文/カナダの大法弟子
【明慧日本2021年10月21日】
尊敬する師父、こんにちは。
同修の皆さん、こんにちは。
今年は大紀元新聞社の中国語旅行雑誌『オンタリオ周遊』が発行して10年目です。雑誌にまつわる仕事のチームリーダーとして、旅行雑誌の創刊から今までの10年の修煉体験についてお話したいと思います。
1、自我を捨て、会社の方針に従う
十数年前、私はカナダの大紀元新聞社に入ったばかりの頃、営業部は新たなマーケティング計画を立てて、各営業マンに一つ、二つの業界に集中して、深く入り込み、その業界の専門家になるとの方針を定め、営業部に入って間もない私は社長に旅行業界を専攻するようにと指示されました。しかし、その時私は、営業を始めたばかりの自分は社会を広く知り全面的に発展するべきで、一つの業界に限定すべきではないと思いました。頑固な考えがあるため、社長の提案に抵抗の気持ちを抱きました。
師父は「ご存知のように、多くのこと、多くの執着心はなぜ努力して取り除こうとしても、なかなか取り除くことができないのでしょうか? なぜそれほど難しいのでしょうか? 皆さんに以前から話していますが、粒子がミクロから一層一層組み合わさって表面物質まで構成しました。極めてミクロなところから見れば、考えの中の執着はどういう物質を形成しているのでしょうか? それは山です。巨大な山で、花崗岩のような硬い石です。一旦形成してしまえば、人間はまったくそれを動かすことができません」[1]と説かれました。
師父のこの説法が発表される前に、ある日の発正念の中で、雑念が比較的に少ない状態のとき、別の空間の光景が見えました。その空間に巨大な山があって、山に石があり、石の上に鉄製の釘がたくさんあり、どのくらい長く存在していたか分かりませんが、多くの釘は錆びています。ルームメイト(同修)にその光景を語ったら、「それはあなたの頑固な観念が別の空間で現れている」と言われ、私はとてもショックでした。その後、2004年シカゴ法会の会場で上記の師父の説法を自ら聞いて、とても震撼しました。
社長の指示に抵抗を覚えた私は、師父の説法をもう一度思い出しました。私が抱える抵抗の気持ちは、花崗岩のような頑固な観念ではないか、自由自在にやりたいことをやるのでなく、新しく入社した営業マンとして、会社の方針に従うべきだと考え、私は社長の提案に頷きました。すべては数秒の間に起きたことですが、しかし別の空間では長い時間が過ぎ去ったかもしれず、あの巨大な山と釘で覆われた頑固な石は緩んで、解体し、風化し始め、自分の頑固な考えも除去されたのだ、と思いました。
会社の方針が正しかったことは、その後の展開に証明されました。最初の3年間の模索の中で、オンタリオ州の政府観光局、民間観光スポット、旅行業界の大手企業向けに営業活動をする中で、企業側、政府側であれ読者であれ、皆はオンタリオ州の紹介に特化した中国語の旅行専門雑誌を期待していることに気づきました。そして、管理層の支持の下、2011年、大紀元初の旅行雑誌「オンタリオ周遊」が生まれて、現地の最初の中国語旅行特集号として中国人読者にたいへん愛されました。同業の他社もそれに注目して、似たような本を作ろうとしましたが、その市場は私たちに先取りされたと分かって、断念したようです。
2、パートナーと協力して業績を伸ばし、党文化を除去
旅行業界での営業実績は着実に拡大し続け、最初の夏季雑誌に続き、翌年には最初の冬季雑誌を発行し、3年目には秋版も生まれました。業務の拡大につれて人手も必要になり、大学を卒業してからすぐ大紀元に入社した若い同修のAさんが私の助手になりました。
Aさんは若くて聡明で、主流社会に対しても理解があり、商談と広告の文案を書く面で優れた才能を持っています。また、Aさんは教育業界向けの営業も兼任して、良い実績をあげました。私たちの業績は着実に向上して、2013年に、2人で共同で製作した旅行雑誌がカナダのマイノリティメディア協会の賞を受賞しました。
良い気分になっている時、ある日突然営業部のチーフから、Aさんは今後営業の仕事を離れてマーケティング・マネージャーになるとの連絡がありました。突然の変化に戸惑い、「会社は人員の異動をする時、まったく私に相談もせず、Aさんも挨拶もしないで突然消えるなんて」と不満を感じ、悔しくてAさんと管理層を恨んでいました。夫(同修)に泣きながら心情を訴えると、夫は「大丈夫だ、これからまた新しい助手が来るから」と慰めたあと、同時に自分を探して、自分が良くできていないからではないかと注意してくれました。
まだ心を静めて自分の不足を探す時間もない中、急いで取引先に会いに行かなければなりません。しかしAさんがいないと、取引先に行って何を話せば良いか分からなくて、大紀元新聞社を紹介することと真相を伝えることもうまくできず、これは問題だと思いました。帰ってから、Aさんと一緒に仕事をしてきた数カ月をじっくり振り返ってみると、Aさんが来てから、私の向上心は弱まり、Aさんの能力に強い依存心を抱いていたことが分かりました。また、自分はアイデアだけを出して、具体的な仕事は全部Aさんにやらせ、彼女がいないと私はまともなメールさえ打てません。意見が合わない時、私は強い態度で彼女に押しつけたのです。取引先との間にトラブルが発生した時、過激な手法と態度で接したので、共産党文化を帯びた言動は西洋社会で育った彼女に違和感を持たせました。
「あなたの考え方、党文化が強く影響している極端なやり方、嘘をついたり、いい加減な仕事ぶりに彼らは本当に我慢できなくなっています。アメリカ人、世界各地の自由主義の国の人と接触すれば、彼らに変だと思われてしまいます。このことを師父は身を以って体験しました。師父も当時大陸から出てきたので、すぐにこのことを察し、この違いに気づきました。時には国際社会の学習者はあなたたちを受け入れたり、プロジェクトに参加してもらったりすることができません。あなたたちに何かの問題があるということではなく、本当に一緒に仕事ができないからです」[2]
自分に問題があったと分かって、私はAさんに感謝と謝りのメールを書いて、彼女からたくさんのことを学び、今後も宜しくと書きました。彼女はすぐに返事をくれ、一緒に仕事をした頃は楽しかった、旅行業界向けの営業の成長を今後も祈ると言いました。
同修と管理層に対する恨みを除去する中で、「営業の仕事をするのは自分の願望で業務の遂行も自分の果たすべき使命であり、他の同修の助けと協力はあっても、主導するのは自分なので、苦労をするのも当然のことだ」と悟りました。
また今回のことを通じて、チームメンバーの一人一人を大切にすることを学びました。チームの中の2人は営業をしていませんが、旅行関係の展示会の開催、旅行クラブの設立、読者との親睦会、イベントの開催、旅行ネットワークの構築などの面で有力なサポートをしてくれました。
3、「苦を嘗めるをもって楽とす」
2015年、もう1人の若手同修のBさんが加わったことで、旅行関係の営業業績はまた一つのピークに達しました。私たちは旅行雑誌の5周年記念版を製作し、連邦観光部長を含む各級旅行局および大手会社の祝電を得て、広告売上も初めて10万を突破しました。
2016年、Bさんは産休に入り、私はまた1人で取引先の開拓と業務の開発を行うことになりました。その年は家庭から生じた魔難が大きくて、多くの時間と精力を費やしても解決の見込みが見えません。ある日、1人で車を運転して客先に行く時、道が長くて見通しが立たず、気が重くなりました。
師父は『轉法輪』で「暗いところに入ると瞳孔が開くように、カメラも暗いところで撮影する時、絞りを大きくする必要があり、さもないと、露出不足で真っ黒になります。反対に、外の明るいところに出ると、瞳孔が急に収縮します。そうでなければ、眩しくて見えません。カメラも同じ原理で絞りを小さくする必要があります」[3]と述べられました。それを読んでから、「営業をしても、どのプロジェクトをしても、良くするためには長い目で見ることが大切だ。逆境や困難に遭遇する時、その中に陥って希望が見えなくなることを防ぐために長い目で見て、心を広くするのだ。仕事が順調に運ぶ時に、自惚れないで心を落ち着かせ、遠方だけでなく目の前のことも視野に入れよう」と悟りました。では、今の難局をどう打開したらいいでしょうか。
ある日、現地で開催された真相を伝えるためのカーパレードに参加して、途中、同修たちと交流する機会がありました。皆の話を聞いたら、自分が苦境の中で方向を失ったのは、苦しみを嘗めることを良いことと思っていなかったからだと悟りました。
師父は『洪吟』で「苦を嘗めるをもって楽とす」[4]と明示されています。自分はたくさんの苦労をしたと思います。修煉の苦、営業の仕事をする中の苦労、執着を除去する時の心の辛さ、病気の関に遭う時の苦しみ、家庭の魔難……とにかく「苦しい、辛い、しんどい」と感じて、毎日の表情も苦しいものでした。苦労をすればするほど心が苦しくなって、悔しい、不公平だと思って恨む心が生まれます。つまり、苦しみを嘗めることを良いこと、楽しいことと思っていなかったため、魔難の中に陥って方向を見失ったのです。
心を入れ替えてから、転機も訪れてきました。営業チームはニューヨークに3日間行ってトレーニングを受ける機会がありました。ニューヨーク本社で、社長から壮大な経営計画を聞き、本社の営業チーフたちと業界の戦略と方向性を共有したところ、トロント支社の旅行戦略はニューヨーク本社の旅行ビジネス戦略と非常に似ており、方向性も同じであることが分かりました。ここ数年間トロントで行ってきた営業の道は正しく、方向性にも問題がないことが分かったので、自信が倍増しました。その3日間、私はずっと微笑んでいて、同行したトロントの同修も「あなたは毎日笑顔を見せているね」と言ってくれました。
その年の冬、チーム全体は力を合わせて、カナダ大紀元社初の冬季旅行展示会を開いて、オンタリオ州の5大スキー場と冬の観光地である町の代表が参加し、中国人読者と交流して、オンタリオ州の冬の旅行を紹介しました。出展者は今回のイベントに大満足して、オンタリオ州の最も大きいスキー場の担当者は「今日は最初から最後まで、私のブースはずっと読者に囲まれていた」と喜んでくれ、その場で翌年の冬・夏の出展も早速予約しました。
4、師父の慈悲なるご加護
大紀元の広告主はすべて縁のある人であり、彼らはこの世に降りる前に、法を正す時期に広告の形式で大紀元に資金応援を提供すると約束したのかもしれません。私の使命は彼らを見つけて、約束を果たすように促すことです。彼らを見つけるために、私は車でオンタリオ州の隅々を走り回って、少しも怠りませんでした。1日に四つの町を回って5人の取引先に会う日もありました。山、林、湖、都市、農村、辺鄙な郊外など、どこにも私の足跡を残す中で師父の慈悲なる加護も感じています。
旅行業界の営業をしている10年間、大半の時間は運転していて、大雨や大雪、暴風の天気の中、交通事故に遭いそうな瞬間、いつも師父に守られて無事で済みました。師父は弟子の安全を守るだけでなく、生活の面においても守ってくださっていると感じました。私は営業の仕事から歩合をもらい、収入は高くなく、夫も大紀元で働き、安い給料をもらっています。私たちは朝早く家を出て夜は遅くに帰り、また家と車のローンを払っているので、経済的に余裕がありません。ある日、出張で湖辺の小さな町を通っていた時、町は美しい港湾に面していて、景色も素晴らしいので見とれていました。ここに家があったら、取引先を訪問してからここに泊まることもでき、徹夜でトロントに帰らなくてもいいのに、と思いました。するとすぐにその辺の家が売られている情報が目に入り、手頃な値段で、私と夫はそれを買いました。翌年になると、その物件は40%値上がりしたので、すぐに売りました。これは師父が私たちに贈ってくださった福であると分かっています。師父のご恩にお返しするために、さらに精進するしかありません。
師父、ありがとうございました。
同修の皆さん、ありがとうございました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
[2] 李洪志師父の経文:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
(2021年カナダ法輪大法修煉体験交流会の原稿)