文/安新
【明慧日本2021年9月16日】過去の数千年の間、人類は大小さまざまな疫病を経験してきた。歴史上の有名な疫病を振り返ってみると、どれも人間の「措置」によって治めたわけではないことがわかる。雨をコントロールすることができないのと同じ理屈で、人間は疫病の出入りをコントロールすることはできないのだ。
しかし、毎回の疫病の中で、疫病が「迂回」したという奇跡が残されていることもわかった。
身を捨て師を埋葬し 子どもを助けた義者は安泰である
清朝の学者である朱梅叔は、『埋憂集』の中にある地域で、疫病が発生したときの様子を記述している。「数十人の家族がいて、みんな死者の上に枕をして亡くなり、その死者を触ると死ぬに決まっている。陳君山に師事した王玉錫という書生がいたが、彼の師の家族は疫病に感染し、父親、息子、妻、子どもの5人が一晩で死んでしまい、親戚や近所の人は誰も扉を開けて見る勇気がなかった。王玉錫は『師の家族が埋葬されないでいるのを、黙って見ていられるだろうか?』と言った。そこで、家の中に入って死者を一人ずつ棺に納めたところ、おくるみに入った微かに息をしている子どもを見つけた。王玉錫は子どもを救出し、医者を訪ね命は助かった。王玉錫自身も無事であった。ここから分かるように、疫病は正義のある善良者に出会うと、避けていくことが分かった。
忠節を守り親孝行な婦人のおかげで 災難を免れた一家
清朝の道光15年、杭州で疫病が発生し、多くの人が亡くなり、市場の棺桶がすべて売り切れた。杭州に住む金という家族は、大晦日に扉の外で物音がして、誰かが「この家族には忠節の婦人がいる 」と言うのを聞いた。新年を迎えた翌日、金さんがドアを開けると、壁に大きな赤い丸が描かれていたことに気づき、不思議に思ったが、誰かの子供のいたずらだと思い気にしなかった。
しかし、夏になって感染がますます広がり、近隣の家族は誰も助からず、金さんの家族だけが無事だった。金さんははじめて赤い丸の意味を理解し、それは疫病の使者が付けた印であることが分かった。
なぜ疫病の使者は金さんの家の壁に丸を記したのか? それは、金家の嫁(旧姓は銭)は、30年以上も忠節を守り続けていたからだ。忠節を守る女性は、従来から神に賞賛されているのだ。金家の嫁が積んだ功徳のおかげで、一家は災難から救われたのである。
三代にわたる善行を行い 疫病が遠ざかる
宋朝の状元である馮時行は、功名を得る前のある元旦の早朝に出かけると、多くの奇怪な姿の人々に出くわした。馮時行は恐れずに彼らを叱り、「何をしようとしているのか」と尋ねた。 彼らは「我々は皆疫病の使者だ、年の初めに人間に疫病を撒き散らすのだ」と答えた。
馮時行は、「私の家にも疫病が発生するのか?」と尋ねた。
疫病の使者は、「いいえ」と答えた。
馮時行は、「それはなぜだ? 」と尋ねた。
疫病の使者は、「あなたの家は三代にわたって徳が高く、悪いことをしている人を見たら止めるし、良いことをしている人を見たら褒め称えたからだ。あなたの家の子供も孫もみんな大成するだろう、あなたの家に行くわけがない」と言い終えると、姿を消した。
疫病が流行したその年、馮家はその地域で唯一無事の家族だった。
歴史は後世に残された貴重な知恵の源である。古来、社会では儀礼や道徳が崩壊することにつれ、それと伴い疫病が発生していた。昔から「禍福はもともと定まっておらず、ただ人が自分自身で招くものである」と言われている。数千年来、歴史はこのような疫病の物語を繰り返し語り、後世の人々に災害が発生したときには、徳のある者、粘り強い者だけが平和と健康に恵まれることを思い起こさせ、啓発してきた。
善い行いをした人には幸運が訪れ、悪い行いをした人には不幸が訪れる。今、自分や家族、友人のためにできる最大の善行は中共から離れることであり、家族や社会に災いをもたらす最大の悪行は法輪功への迫害を助長することである。