狼が捕まった物語・能動と受動の区別
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2022年2月16日】これは私が子供の頃、父から聞いた物語ですが、今の正法時期にある一部の現象と似ているところがあると常々感じていましたので、皆さんの励みになればと思って、書かせていただきました。

 ある山村で、凶暴なオオカミが老人の娘を食べてしまいました。 村の何人かの若者がオオカミを探しに行って、洞窟の中でオオカミの巣を見つけました。 若者たちは中に入って、あることに驚きました。あれほど凶暴だったオオカミがおじけづいて、このオオカミは他のオオカミの後ろに隠れて、あのオオカミはまた別の後ろに隠れて、ついに皆逃れることができず、おとなしく捕まりました。

 一見凶暴なオオカミを見ると、人は怖くなりますが、実際にはオオカミも人を恐れています。これは昔の人が言っていた「人と虎はお互いに怖がる」のではないでしょうか。あなたは本当にその巣を塞いだとき、彼らは意外にもおとなしく捕まえられました。これは受動的に迫害を受けることと、能動的に悪を滅ぼすことの違いです。

 法輪功学習者を迫害する悪人に直面する場面を連想してみると、同じことではないでしょうか。昔、明慧ネットにある文章に、ある大法弟子は階下で誰かが車の中で彼を監視していることに気づき、直接「あなたたちは何をしているのか」と聞きました。結局、相手は驚いて逃げました。

 私は以前、拘置所でハンストをしているとき、悪人は強制灌食に成功さえすれば、私に関心を持たなくなりました。ある日、私は強制灌食されるとき、心の中で師父に「もう耐えられません」と言って、後ろ手に手錠をかけられたままの手を使って、意外にもチューブを一気に引き抜きました。強制灌食に耐える姿勢から積極的に抵抗する姿勢に変わると、拘置所はすぐに私を解放しました。

 ある同修は不当提訴されているとき、警官が事情を少し知っていて強く迫ってきた時、同修は「あなたは誘導尋問にかけている」と口をつぐんでいましたが出てきました。結局、風船が割れたように、警官はすぐ気を落としてしまい、二度と法廷に戻って来ませんでした。

 私たちは悪人に直面する時、受動的に彼らに協力せず、彼らに求められて書くもの、話すものを受動的に拒否するのか、それとも能動的に彼らの背後にある邪悪な要素を取り除くのか考えなければいけません。彼らの迫害の根拠、個人情報、誰の指示かを聞き、彼らが書類や定められた指示を使うと、勝手気ままにふるまってしまいます。しかし、私たちはそのすべての行為を直接法律に直面させ、倫理に直面させ、直接彼らにどんどん問い詰めたら、彼らが慌てて逃げるかどうかを見てみましょう。

 もし、私たちは普段から邪悪な迫害の中で各610弁公室、コミュニティ、総合治安弁公室、警察署などの関係者の情報を収集し、真相と法律上の利害関係を伝え、人々に悪人の面構えと虚言を知ってもらい、その汚職、背任など様々な悪行を暴露したら、結果はどうなるのでしょうか。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/1/16/434905.html)
 
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