正念は全部できたのに、肝心の真相伝えができていないと、結局は合格できないでしょう?」。私の言葉に夫は何の返事もしませんでした。しかし、翌日、夫は「私も衆生を救うために行く」と言ったのです。ようやく向上し、動き出した夫をうれしく思い、すぐさま資料を用意しました。

 姪の義母が亡くなったので、私はこれを機に資料を持って彼女のところに向かいました。以前は大法のことを全く信じなかった人でも、その日はみんな資料を受け取ってくれ、礼まで言ったのです。

 猛威を振るう中共ウイルスに直面し、衆生は本当に救われるのを心待ちにしているのです!

 ある日、煉功して、第二功法・法輪椿法を始めた時、ふと強いエネルギーが私の腕を支えているのを感じました。徐々に入定していき、身体がなくなり、自分が煉功しているという思惟だけがありました。あのような感覚は言葉では言い表せません。これは私の20年余りの修煉の中で現れたことのない素晴らしい感覚でした。

 これは師父からの激励であり、私に更なる精進をするよう励ましてくださっているのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
 [3] 李洪志師父の経文:『理性』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/2/13/419598.html)
 
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