【720評論】中共政法委員会と610弁公室の法輪功迫害における重要な役割(三)
■ 印刷版
 

文/林展翔

 【明慧日本2021年7月27日】(前文に続く)

 610弁公室のプロパガンダは一般市民にも向けられ、法輪功の信用を落とし、法輪功への憎しみを煽るものであった。例えば、各地の610弁公室も「100万人署名」、「態度を表明せよ」、「承諾カード」などで、法輪功を誹謗中傷する警告教育などの活動を展開した。

 個人情報や資料の分析・収集

 迫害という目的を達成するために、610弁公室は法輪功に関する情報(いわゆる情報)収集をその重要な仕事の一つとしていた。

 例えば、山東省濰坊市傘下の県級市である青州市党委員会610弁公室が2010年頃に作成した仕事台帳(機密事項)は、学習者を特に対象とし、学習者に関する情報を収集・分類するためのいくつかのフォームを用意していた。この「仕事台帳」には三つのパーツがあり、それは鎮(街道、園、区)の社会治安安定維持センターに送られた。

 第1部は、学習者基本情報で、合わせて七つの情報シートがあるか、または七つの分類があり、(1)地元の戸籍で長く地方に滞在している、(2)不法に指名手配されて地方に追いやられている、(3)「制御不能な者」、(4)外に出て面倒を引き起こす者(すなわち陳情者)、(5)転向していない者、(6)判決を受け、労働教養に科され異動した者、(7)不安な重点人物、であった。

 第2部は、特別な学習者の情報 (このフォームには写真も必要)である。

 第3部は、回訪(訳注:江沢民を告訴する訴状を提出した学習者の家に行き検問すること)調査の登録表である。

 上記の情報は非常に重要なもので、610弁公室は収集した上記の情報を使って、学習者に対する監視と迫害リストを提供し、不当に逮捕したり、洗脳班に送ったりなどをしている。

 610 弁公室は迫害を官僚の業績に結びつけることで迫害の制度化と組織化を促進している

 信仰の自由は基本的人権であり、中国憲法でも保障された国民の権利でもある。610弁公室は様々な嘘を捏造して法輪功を中傷し、様々な方法を用いて各機関の官僚を迫害に加担させ、さらに迫害を体系化、制度化し、あらゆる面で法輪功を迫害している。その体系化と制度化には、610弁公室による組織指導、法輪功に反対する制度構築、法輪功に反対する組織の構築、公安警察への教育、洗脳と転化の取り組み、法輪功に反対する学校教育活動、1人でも法輪功に反対すればそれが決定される事、などを含んでいる。その中で最も邪悪な方法の一つは、法輪功への迫害を官僚の「業績」に結びつけることで、 具体的には、610弁公室が関連部門に「転向」目標を設定し、それを用いて「業績」を測定することである。下記の陝西省咸陽市渭城区の610弁公室の評価ポイント表がその中の一例である。

2008年4月15日上网的陕西省咸阳市渭城区610办公室的考核记分
2008年4月15日インターネット上での陝西省咸陽市渭城区610弁公室の評価ポイント

 上の陝西省咸陽市渭城区610弁公室の評価ポイント表を見ると、中国共産党(以下、中共)は法輪功への迫害を各機関の官僚の「業績」に結びつけ、迫害に参加するよう強要していることがわかる。

 これらの「評価」は、610弁公室が法輪功への迫害を制度化していることを示しており、この方法を通じて広範囲に巻き添えにさせ、つまり高い圧力と利益のインセンティブの組み合わせで、各機関の官僚に迫害に参加するよう駆り立て、迫害が高度に組織化され、制度化され、体系化されたものであることを示すとともに、迫害の幅と深さを示すものである。

 司法への介入と干渉

 政法委員会と610弁公室による公安局・検察庁・裁判所の操作は包括的で徹底しており、610弁公室がいわゆる法輪功案件を操作していることは公然の秘密である。政法委員会と610弁公室は、いわゆる法輪功案件を政治事件とし、法律は単なる隠れ蓑であり、形式的なものである。610弁公室は、裏でも表でも、裁判の現場でも判決でも、司法を操り、多くの裁判官は「私たちには判断ができない」と率直に言い、610弁公室の言うことを聞いていた。

 中共は法輪功を第一の敵としており、610弁公室は 多くの機会に恐れることなく「法輪功に対しては政治だけを重んじ法律を重んじない」と公言している。多くの裁判官は「我々は法律の話をしない」と露骨に公言している。

 例えば、2009年12月6日、河北省遷安市裁判所は学習者の梁秀蘭さんに8年、張立芹さんと邵連栄さんに7年半、李秀華さん、孫永生さんと楊佔民さんに7年の不当な実刑判決を言い渡した。その後、裁判長の馮小林は被害者の家族からの問いかけに、法輪功案件が法に則っていないことを告白しなければならなかった。

 610弁公室は「政治を重んじ法律を重んじない」だけでなく、法律を踏みにじり、法律を操作し、裁判を妨害し、弁護士の弁護を妨害し、判決を操作・妨害している。

 多くの裁判官が弁護士や学習者の家族に対して、学習者を何年の刑にするかは、610弁公室が決めることであり、私たちが決めることはできないと公然と言った。一部の学習者の場合、610弁公室の判決は事前に秘密裏に決められており、裁判は単なる形式的なもので、裁判官にはどうすることもできなかった。一部の610弁公室は裁判に介入している。

 例えば、2008年12月1日と9日、遼寧省瀋陽市沈北新区裁判所は続けて2回不当な裁判を行い、奚常海さん、王素梅さん、孫玉書さん、霍徳福さんなど4人の学習者に不当に重刑の判決を言い渡し、その中で、王素梅さんに10年、奚常海さんに11年、孫玉書さんに8年、霍徳福さんに6年の実刑判決を不当に言い渡した。

 裁判に参加した公安局員、検察官や裁判官によると、学習者が何年の刑に処されるかは、最終的には610弁公室が決めることであり、私たちが決めることはできない、ということであった。

 沈北新区610弁公室の新しい責任者は孫永剛で、蒲河管理委員会にいた時その地域の学習者の迫害に尽力した。その時に学習者の王素梅さんが連行され、真・善・忍に基づいてよい人になろうと堅持することは犯罪ではなく、すぐに釈放するよう要求したため、610弁公室の責任者の孫永剛は激怒し、就任したばかりで自分の手柄にしようとして理知を失い「10年の実刑判決を宣告する」と騒ぎ立てた。その結果610弁公室の責任者である孫永剛の一言で、この心優しい農婦の王素梅さんは不当に懲役10年の判決を受けた。

 (四)軍隊の中の610弁公室

 中共の軍隊にも610弁公室の組織があり、ほとんど知られていない。軍隊による法輪功への迫害は地方では先立って行われ、中共が軍隊を最も厳しくコントロールしているため、軍隊は常に模範となる存在であった。江沢民が法輪功を理不尽に弾圧することを決意した時、軍隊のやり方を全国に広めようと、軍隊を使って地方を抑えつけようとした。軍隊の610弁公室という組織は総政治部の一部である。610弁公室の初代主任は当時の総政治部主任・於永波、副主任は当時の総政治部の一部分である管理規律委員会と政法委員会書記を担当していた副主任(規律検査委員会と政法委員会は1人が兼任しており、名前は不明確である)で、階級的には総政治部と同等であったことがわかる。その地位の高さゆえに、総政治部の他の部署の人員に対して必要に応じていつでもアポイントを取ることができた。

 610弁公室の組織は、軍隊の各兵種、軍区、従軍、師団、旅団など、軍のすべての部門に存在している。

 軍隊の610弁公室は最重要会議の一つ

 この会議は江沢民の命を受けて総政治部主任の於永波が招集したものであった。この会議は「天安門焼身自殺」という偽りの事件が作られた直後で、総政治部の保衛部門で秘密裏に行われ、録音も写真も許さなかった。情報筋によると、この会議に参加したのはみな軍隊の610弁公室の中核メンバーで、わずか20人強であり、於永波が議長を務めたという。於永波はまず法輪功を弾圧するための軍のアプローチと今後の計画を簡単に紹介した。続いて江沢民のスピーチがあった。

 江沢民は当時軍隊に地方の先陣を切って模範を示すよう要求し「軍隊の中で法輪功を修煉している者は全員 『転向 』しなければならず、一人も残さず、転向は徹底して行わなければならない。軍隊は独自に『転向』の専門家と教授を育てる必要があり、転向に取り組むものは自分のスタンスをしっかり持っていなければならず、決意を新たにし、態度を厳しくしなければならず、必要に応じて様々な手段や方法を採用することができる。しかしそれを公にしてはならず、黙って行わなければならない」と要求した。目的はただ一つ「軍隊と法輪功を決別させる」、「目標を達成するまであきらめない精神が必要」ということだった。転向の仕事をする者は高度な評価を行い、転向作業を推進している者などと評価された。

 中共の軍隊による学習者への迫害は非常に厳しいものがあり、軍の厳密な封鎖により、ほとんど明るみに出なかった。明慧ネットでは610弁公室に迫害された副師級の軍人のケースを紹介している。

 南京軍区副師級将校で学習者の楊興福さん(男性)は1949年11月生まれで、南京軍区政治部『東線映画・テレビ新聞』の元編集長である。編集長の肩書きで上級大佐であり、南京軍区文化事業センターの管理下にあった。楊興福さんは法輪大法を修煉していたため何度も迫害を受けてきた。

 1996年7月楊興福さんは法輪功の修煉に入り、肉体的にも精神的にも恵まれた。1999年中共による法輪功への迫害が始まった後、南京軍区610弁公室に三度にわたり連行・拘禁され、不当に労働教養を科された。2000年7月、楊興福さんは法輪功の真相資料を配ったことで南京国家安全局に連行され、密かに取り調べを受け、その後に南京軍区軍事裁判所から3年間の労働教養の判決を不当に受けた。2003年に家に戻った後に早期退職させられ、住居や資格も格下げされた。

 2005年1月、楊興福さんは再び南京軍区610弁公室によって不当な家宅捜索を受け、3年間の労働教養を科された。楊興福さんの娘と娘婿は連座制で軍隊から追放された。

 2012年4月、南京軍区610弁公室と南京市610弁公室、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)が共同行動を取り、再び家宅捜索を行い、パソコン、プリンター、レコーダーおよび大法書籍、神韻DVDなどを奪っていき、楊興福さん夫婦は共に南京留置場に連行された。楊興福さんは南京軍区軍事裁判所から3回目の労働教養の判決を受け、南京軍区労働教養所に拘禁され、妻の陳春美さんは1カ月間不当に勾留された後、南京玄武区洗脳班に移送され強制的に洗脳された。

 結び

 政法委員会と610弁公室はいずれも中共の党内組織であり、法輪功の迫害に重要な役割を果たしている。迫害がいまだに続く中、政法委員会も610弁公室も共に、中共の秘密機関であり、さらに厳しい情報封鎖のため、迫害の多くがどのような役割分担で行われているのかはまだ外部に知られていない。本稿では外部に知られている公開情報、特に明慧ネットで報道された情報をもとに、迫害における政法委員会と610弁公室の役割を概括的に総論した。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/23/428313.html)
 
関連文章