明慧法会|警察は私たちが家に帰るのを見送った
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2021年9月21日】2016年3月22日の深夜、私と同修法輪功迫害の実態が書かれたポスターを掲示する過程で、地元の警察に連行されました。3時間以上の善と悪の戦いを経て、最終的に私たちは無事に家に帰ることができました。わずか3時間でしたが、2006年の初めにやっと大法の修煉に入った修煉者にとって、このすべては生と死の試練に等しいものでした。善と悪の戦いの過程で、私は師父のご加持、法の偉大さ、全体の力、慈悲の巨大なエネルギーを深く感じました。

 その日、私と同修は、もともと夜11時を過ぎてから県の郊外に行き、大きなポスターを貼ることに決めていました。しかし、前夜の内に私ははっきりした夢を見ました。夢の中で4人の男の子が私を引っ張り、私は振り払いたかったのですがどうしても振り払えず、1人を振り払うとすぐにまた1人がやって来て、私の両腕をしっかり握ったまま私が離れることを許さないのです。私は焦ってどうしようもなくなり、最後に驚いて目を覚ましました。その時私は、「どうしてこのような夢を見たのか」と不思議に思いましたが、自分はその時の修煉状態はよく、その上自分に協力した同修2人の修煉状態も良かったので、この夢を私は気にとめませんでした。ものごとが過ぎ去ってから私は突然やっと、「あの夢はきっと師父の慈悲なる啓示だったのだ」と思い出したのです。

 ポスターを貼る前、私たちはいつものように心を静めて30分間正念を発し、心の純粋さと正念の強さを感じると、11時に時間通りに出発しました。途中で私たち3人は、「兄は車を運転しながら地形を観察し、適切な場所を見つける。姉は、のりを塗る。私は若く、動作がすばしこいので、外に出て行って貼る」と呼吸をぴったり合わせました。不思議なことに出発前、姉が「右腕が痛く、曲げるのに骨が折れる」とぶつぶつ言っていたのですが、のりを塗り始めると途端に痛くなくなり、平常と変わらず敏捷だったことでした。

 信号を一つ通り過ぎ、だいたい50メートルぐらい離れた距離で、兄が「道路の右側の分離帯の位置がいい」と合図し、私は急いで車を降りて貼っていましたが、思いもよらなかったことに1枚貼り終えたばかりの時に、姉が私に「ちょっと、早く! 早く車に乗って! 警察よ!」と大声で言っているのが聞こえてきました。私が車に駆け戻った時、扉がまだ閉まる前に、パトカーはすでに私たちの車の前で轟音を立てていました。2人の警官がおりてきて大声で怒鳴り、壁に貼ったポスターを見て、車内を捜査し始めました。この時は車内にまだ貼り終えていないたくさんのポスターがありました。警官は、警官の数が足りないと思ったのか、電話をして、もう1台のパトカーを呼んだので、警官は4人になりました。

 目の前のこの状況に直面しても、兄は落ち着き払っていました。兄は「私たちは悪人ではなく、悪いことをしておらず、行っているのは人を救う正しいことなのです」と警官たちに説明していました。警察は話を聞かず、私たちをすぐに公安局に連れて行こうとしました。このような膠着状態はよくないと私たちは見ていたので、警官たちと行くことに同意しましたが、パトカーには乗らないと私たちはきっぱりと決めていました。なぜなら私たちは犯人ではなく、私たちは自分の車を運転するというと、警官たちは同意しました。このようにして2台のパトカーが私たちを挟んで公安局に到着し、途中で姉は「早く正念を発しなければならない」と私に注意を促しました。

 公安局に入ると、公安局内の警官がみな出動し始め、中から外から、出たり入ったりしており、自分たちが強大な敵に向かっているのを目にしました。私たちはある大きな事務所に連れていかれ、警官たちはそれぞれの位置についていました。審問する者、写真を取る者、録画する者、事務所の中にも外にもみな警官がいました。しかし、警官たちに直面しても私たちは落ち着いており、恐れを感じませんでした。警官が私たちに名前と職場の報告を求めた時、2015年に私たち3人はすでに、江沢民告訴に参加していたことを考慮しました。今日は本名と職場を報告し、ここで正々堂々と法を実証すべきであり、法輪大法を修煉している人が、みなどのような人間かを、この場にいるすべての警官に知らせなければならないと思いました。

 この時、私たちのこの一念が法に符合したのかもしれません。私たちが各自名前と職場を報告した後、警官たちの態度がすぐに柔らかくなり、私たちを見る目が変わったことに気づきました。中共メディアのプロパガンダの中で、警官たちの印象は、法輪功を修煉する人はみな、異なる種類の人間であるというものだったのかもしれませんが、今、警官たちの目の前に立っているこの3人の修煉者は、きちんとした服装で、エレガントな態度で、さらに深い教育を受けているのです。警官たちが、私たちの映像を録画する過程で、カメラと向き合っても、私たちは恐れず、臆することなく大法の真相を伝え、法輪大法が世界に広く伝わっていることを伝えました。そして全国ですでに20万人を越える人が江沢民を告訴していることも伝えました。約1時間が経ち、警官たちは、私たちを警察署に送るためにパトカーに乗せようとしましたが、「私たちはよい人であって、パトカーに乗らず、自分の車に乗る」ことを主張しました。警官たちは真相を聞いてわかったようであり、私たちを困らせませんでした。

 警察署についた後、私たち3人は別々にされ、単独で審問されました。以前は一緒だったので、正念がまだ比較的強かったのかもしれず、自分の心の中に頼りになるものがあるように感じていましたが、しかし、この時は頼りになるものがないのです。私は心の中が少しぐらつき、ネガティブなものが戻ってきました。「この状態はよくない、危険だ!」と私はすぐに気づきました。すぐに自分を調整し、すぐに正念を発して自分の空間場と、考えの中のすべての良くない物質を、滅しつくさなければなりませんでした。

 応対していたのは若い警官で、しきりに質問をしてきました。「いつ大法を学んだのか? なぜ大法を学ぶのか? 国はすでに法輪功を問題視しているのに、なぜまだ続けているのか、政府に逆らうのか?」と質問を次から次へとしてきました。私はしばらく答え方がわからなかったのですが、この時、私は慈悲深い師父を思い出し、大法を思い出し、自分が担っている責任と使命を思い出しました。考えがだんだんはっきりしてきました。私は、目の前の警官を、ただ真相を聞きに来た救われることを待ち望んでいる衆生であり、久しぶりに再会した自分の親戚だとみなしました。すると心から慈悲が湧き出てきたのです。それから私は話し始めました。かつての人生の困惑から、大法の博大な奥深さを伝え、人生の真の意味から大法を修煉する人が現代社会の環境の中で、一筋の清流であると伝えました。すると警官は注意深く耳を傾けて聞いたのです。

 そして私は、「ある病院で働いている小児科医は優れた医療技術を持ち、高貴な医療倫理を持っています。患者の家族はいつも彼女に謝礼を渡すのですが、家族を安心させるために、彼女はしばらくの間謝礼を預かるのです。患者が完治してもうすぐ退院する時になって、彼女は謝礼を入院部門に送り、そして預り金にするのです」と伝えました。このことに若い警官は深く感動し、思わず私に「今の病院の医者に、本当にこのような人がいるのでしょうか?」と聞きました。私は肯定的に「います、これだけではありません、農業、工業、商業、軍隊、政治、学問、どの業種でも法徒は乾坤を正し、大法弟子はあらゆる分野にいますが、すべてみなこのような人です!」と答えました。警官は「人生に対して私にも多くの疑問があり、多くの問題が解けず、また苦しんでいます。今日あなたが伝えてくれたこの話を聞いて、今後機会があれば必ず『轉法輪』を読んでみたいと思います」と言いました。すると、警察署の副署長がドアを開けて入ってきて若い警官を出させました。この時、私は自分がいま乗り越えることに成功したことに気づきました。

 しばらくしてから、あの若い警官が戻ってきて「あなたはもうすぐ家に帰れそうです」と伝えました。しかし、この時の自分の頭の中にはすでに家に帰るという概念は抜けてしまい、心の中ではただ衆生のことを考え、人を救うことだけを考えていたのでした。私が審問されていた部屋から出てきた時、兄と姉はすでに外で私を待っていたのが見えました。見たところ、兄と姉は、私よりきっとさらにうまく行ったように見えました。この時点で、まったく越えることのできない巨大な魔難が、私たちが大法から修煉して出した慈悲の中で溶けていったのだと私は思いました。

 私たちが車に乗り、車を動かしながら振り返ると、警察署のすべての警官が一列に並んで、私たちが家に帰るのを見送っているのが見えました。私は視界がぼやけ、この人たちは、私たちを連行し審問した警察ではなく、明らかにみな私たちの親戚なのだと思いました!

 慈悲で偉大なる師父に感謝申しあげます! 同修の皆さんに感謝いたします!

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/7/376529.html)
 
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