改ざんされた神話と本当の伝統(六)
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文/ Arnaud H. 

 【明慧日本2021年7月24日】(前文に続く)

 アートに限らず、四元素理論は古代ギリシア文化の多くの分野に関連しています。例えば、プラトンと同時代の医学者フィリス・ティオンは、四元素の中から派生した冷、熱、乾、湿という四種類の特性を医学に応用し、紀元前5世紀にアルクマイオンが主張した「人間の健康は様々な要因の相互バランスによって決められる」という認識を取り入れて、西洋古代の医学理論をさらに完備させました。

 四つの元素のほかに、古代ギリシアにはまた「エーテル」と呼ばれる有名な「第五元素」 が存在しています。四大元素理論が登場した初期から知られていましたが、あまりにもミクロ的で、四大元素と性質が異なると思われたため、四大元素の系統に入れなかったのです。アリストテレス時代になって初めて古典的な元素に分類され、四元素理論が五元素理論に変わりました。

 近代では、エーテルはある種の仮想的な電磁波だと思われた時期もあったのですが、その存在を証明する観測証拠はないので、現在、科学技術界から見放されています。

 しかし実際には、「エーテル」という言葉は、天界の最上層の虚空、神々が呼吸している純粋な空気を代表するギリシアの原始神アイテールに由来します。両者の中国語訳名は大きく異なりますが、ほとんどの西洋言語は同じ単語になっています。

 我々がいる世界に風は一種の自然現象として現れていますが、別の空間で彼は風の神であります。物事の一面は具体的な物質として現れ、もう一面は神様なのです。そのため、「エーテル」の概念は高空の神・アイテールの現れと理解することができ、この物質の特徴は霊的で、果てしない、軽やか、精巧、純粋、エネルギーを持って、古代ギリシア人はそれが宇宙の中に遍在する極微視的な元素であると考えています。哲学史における各名詞の登場時期から順に「第五元素」と後世に呼ばれますが、その概念は普通の水、火、気などの自然元素より高いため、多くの学者もそれを古典元素の中の第一元素と見なしています。

 理論の分野では、エーテルの存在をめぐる論争が今日まで続いていますが、ほとんどが現代物理学の枠内に止まって、そのために、エーテルが伝統文化において如何に大切かを現代人は認識できません。実は、古代の人はずっと精神と物質が一体であるという考えを持っていました。思考は光、純粋な物質だと信じ、果てしなく、清らかで、霊的なエーテルは自分の意志を持ち、万物の秩序を確立し維持していると考えました。

 アジアの古い文化と比較すれば、いくつか偶然というより必然的なことを発見できるでしょう。仏教の理論には「五界」と呼ばれる名詞があり、「五輪」とも呼ばれ、地、水、火、風という「四大」に「空界」を加え、合わせて世界を構成する五つの基礎要素だと思われています。西洋でそれに対する最初の了解は日本に由来しており、日本語の発音「Godai」に従って、それを一般的に「Godai」と呼んでいます。

 周知のように、仏教にはゼウス、ヘーラー、ポセイドン、ハデス、アイテールといったギリシア神は存在しませんが、仏教の「五界」理論は完全に仏教独自の理論体系から来たもので、古代ギリシア人が神の特性から五つの古典元素を推定する過程とは無関係です。そして、東西がこれらの元素理論を提出した時間は非常に近く、どれも紀元前五世紀で、当時は近代的な科学技術がなく、原始的な交通手段しかなく、文化と学術の成果を迅速に他の大陸に伝えることが不可能です。しかし仏教の「地、水、火、風、空」と古代ギリシアの「土、水、火、気、エーテル」は不思議に合致しています。

 伝統と変化

 古代文化についてこのように多く述べたことで、歴史文化の研究において「伝統」とは何かを明確にさせる必要があることも思い起こされます。一般的に、「伝統」は長い歴史を持っていますが、では、昔からあるものはすべて伝統といえるでしょうか。

 多くの基礎倫理、習慣は古代の神話或いは宗教に由来するということは、各国の古代文化において共通しています。東方神話の中に盤古が天地を開闢し、西洋の宗教に神が人間社会の倫理を決めると言い伝えられています。いずれも文明の始まりに神が規則を定めて人間に伝え、それから人類がそれを正統文化として代々受け継いでいき、即ち我々がいう「神伝文化」です。

 各国の歴史に見られる神伝文化の多くは、文明が現れる初期に建てられて、成、住、壊、滅の過程を経て、最後にまた新しい文明が生まれ、古い文明に取って代わります。

 新しい文明と古い文明の入れ替わりは、天災などによってある地域の人類ないしすべての生物が絶滅した時に発生する場合もあって、大規模な戦争や疫病によって古い文明の人口が大量に死亡し、生存者が既存の文化を捨てて、新しい文明に同化した場合もあります。後者の場合、残った古い文明は完全に消えるのではなく、一部は新しい文明に吸収されたり、若しくは遺跡や歴史の証明として残ったりします。

 ここで一つ問題があります。過去の文明の歴史は「成、住、壊、滅」の法則に基づいて発展してきたので、歴史が滅亡の段階に入った時、その文明の中の文化も同じように大きな環境の中で破壊され、中には元の神伝文化が含まれています。つまり、長い歴史の中で、元々の神伝文化が人間によって徐々に変えられ、真逆なものに変えられたケースもあります。もともと神聖で高尚な物語が、道徳の低下とともに少しずつ改ざんされ、歴史の破局の中で加工され、低下、堕落のバージョンに改編されていきます。このような改編された文化は当然、「神伝文化」とは言えなくなります。

 もう神伝文化ではないこのような変種文化には、長い歴史があるという、人を惑わす特徴を持っています。歴史の遺産として新しい文明に保存された後、その歴史は新しい文明が持つ神伝文化よりも古いのですが、新しい文明の文化より堕落しています。しかし、人間は感情的には古い歴史を敬うので、堕落した文化を認めたりして、危険な結果をもたらしてしまいます……。これは今日の我々が見抜かなくてはいけないところです。

 話を戻しますと、「伝統」とは何でしょうか、神が伝えた正統的なものだと思います。神が伝来した正統は年代で定義するものではなく、その本質――神が伝えてきた、正統的なもの――を見なければなりません。つまり、神が今日に伝えてくれたもの、まだ年代の蓄積をしていなくても、それは「伝統」といえます。逆に、正統ではない文化は、たとえ年代がどんなに古くても、私たちの言う「伝統」とはいえません。中には、むしろ「魔の伝統」と呼ばれて相応しいものもあります。

 歴代の西洋美術に、古代ギリシア文化と古代ローマ文化を題材にした作品が多くを占めたため、古代文化の背景を分かりやすくするために、この文章を執筆しました。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/12/426404.html)
 
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