師恩を偲ぶ:法輪大法佛学会(シンガポール)設立25周年記念式典について
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文/シンガポールの大法弟子

 【明慧日本2021年8月31日】私が法を得たのは、1995年1月中旬のことでした。2週間後、私の家で法輪功の学習会が開かれました。それから間もなく、私の家は新しい法輪功学習者(以下、学習者)や、大法に親近感を持ち、修煉について学びたいと思っている親戚や友人たちの連絡先となりました。それ以来、私はシンガポールの他の数人の学習者とともに法を広める活動を始めました。

 シンガポールでの法輪大法の普及を促進するために、10月中旬から佛学会設立の準備を始めました。12月になって、北京法輪功研究会から、佛学会を持つすべての外国の修煉者は、関連する政府当局に協会を登録すべきだという通知を受け取りました。この通知は、師父の同意を得ています。

 1996年3月中旬、私たちは法輪大法佛学会(シンガポール)の設立に関する最終的な会議を開きました。この会議では、佛学会の正式メンバーを選出し、登録住所を確認しました。その数日後、私たちは正式にシンガポール社会登録所に法輪大法佛学会の登録を提出しました。

 6月15日に師父はシンガポールに来られました、私たちは初めて、師父が泊まっておられたホテルで師父にお会いしました。

 その時、ある学習者が師父に、「私たちはすでに法輪大法佛学会の登録を提出しており、現在、承認を待っているところです。師父に、この佛学会のために何かお言葉を書いていただきたいと思っています」 と伝えました。師父は快く「法輪大法学会(シンガポール)」と書いてくださいました。師父はまた、私たちの登録が承認されたら、自分に知らせるようにと言われました。師父は、佛学会の設立式に来るとおっしゃってくださいました。

图1:师父为新加坡佛学会题词。

法輪大法佛学会のために言葉を書き記される師父(シンガポール)

 師父がシンガポールを出発されてから1カ月後に、登録が承認されました。当時の私は、こんなに早く認可が下りたのは、師父の力があったからだと理解していませんでした。登録証を提出してから承認されるまで、わずか4カ月でした。一般的には半年くらいかかります。そこで、私たちはすぐに北京法輪功研究会にこのニュースを伝え、師父がシンガポールで、佛学会の設立式を執り行うことを希望しました。

 1996年7月27日、師父は本当に再びシンガポールに来てくださいました。10人以上の学習者が空港に行って、師父とご家族を歓迎しました。

图2:师父在新加坡机场与学员亲切会面。

シンガポール空港での師父 

 その後、師父は私たちの用意した夕食の招待を受けられました。食事中、同じテーブルに座っていた学習者は師父に名刺を渡し、師父もご自分の名刺を取り出してその学習者と交換されました。また、その場にいた他の学習者たちにも師父の名刺を配らせてくださいました。食事を終えてレストランを出るとき、広い通路を通ったのですが、ある学習者が「師父と一緒に集合写真を撮りましょう」と言ってきました。その時、その場にいた学習者の中には結婚している人も多かったのです。師父が「どこで撮りましょうか?」と聞かれ、学習者たちが提案した場所に、師父は歩いて行かれて写真を撮りました。

 それを見て、師父はいつも思いやりがあるとしみじみ感じました。師父は気取ったところがなく、学習者たちは師父と写真を撮ってもらうために場所を変え続けましたが、師父は黙って協力して下さいました。あれから15年の歳月が流れました。

图3:师父为新加坡佛学会主持成立典礼并讲法。

法輪大法佛学会の設立式を主催される師父

 この年、北京で開催された「北京国際法会」も印象に残っています。私はシンガポールの学習者たちと一緒にこの会議に参加しました。その時、私の修煉状態はあまり良くありませんでした。法をあまり勉強せず、煉功ばかりしていました。法会では、担当者の計らいで、北京の学習者の家を訪問し、修煉の経験を交流しました。この交流によって、私たちと北京の学習者の修煉状態に大きな差があることを実感しました。北京の学習者たちの修煉体験を聞いているうちに、自分たちはどんな修煉体験をしているのか考えたこともなく、ましてや修煉体験について話したこともないことに気づいたのです。その差は本当に大きかったのです。

 法会の最終日、師父が来られて説法されました。大きな扉が開くと、ホールで食事をしていた何百人もの学習者はすぐに立ち上がり、師父を歓迎する温かい拍手を送りました。このことは、食事を提供していたウェイターとウェイトレスを本当に驚かせました。食事が終わると、すべての学習者は迅速かつ整然とテーブルを並べ直し、師父が説法をされるのを敬虔に待っていました。法輪大法の学習者たちが、共通の目的を持って協力し合っているこの光景には、本当に驚かされました。

 師父が説法をされているとき、学習者たちは最前列に座り、近い距離で説法を聞いていました。講義が終わると、師父は学習者たちと握手をするために歩いて来られました。私は、師父が歩いて来られるのを見て、自分の修煉不足をとても恥じており、師父に申し訳ないと心の中で思っていました。しかし、師父の手はすでに伸びていたので、私はすぐに立ち上がって師父と握手をしました。師父と握手しているとき、私の頭の中は何かが震えていました。その感覚をどう表現していいのかわかりません。師父が私の体を調整し、心も調整してくださったと思うと、感情がとても揺さぶられました。

 シンガポールに戻った私は、師父の写真の前でひざまずいてこう言いました。「師父、北京で見聞きしたことは、確かに北京の学習者たちとの修煉状態の差を感じました。これからは精進していきます」と言いました。その後、私は『轉法輪』の書き写しを始めました。その1カ月後、北京国際法会に参加するために北京に行った別の学習者が、私と修煉の感想を交換し、学習者を組織して一緒に法を学ぶことを提案しました。その後、現地の学習者たちは定期的にグループでの学法を始めました。

 法輪大法佛学会の設立2周年は1998年です。当初の予定では、7月末に東南アジア法会を開催することになっていました。しかし、師父のスケジュールに合わせて、8月22日と23日に延期されました。師父がシンガポールに来られることを他の国の学習者が知ると、短期間のうちに10カ国以上から2000人以上の学習者が参加申し込みをしてきました。結局、東南アジア法会は国際的な法会となったのです。

图4:师父在一九九八年的新加坡法会上讲法。

1998年のシンガポール法会で説法される師父

 法会の最終日、法会の終了前に、師父は各国の外国人学習者や現地の学習者と集合写真を撮られました。集合写真を撮っているとき、師父はある学習者を見て、その学習者に「帰ったら、もっと修煉して、もっと法を勉強しなければなりません」と説かれました。これは、法会の後にその学習者が私に語った言葉です。

 法輪大法佛学会は、個人修煉から法を正す時期へと移行するにつれて、つまずきながらも25年を過ごしてきました。創立25周年に、無限の感謝を込めて、慈悲深い偉大な師父に頭を下げ、師父がずっと私を守り、見守ってくださったことに感謝したいと思います!  師父には何から何まで感謝しています。

 これからは、自分のやるべきことをしっかりとやっていきたいと思います。また、シンガポールの学習者の皆さんには、法を正すことが終わるまでの限られた時間を大切にして、より精進していただきたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/16/427047.html)
 
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