大紀元本部に入って1年余りの修煉体験
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文/北米の大法弟子

 【明慧日本2021年7月10日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 1年前、常人の会社で働いていた私は、次の休暇はどこへ遊びに行くか、今月いくら貯金したか、どんな買いものをしたいかなどを考えていました。現在は週6日で1日12時間以上勤務し、給料は少なく食べていけるだけの金額です。1年前の私はこのような生活を決して想像もしませんでした。大紀元に入ってからの1年を振り返り、師父と同修の皆さんに修煉の体得を報告したいと思います。

 一、大紀元に入社した経緯

 大学ではコンピューター工学を勉強しました。偶然の縁で、大紀元本部の技術部で働く同修のAさんから、あるプロジェクトに私の専門技術が必要で、ニューヨーク本部に来てほしいと誘われました。海外で仕事をして視野を広げることができ、技能を発揮して大法の仕事に役に立てると思うと嬉しくなりますが、家族や友達と離れて一人で海外で生活することに不安も感じました。Aさんは私の不安を理解して、まず3カ月の試用期間を置こうと提案しました。

 ニューヨーク本部に赴任して3カ月の間、「3カ月後もこのまま残りたいか?」と毎日自問しました。その間、同修たちは私を励ましてくれたのですが、ニューヨークの冬の寒さは台湾出身の私にとって大きな試練となり、故郷への想いも加えて、私はなかなか決心がつきませんでした。

 幸い大紀元社内の修煉環境はとても良くて、毎日会社にいると「三つのこと」を安定して行うことができます。若い同修でも年配の同修でも毎日早く起きることができ、どんなに忙しくても時間をさいて学法しているのを見て、同修たちとの差を感じました。皆の足取りに追い付いてもっと学法したいと思いました。そこで、寮から会社まで1時間ぐらい電車に乗る時間を学法に使い、夜寝る前に携帯電話を見る習慣も捨てました。

 3カ月期間満了の2週間前、私は一心不乱に『北米での巡回説法』を一通り読みました。師父は「この旧い勢力が按排したこれらのことは、人類のところでどのぐらいの時間が経過したのでしょうか? 二つの地球の時間です。大法がこの世で伝わったことがあると以前話したことがあります。多くの学習者はそれがいつなのかと私に聞きました。つまり、前回の地球で伝わったのです。なぜでしょうか? 前回の地球は今回の地球のために行なわれた実験であり」[1]、「長い年月を経て、人間の思想を徐々に豊かにし、内涵と忍耐力が備わるようにする必要があります。これは短時間でできることではないので、この一億年の間にこのことをやっています」[1]と説かれました。

 師父が今回の法を正すことのためにどれほどの心血を注がれたか、さらに理解しました。法を正すことは1000万年、1億年の時を経て、すべての衆生を救うためです。法を正す時期の大法弟子としての使命が改めて分かりました。長期ビザを取得するために台湾に一度戻り、大紀元本部で長期に働くことを決心しました。

 台湾に帰ったら、親子の情、友情、気楽な環境に再び付き纏われました。ビザを取得するには2、3カ月かかり、すぐにその環境を離れることはできません。修煉していない父は、そんな遠くで仕事をすることをあまりにも無念に思い、同意していたにもかかわらず、今新型コロナウイルスが流行しニューヨークの死者が多くて、この時最も安全な台湾を離れることに対してどうしても理解を示してくれませんでした。

 やっとビザを取得したのですが、航空券を買う決心をなかなか下せません。新型コロナウイルスは深刻化し、ニューヨークでは毎日の新規感染者数は1000人に増えています。私が危険なニューヨークに行くことを考えると毎日心配して眠れないと父は言って、他の親戚も、「こんな時に台湾を離れないように、父を理解し親孝行してほしい」と私を説得しようとしました。

 親子の情につきまとわれた時、ニューヨーク本部の人事部から電話があり、ニューヨークへの飛行機はもう数日で飛ばなくなるかもしれない、今後いつ飛行機があるかも分からない、早く航空券を買ってニューヨークに来ることを望んでいました。ニューヨークの同僚からも、本部には本当にいろいろな仕事があって人手が足りないので、早く帰って助けてほしいと言われました。私は一晩中寝ずに考えていました。自分より若いある同修は、ビザを取った当日に台湾を出発しました。飛行機がなくなることを心配して、買った航空券を前倒して変更した同修もいました。どうして私はそのようなことができないのでしょうか。その時、「人の本当の生命は元神なので、元神を生んでくれた母親こそあなたの本当の母親です。六道の中で輪廻する間、あなたの母親は人であるのもいれば、そうでないのもおり、数え切れないほどいます。そして、生まれ変わる度ごとにあなたがどれくらい子供を持ったのかも分かりません。誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業だけは相変わらず返さなければなりません。人間は迷いの中にあって、どうしてもそういうことにしがみつきます」[2]を思い出しました。

 両親は現世においての父と母であり、父も救わなければならない一人の衆生であり、もし感情ではなく慈悲の心で父のことを考えれば、法輪大法を理解させ、私がニューヨークに行くことの重要性を理解させるべきではないでしょうか。そして、もし私がこの時に親子の情を捨てられず、疫病を恐れてニューヨークに戻る機会を逃したら、きっと一生後悔します。そこで心を鬼にして、台湾を離れる前にすべきことをすべて整理し、理性的に父に「中国共産党がウィルスの拡散を隠蔽したため、こんなに多くの死者を出している。大紀元は今、重要な使命を負っており、世界の隅々まで真相を伝えるには多くの人手が必要なのです」と説明しました。父は結局私を理解し、2日後に4時間も車を走らせ空港まで見送ってくれました。

 今回台湾に帰る前に、きっと心を乱すような妨害に遭遇すると予測していました。寮の応接間に師父の肖像画が置かれて、台湾に帰る前に私は肖像画に向かって、「師父、私は必ず再びニューヨークに戻り自分の使命を果たします。ご加持ください」と師父にお願いしました。そのため、寮に戻ったらすぐ師父の肖像画の前に立って、喜びの涙を流しながら「師父、ありがとうございました。ただいま戻ってまいりました」と報告しました。

 二、中国本土出身の同修に対する軽蔑を除去

 多くの台湾学習者にとって、本部に来て直面する最初の試練とは、様々な訛りのある中国語を話し、多かれ少なかれ党文化を持っている中国本土出身の同修と接触することでしょう。小さい時からの成長環境もテレビ番組も中国本土の悪い面ばかりを話し、観光地においても本土の中国人の悪いマナーばかりが目に映るので、私は中国本土の人に対してずっと悪いイメージを持っていました。

 私が所属する部門の約20人のうち、私ともう一人(台湾出身)を除いて、残りはすべて本土の出身です。本土の同修と話す時、彼らの訛りを聞き取れない時、会議で本土出身の同修はそれぞれ自分の意見を主張し、争いが絶えず時間が無駄に過ぎていた時、助けを求めても、時間がないという理由で淡々と断られた時、本当に胸が痛みました。さらにある日、コンピューター技術と関係ない仕事をするように指示されて、自我を放下してその仕事に着手しましたが、その仕事の経験がある数人の同修にやり方を聞いたら、みんなに相手にされません。ちょうどそのことにまつわる同修はいずれも本土出身なので、私の心の中では「台湾人であれば、きっとコミュニケーションしやすく、きっとみんな喜んで手伝ってくれるに違いない」と感じました。

 ある日、隣に座る本土出身の同修が、子供の頃に親が迫害され、家財が押収され親が監禁された経験について話しているのを聞きました。ネットやテレビを通じて中国本土の同修が迫害されていることを知っただけで、まさか近くに座っている同僚が自らそのような経験を持っているとは思いませんでした。しかも少数ではなく、同じオフィスに座っている本土出身の同修には、幼い頃から迫害を経験した人が多くいて、皆は大法に対する正念に基づいて今まで続けてきました。そう思うと、心の底から彼らに対する敬服の気持ちが生じました。

 新入社員研修を受けた時、大紀元新聞社の設立を描くドキュメンタリーを見ました。本土出身の同修たちが大紀元新聞社を草創する時に経験したいろいろな困難を見て、更に敬服しました。どの大法弟子も偉いと思いました。

 修煉者は真・善・忍を原則としているので、これから周囲の同修に善の心で接して相手の立場に立って考えようと決心しました。本土出身の同修は党文化の中で数十年も生活し、党文化を一気に除去することも現実的ではありません。同修の長所、良いところを見るようになれば、だんだんと、どの同修にも愛らしい面、尊敬すべき一面が見えてきました。良くない性格や習性を持っている同修も、修煉の中で徐々に変わってきています。本土出身の同修に対する偏見がだんだん薄くなりました。

 三、闘争心、顕示心、高いプライドを除去

 私は小さい時からずっと良い成績を取って、一流の大学に入り、大学院に進学し、卒業して大手会社に入社しました。それに、大紀元本部に入れたのも、多くの技術部の同修がまだ持っていない技能を私は持っていたからです。本部に来てからすぐ、同修たちに技術を教えることまで任せられたので、内心から優越感が生じました。日が経つにつれて重要な役割を担うようになり、私はチームのリーダーになりました。チーム内のメンバーはみんな私の指示を聞かなければならないと、顕示心が知らず知らずに膨らんでいました。

 一方、技術部の同僚の多くは高い学歴を持つエリートで、有名な大企業で働いた人もいて、意見が分かれる時、誰もが自分の見解が一番優れていると思っています。ある日、Bさんのやり方が気に入らなくて、「私の経験ではこんなことをしてはいけない」と思い腹が立って、思わず「こんな方法はとてもプロとはいえない」と言いました。彼も不服で、「あなたが私より多くの知識を分かっているとは思わない」と言い返してきました。それから、私はBさんのことをどうしても気に食わず、仕事上も彼との接触を避けようとしました。しかし、師父は「相手がやったらこちらもやるというのでは、ただの常人になってしまうではありませんか? あなたは相手と同じように争ったり闘ったりしないだけでなく、心の中で相手のことを憎んでもいけません。本当に相手のことを憎んではなりません。相手のことを憎むと、腹が立ったことになるではありませんか? それでは忍を守れなかったことになります。われわれは真・善・忍を重んじますが、そんなことをすれば善のかけらもなくなります」[2]と説かれています。

 その後、Bさんと協力して完成しなければならない仕事がありました。Bさんは私にプログラムコードの修正を依頼してきました。最初に私が考えたことは、「どうして私に修正を? プロの立場から見るとあなたのコードを変えるのが正しいやり方なのに」ということでした。しかしすぐ「正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[3]が頭に浮かび、「争って何の意味があるのか、仕事を進ませていけるなら、誰がコードを修正しても構わないではないか」と考え直しました。そこで、心に少しの不満でも持たずに彼の言った通りにコードを直しました。そのおかげで本当に彼との葛藤を放下したと感じ、心がすっきりしました。あれから彼の顔を見ても、昔のように嫌な感じはなくなりました。

 四、寂しさに立ち向かう

 大紀元に入社してからの1年、最も苦しかったのは寂しさと孤独感です。クリスマスイブの日に会社は久しぶりに皆を休ませてくれましたが、私は家族や友達がいなくて、ルームメイトもいないために退屈になりました。一人で外に出て、街を歩く様々な人を見て、なんと寂しさに勝てず泣き出しました。

 時には、常人の友人や家族が悠々自適に生活している写真を見ると、心の中では羨望や嫉妬、さらには感傷的に感じることがあります。なぜ私だけが若くて、まだ十分に遊んでいないのに仕事に縛られなければならないのかと思いました。寂しくて面白くない人生を送っているので、常人が追求する「楽しい生活」を私も追いました。美味しいものを食べ、ドラマや映画を見ながら自分はその主人公であることを想像して、多種多様な人生を経験していると夢を見ました。また、友達とお喋りしたり、結婚に憧れたりもしました。いろいろ試して、寂しさや人生のつまらなさを打ち消したいと試みました。

 「楽しいこと」をしている時興奮したり楽しく感じたりして、一時的には苦痛な気持ちを忘れてしまうのですが、その後、さらに深い虚しさを感じてしまい、満足感を得ることができません。一部のことに関して、やってはいけないと分かっていても、欲望を抑えられずやってしまって、その後自分を責めましたが、次にまたやってしまう、と繰り返していました。

 「修煉は、実は人間の状態から抜け出して、情に動かされる心を取り除き、修煉の中で徐々に淡泊になり、徐々に自分を高めていくのです。情がなければ生きていてもつまらないと思う人がいます。映画も見ない、きれいな彼女(彼氏)との付き合いもない、美味しいご馳走も求めず、何とつまらないと思うでしょう。あなたに教えますが、これはあなたが常人の角度から理解していることです! もし、あなたが高い境地に昇華して行くことができれば、その境地の美しい状態、人類のものよりさらに美しいすべてが分かるようになるでしょう。その美しさは言葉で言い表すことができません。その美しいものを得るために、あなたは常人の情に動かされ、人間の利益に執着してしまう心を放下しなければなりません。常人の執着を放下することができれば、はじめて更なる美しいものが得られるのです」[4]

 「なぜ孤独を感じるのでしょうか? 衆生を救い済度し、大法弟子が行うべきことを行っていれば、決してこういう気持ちはないはずです。法を勉強し、精進している中で、どうしてこういう気持ちを感じえるのでしょうか? 精進していないので、常人の気持ちを感じる暇があるのです。そうではありませんか」[5]

 そうですね。俗世間の欲望を捨てきれないため、衆生を救い済度することを第一に考えていないため、修煉がしっかりできていないために、こんな人心が湧くのではないでしょうか。師父の慈悲、衆生を救い済度する使命を思い出して、次第に正念が強くなりました。修煉に近道はなく、頭の中に法理を入れて、心の中に衆生を救い済度する意志を入れてこそ、常人の欲望がはじめて薄くなるのです。

 結び

 本部には非常に良い修煉環境があり、毎日決まった時間に学法、煉功発正念をして、仕事をするのは大法を実証することに等しいのです。職場にいても寮にいても、周りにいるのはみんな同修で、毎日大きな正念の場の中に包まれているようです。仕事が大変で疲れていて、ほとんど休暇を取ったことがありませんが、苦労が多かっただけに、以前より執着を多く放下し向上も早かったのです。今後もより精進して、「法を正す時期の大法弟子」という称号に応えられるように頑張っていきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『北米での巡回説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「シンガポール佛学会成立式典での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『2004年ニューヨーク国際法会での説法』

 (2021年大紀元新唐人メディア法会の発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/31/426423.html)
 
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