「正念を発する内涵を変えてはならない」を読んで
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年8月10日】最近、明慧編集部は「正念を発する内涵を変えてはならない」という知らせを発表しました。台湾はまだ香港に正念を発する必要がありますか? 香港でも中国の学習者に正念を発して手助けしてもらうことができるでしょうか? 香港のために中国はやはり正念を発するべきでしょうか? 他にもたくさんあります。考えてみれば、これこそが明慧編集部の知らせが言わんとする思考や状態なのかもしれません。

 2001年5月25日の明慧ネットに、「正念を発しよう」という最初の知らせが掲載されてから20年が経過しました。この間、世界中の修煉者が特定の問題について正念を発する習慣を身につけてきたのは、皆さんがご存知の通りです。例えば、アメリカの選挙のためだったり、病業の関門を乗り越える人のためだったり、または同修の救出のためだったり、あるプロジェクトのためだったり。要するに、地域レベルで大小さまざまに人や活動のために正念を発するように、具体的にターゲットを絞って組織化することです。あまりにも多くの要求や多くの発言、多くの論争があるため、後から入ってきた修煉者の多くは、自分が何を求められているのか分からなくなっています。

 別の明慧ネットの記事によれば、ある地域の修煉者が正念を発する目的と要点を学法グループで読み上げていたら、長すぎて5分では全部読みきれなかったようです。また一部の同修から、明慧ネットは正念を発する重要な先を更新し組織化し続けるべきだという意見も見られました。

 今回、明慧編集部の知らせを読んで私がふと思ったのは、長い間、正念を発することが旧勢力に邪魔されていたのではないかということです。なぜならば葛藤や難が発生すると、修煉者は求める心や、近道を利用したいとか、早く苦しみから解放されたいなどの気持ちになりやすいからです。正念を発することを、その「万能薬」のように扱うと、知らず知らずのうちに正念を発する意味を誤解してしまったり、変えてしまうことになります。しかし、本人はそのことに気づいていないのです。

 実際、師の説法の教えや、明慧編集部の最初の「正念を発しよう」の要点を守っていれば、あなたが望む具体的な効果は、すべてそこに含まれます。 しかし、私たちに信じる勇気がありますか? 信じようとしていますか? 本当に信じていますか? 本当に信じていれば、師が説かれたことに従うのですから、正念を発しようと思うたびに、あれもこれもと付け加えて要点を変えたり、具体的な目標を設定したりする必要はないのではありませんか。

 見方を変えれば、師が私たちに与えられたのは「大道は至簡至易である」[1]ということです。それにもかかわらず、私たちは具体的で細かい、面倒な目標ばかりを並べています。これでは法の内容が不用意に変わってしまうのではないでしょうか? 正念を発することは、とても重要で、とても神聖なことです。明慧編集部から知らせが出された今、私たち法を正す時期の大法弟子は、少なくとも冷静になり理性的に考え、健全な道を残し、後世に正しい参考を残すべきです。

 個人的な悟りです。必ずしも正しいとは限りませんが、このことを同修と共有したいと思います。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『大圓満法』「一、功法の特徴」

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/16/428221.html)
 
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