二つの小さな出来事から、早朝煉功の重要性を悟る
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文/日本の青年弟子  

 【明慧日本2021年8月4日】1999年以前に修煉を始めたとき、私はまだ大法の子供弟子でしたが、今は2歳の子供弟子の母親となりました。20年以上も修煉し、最近になってようやく突破できて、毎日2時間半をかけて五式の功法を一通り煉り終えるようになり、大いに恩恵を受けています。ここでは、二つの小さな出来事をご紹介します。

 一、炎天下、子供は一緒にパレードに参加してくれた

 数日前、私は12時30分にスタートする横浜でのパレードに参加しました。「こんなに暑いのに、子供がパレードに参加できるのか?」と夫に聞かれて、私は何気なく「大丈夫よ!」と答えました。最近しっかり煉功しているので、本当にいけると思いました。

 当日朝早く、私は煉功をしっかり行い、11時半に集合しました。12時半にパレードはスタートし、太陽が燦々と照りつける正午だったのに、子連れで参加したパレードは意外と順調でした。出発の直後、子供は寝てしまいました。私は用意していた大きなボトルの水を取り出して、彼のサンシェイドに少しずつ水をかけ続けました。炎天下のベビーカーの中で、赤ちゃんはとても気持ちよさそうに寝ていました。2時間に及ぶパレードが終わる直前に、彼は目を覚ましました。誰もが私の子供はお利口さんだと言いましたが、私はそれが大法の威力だと知っていました。

 師父はこのようにおっしゃっています。「しかし、多くの大法修煉者の家庭に子どもがいますが、彼らは普通の子どもではないかもしれません。転生する前からこの家の人が将来大法を学ぶと知っており、この家に転生したいと思っています。ですから、この子どもは相当な身元があるかもしれません。このような場合、大人が煉功する時、既に子どもの分まで修めました。これは子どもが自分で煉功できるようになるまで続きます」[1]

 パレードは最後まで歩き通すことができました。私自身少しも暑さを感じたことがなく、暑さという概念さえ考えませんでした。思い返せば、むしろ、すごく楽なパレードだったような気がしました。しかも、進行中に私は心が穏やかで、雑念もありませんでした。師父に感謝しています。

 二、早朝に煉功しなければ、日中は思想業力がまるで雑草のように生えてくる

 一昨日、朝に法を学んでいた時、この一句が目に留まりました。「小さなことも乗り越えられず、かんしゃくを起こしたりしていて、功を伸ばせるとでも思っているのですか」[2]。その結果、その日は人心を揺さぶるさまざまな小さなことが次々と起こり、夜寝る前の最後の小さなことで、私はついカッとなってしまいました。翌朝、煉功の音楽が1時間半も流れていたときに私はやっと目が覚めて、早速起きて坐禅し始めました。しかし、前夜の抑えきれなかった憤りがずっと頭から離れず、いくら排斥してもきれいに排斥できませんでした。第一式から第四式の煉功をしないまま、家にいたくない私は学法するために出かけました。

 法を学んでいたときも頭がすっきりせず、ある時は正念が優勢を保ち、ある時は憤りが優位に立ち、まるで戦場のようでした。こうして何とか一講を読み終えました。

 日中は「憤り」と格闘しながら家族と過ごし、午後になって動功を補わなければならないと思い付き、1時間半の煉功中も心は穏やかになりませんでしたが、良くない考えを排斥さえすれば、師父はきっと取り除いて下さると思いました。第四式の功法を煉り始めたとき、ようやく心の落ち着きを取り戻して、音楽だけに集中することができました。

 第四式の功法を煉り終えて前日の出来事を振り返ってみると、あれだけ抑えきれなかった憤りが忽然と消えていました。ここ数日の煉功はずっと似たような状態が続き、早朝の煉功時に思想業力が強くて、煉功しない訳にはいかないので、排斥しながら煉功していくうち、2時間半の煉功が終わる頃に頭がスッキリしてきて、音楽だけが頭の中で響いていました。

 「弟子:一部の学習者は法を正すことに全力を注いでおり、食事も睡眠も取る時間がなく、煉功もめったにやっていません。それによって、一部のそれほど忙しくない学習者も煉功しなくなりました。彼らから見れば、煉功はそれほど重要なことではないようです」[3]

 「師:在席の皆さん、聞いていますか? 聞こえましたか? 大法弟子が行なわなければならない三つのことを必ずしっかり行なわなければなりません。煉功しなければなりません。圓満成就していない限り、煉功しなければならず、法を勉強しなければなりません。大法弟子が行なうべき三つのことを行なわなければなりません。これは必ずしなければならないことです」[3]

 この数日間の煉功中に思想業力を消去していた経験から、私はこう思いました。二十数年前の子供時代からきちんと煉功していたならば、今の自分は間違いなくまったく違う状態になっていたでしょう。今まで、多くの執着心は大変苦しい思いをしながら取り除いてきて、しかも長い時間をかけていました。色欲の心に長い間苦しめられていた私は、特に思春期に、自分が大法弟子なので、早すぎる恋愛をしてはいけないと自分に言い聞かせる一方で、メロドラマにあるラブストーリーに憧れていました。特に好みの男性が興味を示してくれたとき、頭の中では二つの自分がシーソー・ゲームをやるようになり、その状態からなかなか抜け出せませんでした。ようやく師父の保護の下で一歩を踏み出せたと思ったら、次の妨害はまたやってきました。最近、煉功を強化してから向上のスピードも速くなったと感じています。早朝の煉功中に師父が取り除いて下さっているどの思想業力も、以前の私なら何日から何カ月、ひいてはもっと長い時間をかけてようやく取り除くことができるものであり、しかも苦しい葛藤や排斥も欠かせませんでした。

 今までの私は内に向けて探す度にいつもある決まったパターンに陥り、色欲の心がきれいに取り除かれていないとか、どうしてこんなに苦を嘗めることができないのかなどと思ってしまい、心が苦しいのになす術がない状態が長年続いていました。

 最近、同修からヒントを得て、内に向けて探す際、私は一先ず「五式の功法を一通りできたか? 学法のとき、集中できたか? 発正念の状態はどうだったのか? 常に正念を保っていたか?」と自問するようにしています。「做すところ到るは是れ修なり」[4]。毎日、個人修煉に力を注ぐようにしてから、修煉が辛いとは思わなくなりました。

 三、突破

 1999年以前の私は幼すぎて、グループ学法に参加してもほとんど寝ていて、個人修煉の基礎がなく、煉功を重視しようとも考えませんでした。

 幼い頃、抱輪が辛いと親に訴えると、両親に「子どもには子どもの状態があるから、煉りたくなければ煉らなくてもいいよ」と言われて、煉功をやめました。大人になってから、煉功を始めるとすぐに蚊が寄ってくるので、蚊に刺されたくない私は煉功を別の日にしようと思い、やめました。国内で大学に通っていた頃、ルームメイトが寝てからこっそりと煉功し始めると、「こそこそと何をやっているの? 怪しい」と言われて、怖くなってまたも煉功をやめました。海外に来てからようやく煉功できるようになりましたが、一時、早朝に煉功を始めるや否やルームメイトも法を読み始めて、一人で公園に行こうとしても暗くて無理だと思い、煉功をやめて寝ることにしました。妊娠中、腕を上げるとすぐにフラフラしてしまい、フラフラの状態では当然煉功できないでしょう。しかし、終始、私はそれを乗り越えなければならない一つの関だとは考えませんでした! 瞬く間に二十数年が経ちました。

 この状態をしっかり認識し、突破することができなかったため、二十数年の歳月を無駄にしてきました。修煉はまさにこうです。ある次元から突き出ていないにもかかわらず、現状に満足して自惚れて、ちょっとしたことをやり遂げただけで自分が精進していると思ってしまいます。

 また、このようなエピソードもありました。昨年のある日、早朝の煉功をさぼった私は師父にお線香をあげていたとき、ふと師父の写真を見上げると、師父から「今日は私が代わりに耐えてあげた」と言われたような気がしました。このことを同修に話したところ、同修はこう言いました。「師父には何億人もの弟子がいるのです。私たちは決心して、これからは毎日煉功を欠かさずに行っていきましょう」

 師父、弟子に慈悲をかけて下さり、感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法』
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「実修」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/31/428930.html)
 
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