一思一念、どれも重要
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文/中国の大法弟子 超然

 【明慧日本2021年7月7日】数カ月前、同修の陳さんが病気で入院し意識不明の状態に陥ったと同修から聞き、びっくりすると同時に心が痛み、どうして彼女のような優秀な修煉者がこんな境遇になったのかとずっと考えました。彼女の優しい顔や家族への思いやり、智慧が豊富で、怠けずに三つのことをこなしている姿を思い浮かべて、「なぜだろう?」といくら考えても答えが得られませんでした。

 ある日、私は彼女が「親は自分よりも子供を愛し、子供のためなら喜んで死ねる」と言ったことを思い出しました。当時はそれが一つの何気ない発言だと思っていましたが、今考えてみると、「彼女は本当にそこまで子供に執着していたのか、それとも、そのような観念を持っているだけなのか」が定かではありませんが、修煉者目線で世間の人情についてそのようなコメントをするなら、大したことではないと思います。しかし、自身もその中にいて抜け出ることができず、例え執着していなくても、そのような人間の観念を持つだけでも危険だと思います。この小さな一念を口実に、旧勢力は同修の命を奪おうとしています。考えるだけでぞっとします。

 当時、私が同修・陳さんに会いに行ったのは、肉親の情を手放せない姑(同修)が家庭内で大きなトラブルを起こしていて、どうしようかと困惑する中、陳さんとこの問題について交流しようと思ったからです。予想外に、陳さんは肉親の情を手放すべきだといった言葉を口にせず、却って「親は子のために死ぬことができる」と、私に深く印象付ける言葉を言ったのです。姑がどんなに私の夫を過剰に可愛がっても当たり前で、あまり気にしなくてもいいことを言外にほのめかしました。陳さんに当時の姑とまったく同じ病業の症状が現れるとは、想像もしませんでした! 姑もこの病業で亡くなりました。1人は亡くなり、1人は意識を失い、同時に2人の同修の芳しくない状況を目にした私は、どうすることもできませんでした。この2人の年配の同修は何れも良い人です。

 特に意識を失った陳さんですが、周囲の多くの友人や親戚、知人、同僚、隣人たちが事情を知ると、どう思うのでしょうか? それに、彼女の病業はアルツハイマー病の症状であり、死なない癌として知られており、はっきりした意識がなければ、どのようにして大法弟子が行うべき三つのことを行うのでしょうか? これでは、大法にどれだけの損失をもたらすことになるのでしょうか? 本当にこの認識できていない、またはあまり気にしていない一念があることでこのような結果が生まれたならば、本当に悲しみのあまりに心が痛むのです。

 人間の情、そして骨の髄まで染み込むように形成された人間の理(執着)は、本当に放下すべきです。この世のいかなる素晴らしいもの、親子の情も含めて、去る際はそのどっちを持って行くことができるでしょうか? 子供をいくら愛しても、生死を超越できなければ何れはこの世を去ることになりますが、その後はどう愛するのでしょうか?! ですから、修煉者としてはどんな小さなことに遭遇しても、内に向かって自分自身を見なければなりません。もしかすると、気に留めていないある小さな出来事が、修煉者が昇華に向かう至難の関になっているかもしれません。一思一念がちょっと違うだけで、まったく異なる天地が目の前に繰り広げられるでしょう。生まれ変わるには、必ずしも苦難を経なければならないとは限らず、身近の小さな出来事がその苦難に勝るケースもあると私は思います。

 これらの出来事を見聞きしてから、私もよく内に向けて探さなければならず、一思一念のいずれも重要であり、常に法に則っていなければならないと思いました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/29/427497.html)
 
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