『論語』を学んで発正念の基点を悟る
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年7月2日】今日、発正念の時に「大法を破壊するすべての邪悪を一掃し」[1]を心の中で念じたとき、突然、心の中で振動がありました。「大法」の後ろに「弟子」という二文字がなく、発正念の要点は「大法を破壊するすべての邪悪を一掃し」ということであることに気づきました。

 そして、発正念の要領の内容を読んでみると、自分自身を守るという言葉は一言もありませんでした!

 私は非常に驚きました。長年来、発正念をする時に、基点をずっと自分を守るという考えに置いていることに気づきました。

 それと同時に、私は『論語』の中の「人類は、大法のこの世での現われに対して、然るべき敬虔と尊重を体現することができれば、人々、民族、或いは国家に幸福や栄光をもたらすことでしょう」[2]という言葉を思い出しました。

 そして、最近の明慧ネットのある交流文章を思い出しました。「警官がある大法弟子を罵ったとき、彼は『私への侮辱だ』と言った瞬間、殴られました。一方、別の大法弟子は『大法への侮辱だ』と言いましたが、何の迫害も受けませんでした」

  この文章を書いている時、17年前のある出来事を思い出しました。私の地域のある同修洗脳班に連行されました。その夜、現地のコミュニティ関係者は一刻も早く「三書」を書かせるため、同修の機嫌を取り、「家族に知らせてもいい」と電話を同修に渡しました。そして、同修は修煉していない夫に電話をかけ、家にある大法の本を隠すように伝えました。

 同修が洗脳班から帰宅したとき、同修の夫は大法の本の所在について説明しました。その日、夫は大法の本を見つけたときにとても怖かったので、住宅地の中庭のベンチに置いて、大法の本に向かって「私を責めないで、あなたをここに置いて、縁のある人に拾ってほしいのです」と言ったそうです。

 数年後、この同修は学法グループを変えましたが、意外と夫が捨てた大法の本が同修の家に現れ、グループ内の同修が拾ったことに驚きました。そして、その夫は、大法の本をベンチに置いたとはいえ、危険の中でも大法書籍への畏敬の念を忘れていないことで、商売は成功しました。現在、大法書籍への尊敬の念を抱いたその夫は、数千万もの資産を持つ商人になりました。

 圧力の下で大法の本を手放した常人でさえ、神に責められないように敬虔な気持ちがあるのに対して、法輪功修煉者と自覚している多くの人は、家宅捜索を受けた後に、大切な大法書籍の返還を要求したことはほとんどありません。大法書籍は新しく印刷するだけで済むようなことではありません。大法書籍は大法のこの世での具体的な表現であり、邪悪がそれを自由に奪い、踏みにじることをしてもいいのでしょうか。

 仮に数日間拘束され、解放されて最初にすべきことは、大法書籍を求めることであることは言うまでもなく、たとえ数年間拘禁され、解放されて最初にすべきことも、大法書籍を求めることであり、そういう気持ちが無くてはいけません。多くの同修は大法書籍を何度も奪われ、何度も拘禁され、何度も判決を言い渡されたことがあります。もしかしたら大法の書籍を回収せず、大法の書籍を手放したことが主な原因であるかもしれません。

 あなたは法まで手放してしまったら、大法はどうやってあなたを守るのでしょうか。

 もう一つの例を挙げます。私の地域にはいわゆる重要人物とされる同修がいて、共産党の先進的なコミュニティと先進的な派出所の管轄する地域に住んでおり、コミュニティの責任者も市のトップ10の女性の一人です。この女性責任者はかつて、「私のコミュニティの法輪功(学習者)は一人も北京に陳情に行く勇気がない!」と公言したことがあります。そんな中で、この同修は北京への陳情から帰ってきました。言うまでもなく、この同修は何回も連行されましたが、警官らはドアを壊して家を荒らしたり、判決を下したりするようなことはなく、大法の書籍もずっと安全です。ほかの同修がその理由を聞いた時、その同修は「人がいれば、大法の本がここにありますが、人がいなくても、本はここになくてはいけません。大法弟子は、大法と共に生存しなければなりません」と答えました。 結果的には、同修は大法書籍への敬虔と尊重の念があるからこそ、邪悪はあえて手を下せないのです。

 なぜ発正念の時に「大法を破壊するすべての邪悪を一掃し」[1]というのですか? 大法が破壊されなければ、大法弟子は迫害されなくなり、大法の本が安全である場合のみ、大法弟子も安全になります。大法が敬虔と尊重されれば、大法弟子は尊重されます。

 一部の同修は、大法書籍を取り戻すことについて、再び迫害されるのではないかと心配しています。逆に、大法書籍が邪悪の手元にあり、返してくれないことは、旧勢力の追加迫害の理由となるのです。

 連行、家宅捜索、拘禁を繰り返されてきた同修が、闘争心、歓喜心、嫉妬心などの漏れを探すだけでなく、押収された大法書籍の返還を求めないことも大きな漏れです。特に、年金を停止された同修は、年金を返してもらうだけでなく、もしかしたら、大法の本を返してもらえなかったことが、旧勢力が年金を停止した理由の一つになっているのかもしれません。

 以上は個人的な意見ですので、不適切な点があればお許しください。

 注:
 [1] 明慧編集部:『正念を発する時の要領と全世界同時に正念を発する時間について(更新)』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」ためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/25/427371.html)
 
関連文章