明慧法会|資料拠点の運営は心性を修め協力すればより良いものになる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年10月6日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年(訳注:2018年)70歳で、修煉する前、常人の名、利、情や憎しみの中でもがき、何が正しくて、何が間違っているかわからず、生命が知らず知らずのうちに低下し、乱れていきました! 幸運だったことは私が大法を修煉し始め、法を正す時期の大法弟子になったことで、これは私の生命の中で最も光栄で、最も幸福なことでした。

 瞬く間に20年が経過し、私の向上のすべてのステップはみな師父の慈悲とご加持と切り離すことはできず、私の周りにはすばらしい同修のグループがおり、前に向かって歩むように私を引っ張り、同修の全体から私は離れることができませんでした。

 私の地元の早期の資料拠点は大きな拠点であり、借りたのは平屋建ての家で、条件はよくありませんでした。その後私の地元では教訓をくみ取り、資料拠点は少しずつ師父の要求に基づき、自宅の資料拠点の方向に発展し、資料拠点を作るために家を借りてお金を費やすことはなくなり、資料拠点を必ず津々浦々にまで花を咲かせるというこの道を歩まななければなりませんでした。近くにいる同修のAさんは自分でお金を出して数台のパソコンを買い、私に会い、数人の同修にパソコンの操作を教えるよう頼んできました。私は当時ただインターネットと、ダウンロードなどの幾種類かの簡単な操作ができるだけでした。同修は私を励まし、同修の按排の下、午前中に1人教え、午後にもう1人に教えました。資料拠点から撤収してきたプリンターをパソコンの操作を学ぶ数人の同修に割り当てました。一つ一つの小さな花がこうして咲きました。

 資料拠点が増えていくに従って、私は忙しくなり、歓喜心、顕示心、闘争心、私心、嫉妬心、人を憎む心、人の目を気にする心などの自分のさまざまな人心も映し出され、さらには同修と話す時の声のトーンまでみな変わりました。

 (一)同修と協力する中で正念正行し自分を鼓舞する

 2012年、87歳の母親が大腿骨折をして、手術後に退院して家に帰り、ベッドに寝たきりで、生活は完全に自律できず、大小便もみな人が世話をしなければなりませんでした。年寄り(訳注:87歳の母親)の世話を少しするだけで私は疲れてしまい、1日やると疲労しきってしまい、学法煉功も保証できず、心性も悪くなりました。

 その日に同修が私の家にきて「お守りカードを作らなければなりません」と言い、私に組版(訳注:プリント用のレイアウト)を作ることを期待していましたが、私の態度は冷たく、身をひるがえして食事を作るためにキッチンに入っていきました。同修もキッチンに入ってきて、私は食事を作り、同修は私のそばに立ち、同修が何を言おうと私は聞かず、また心に留めず、まったく行いたくありませんでした。同修が帰った後、母は「あの人は善良ですね」と言いました。

 同修は私の態度にまったく構わずに、何度も家に来ました。私は同修の精神に感動し、自分が正しいことをしていないことに気づきました。昼間は買い物をし、食事を作り、洗濯をし、まったく落ち着かず、夜だけ組版を作りました。実際には当時(訳注:2012年)私はパソコンのファンクションキーをまったく理解していませんでした。護身符カードは表面の絵と、裏面の絵に分かれており、絵として採用されているのは裏と表は同じ絵であり、組版する前はこれらの細かい部分がみなわからず、組版が終わってからやっと間違いに気づき、表側を表す絵を裏側に組版しなければならないのに、私はそれができず、ページ上のツールアイコンを一つ一つクリックしてやっと見つけ、「水平反転」を使って長い時間をかけてやっと完成しました。

 私はレイアウトした組版をプリントした後、表面と裏面が合わず、プリントするのに一箱の紙を使い、このことによって同修の作業の難しさに拍車をかけることになりましたが、同修は一言も文句を言わず、さらに「どんなことでも私たちなら行うことができます」と言いました。表面と裏面の絵を合わせるために、同修は表面と裏面の絵を手に取って太陽に向け、針を刺して、位置を合わせた後にクリップで真ん中を固定しました。一部の絵は適切に配置されていなかったため、絵を小さくして光に当てて針を刺しました。同修たちはとてもまじめに、細かく行い、まったく無駄がなく、カードはうまくできました。同修たちは真相を伝えに出かける時にお守りを持って行き真相を聞いてくれる人に喜んで渡しました。

 お守りカードを作る過程で、同修の素晴らしい一面は全体の力が十分に現れていました。同修のAさんの80歳近い母親は床に座り、目の前に大きなカードを置き、腰を曲げて頭を低くしてカードの角を切って丸めました。お年寄り(訳注:Aさんの母親)がこんなにも穏やかで、善良で、私は心から感動しました! 何とすばらしい年配の同修でしょうか! 当初同修はお守りカードを作らなければならないと何度も私に会い、私はいつも拒絶しました。同修は私を理解せず、さらには私に無理矢理押し付けていると思い、心の中ではやりたくなくて、現在考えてみると、同修は前へ向かって歩むようにと私を引っ張り、師父が私のそばにこんなにも素晴らしい同修を按排してくださったのでした。もし私の心性が早く向上していたならば、2年前にすべきだったことが今まで遅れることはありませんでした。

 やることが忙しくて、学法と煉功が追い付かず、何かができると喜んだり、顕示したりし、カードがよくできていると同修が言っているのを聞くと、自分がどれだけ大変だったかを私は滔々と伝えました。それは確かにそうであり、その時はパソコンのファンクションキーの使い方がわからず、絵と絵の距離の調整ができず、私はメモ用紙を定規として使い、パソコン上で一つ一つ距離を調整し、マウスで絵を一つ一つ移動させ、当時の心性は低く、歯も痛くなりました。

 同修は私の状態を見ても何も言わず、私を同修の家に来させて法を学ばせました。何度も誘われ、私はまた拒絶するのも申し訳ないと思い、承諾しました。同修はわざわざ私を迎えにきてくれました。家の中にさらに数人の同修がいました。同修はみんなのために師父の広州での説法のビデオテープを再生し、聞いているうちに私は寝てしまいました。同修は私を軽く押し、私のためにアイスキャンディーを持ってきてくれ、私は目が覚めました。明らかにこれはみな同修が前もって私のためにしっかりと準備したものでした。同修のこのような「無言は有言に勝る」という行いに、私は感動し、汗顔の至りでした。

 私たちの間にトラブルが発生し、当然問題の一方は私にありました。私は同修たちに腹を立て、また同修たちを深く傷つけました。私の不合理な行動を同修たちは気にせず、なぜなら私たちは修煉者で、不愉快なことはすぐに法の中で正され、共に協力すればどんどん良くなるからでした。

 この資料拠点は少しずつ「多様」な一つの拠点に変わり、DVDの書き込み、DVDの盤面のプリント、神韻のDVDを作ること、ネット封鎖突破ソフトのミニディスク、真相DVD、真相しおりができ、足りないものがあれば補いました。しおりはとてもきれいで、学生に配るとみな欲しがり、地元で法を実証する中で大きな役割を果たしました。このような資料拠点が地元にはこの一つだけではなく、各拠点は師が法を正すことを手伝う中で大きな役割を発揮しました。

 神韻DVDのケースの紙はとてもよく、切り落とされた切り口は、浪費しないように、大きい切り口を真相ノートにし、写真を付け、資料袋やCDバッグにみな1枚入れ、真相資料の内容に基づいて異なった内容の真相ノートを入れ、細い帯状の紙は同修のためのしおりをプリントするために用いると、同修たちもみな喜びました。このすべてはみな私が行ったのではなく、みな同修たちが行ったのであり、私はカード1枚すら切ったことがなく、しおり一つでさえ作ったことはありませんでした。私はただどのようにインターネットからダウンロードし、どのようにDVDの版面をプリントし、DVDを焼き、プリントするのかを同修たちに教え、組版が必要なものは私が組版し、USBフラッシュメモリーで同修たちに渡し、同修たちが作りました。

 毎年明慧ネットのカレンダーが公開され、私は「カレンダーを作るなら、卓上カレンダーの担当者、紙を準備する者、制作工具を準備する者などが必要で、いくつかの資料拠点で別々にプリントすれば、速度はとても速くなります」と言いました。初年度私たちは7000個近いカレンダーを作りました。それぞれの学法場所にカレンダーを送る担当をしたのも女性同修で、一箱一箱のカレンダーを階上から移動し、自転車で同修の家に持っていき、再び階上に運び、疲れを感じることはありませんでした。誰もがプロジェクト全体に参加できることを大切にしていました。私は同修たちに「天上の神はみな私たちをうらやましく思い、私たちが上手くいかない理由はないからです」と言いました。

 カレンダーを完成させ、私たちは十分な真相資料、パンフレット、真相DVD、ネット封鎖突破ソフトのミニディスク、精巧で美しいカレンダー、『共産党についての九つの論評』の本を持ち、いくつかの大きな袋に入れ、遠い辺境の農村に行き、2人一組で、毎回3組が行くことができました。村に着いて一軒一軒を回って伝え、「三退」の効果はとてもよかったのでした。1回行けば1日かかり、一日飲まず食わずでも、喉が渇いたり空腹になったりすることはありませんでした。真相がわかった村民は私たちに感激し、ある村民は私たちを引き留め食事をご馳走しようとし、ある村民は空がすでに暗くなったのを見て私たちを引き留めて泊まらせようとし、私たちはその真心を感じることができました。このような状況に出会うたびに、私たちみな感激して断りました。なぜなら私たちは大法弟子だからでした。

 最も私が感動したのは大きな山の森林地区に資料を配りに行ったことでした。北方の冬は寒く、外が暗くなるのも早く、午後4時には暗くなりました。しかし大きな山の中では午後4時になった時、白雪が輝いて外は明るかったのでした。私たちは雪の森の中が暗くなってから住宅地域に入りました。山の雪は厚く、溝、堀、車の通った跡、うね溝、うね台がみな雪に覆われ、足を突っ込むと雪の中に深く入り、足元が固まっていない状態で歩き、倒れると同修が助け起こしてくれ、明るいところに向かって歩き続けました。雪がズボンの中に入り、体の熱で溶け、綿のズボンがびしょびしょになり、凍った足首がしびれ、痙攣し、手と顔が凍りました。マスクをし、あっという間に頭には霜が積もリました。その時、正面から人が来たので、安全のために、手で頭の上の霜を払い、頭に白い霜が降りているのを見られて私たちが外から来た見知らぬ人であることを知られないように、凍ってしびれた硬い手で絶えずまつげと髪の毛の上の霜を暖めようとしましたが、そんなことでどうやって暖められるでしょうか、どんなに寒さが人を襲ったとしもマスクをはずして冷気を吹き飛ばしました。

 冷気が肺に吸い込まれとても清新に感じ、頭の中で自然に「大覚は苦を畏れず 意志は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[1]という師父の詩を思い出しました。はっと心が大きくなった感じで、本当に全世界を背負って立つような勢いがありました! 私たちは苦しさを感じず、疲れも感じず、私たちは正午に出発してここまで来て、昼食も夕食も食べず、一口の水も飲まなくても、空腹や喉の渇きを感じず、ただこの上ない光栄だけを感じました。私たちは師父の法徒であり、この村の衆生は私たちを待ち望んでいたのでした!

 営林場の住人は散らばっており、1人の人も見落とさないために、遠いところや、道が歩きづらいところは、みな男性同修が行きました。明るいところならどこでもあきらめたりせず、近いように見えても、歩いてみると遠く、道が見つからず、男性同修たちは雪の深いところや浅いところに足を入れ、光のある所に向かって歩きました。同修が雪の上を歩いている後ろ姿を見て、心の中で尊敬の念が高まりました。私にはこんなに素晴らしい同修がおり、同修たちと協力して、私ははじめてこの大きな山の中にきて人を救うことができました。同修間の縁を大切にし、必ず同修たちとしっかりと協力し、共に使命を全うしなければならないと心の中でひそかに決心しました。

 (二)出遭った挫折はみな試練である

 地元の技術担当の同修もパソコンのシステムのインストールと、プリンターのリセットおよび簡単な分解メンテナンスを私に教えてくれました。私はパソコンのシステムのインストールをマスターし、技術担当の同修が地元にいない時、問題があるとみんな私に会いに来ました。初めてエプソンプリンターのインク連続供給システムを交換し、インクカートリッジをプリンタキャリッジに取り付けた時、プリンターは赤ランプが点灯し、パソコンはインクカートリッジがすべてエラーであることを示していました。私は一度取り外してから設置し直し、このように何度もセットと取り外しを繰り返し、立ち上がった時、足がしびれ体は不安定で、手が1回プリンターのインクカートリッジに当たり、カシャっという音だけが聞こえたのですが、それでプリンターは正常に作動するようになりました。師父はこのような方法でインクカートリッジを直してくださったのでした。私は喜び感動し、また師父が助けてくださったことに感謝しました! 自分に「しっかりと修煉します! 使命を全ういたします! 師父の恩に背きません」と言いました。

 同修のBさんの家でも小さな花が咲きました。Bさんの教育レベルは低く、Bさんに何かを書く時は一画一画はっきりと書かなければならず、パソコンとインターネットとプリンターをBさんに教えた時は本当に骨が折れ、1回また1回とBさんに教えても覚えられませんでした。私はイライラが限界になり、言葉にも善がなくなりました。しかしBさんはとてもキャパシティが大きく、私のBさんに対する態度がどんなに悪くても、Bさんはいつもにこにこしていました。私がBさんに教えることは、また私自身を修めることでもあり、私がBさんに教えているからといって、私がBさんよりも優れているなどということはなく、それは間違っていました! Bさんは学ぶのが遅く、Bさんにとって簡単ではありませんでした。その後に1台のプリンターでは供給がどうしても需要に追いつかず、もう1台が設置され、Bさんは2台同時にプリントし、Bさんたちの学法場所が必要とする真相資料の問題を解決しました。

 私はさらに農村の同修のためにプリンターのトラブルシューティングを行いました。農村の同修はパソコンあるいはプリンターに問題があるといつも同修のGさんを通じて私に声をかけてきました。同修のGさんは同修から高く評価されている年配の同修で、ずっと協調の仕事を引き受けていました。私が農村に行くたびに、年配の同修(訳注:同修のGさん)は車をきちんと手配して私と一緒に行き、車が手配できない時はタクシーに乗って行き、Gさんは私より先にお金を払い、いつもこのようでした。

 近年は、Gさんは忙しく、再び農村に行った時は私一人で行き、誰も私のために車を手配せず、技術に精通した同修が地方に行ってしまい、私が解決できない問題を相談できる場所がなくなってしまい、心の中で心細く感じ、落ち着きませんでした。これは師父が私に自分の1本の道を歩ませられたのであり、いつも杖をつきながら歩くわけにはいかないのだということが私はわかりました。私は農村に行き大体はタクシーに乗り、できるだけ同修に迷惑をかけないようにし、一人で行ったり来たりして、一旦よくない心が戻ってくると、すぐによくない心を取り除きました。

 私たちの農村の人口は多く、農民は年画(訳注:新年の幸福を願って貼る版画)や福の字が好きでした。同修は年画を送り、福音を送るというこの形式で「三退」を勧めました。

 2017年の年末、さらに一部分の年画がまだプリントし終わっておらず、プリンターが故障しました。外は寒く、機器も大きく、さらにプリンターを寒さから守るための包装が必要で、普通の車では入らず、同修は困っていました。私は「それなら天地行論壇に上がって聞いてみたらどうですか?」と言いました。私は毎朝車で地方に行き、プリンターの状態を記録し、夜に帰ってきて天地行論壇に投稿し、朝に第一に行うことは天地行論壇を開いて返信を読むことで、返信をUSBフラッシュメモリーに読み込ませ、再び車で地方に行き、天地行論壇の指導の通りに行い、帰ってきてすぐに結果を天地行論壇に投稿しました。私は数日ずっと地方に行ったり来たりし、その後に問題が解決し、年画は予定通りに完成しました。

 その時の機器の故障の処理は、ただ数日の時間だけでしたが、とても心配で、私のその焦る心も取り除きました。今(訳注:2018年)のタクシーの運転手は、車に乗るように私に言うと運転手は「すぐに出発します」と言い、私が車に乗ると、運転手は南北大道で客寄せ(客を招き入れる)し、客が少ないと運転手は出発せず、本当になんということでしょうか! 私の家の老母は90歳代で、私の世話に頼っており、私は急いで帰って昼食を作らなければなりませんでした!

 ある日の午前10時数分過ぎ、私は同修の家から出てタクシーに乗り、タクシーに乗った時に運転手は「すぐに出発します」と言いました。運転手は非常に速く車を運転し、私は喜び、まさに喜んだその時、運転手は車の向きを変えて戻り、行ったり来たりして、路上で客寄せをし、私は焦ってしまいました。運転手は私に「あなたを遅らせはしません」と言い、私を別のタクシーのところまで送ってくれました。このタクシーの運転手はそのタクシーの運転手と同様に、車を運転して路上を行ったり来たりしてぐるぐる回って客寄せをしました。もうすぐ11時になるのに、まだ走り出さないのを見て、私は運転手に早く行くように催促すると、運転手は「私はあなた一人だけを運ぶことはできません」と言いました。私は「多く払いますから」と言うと、運転手は「あなたから多くもらうことはできません」と言いました。この運転手も前の運転手と同じように「あなたを遅らせはしません」と言い、私を運転手の親族のタクシーのところまで送り、運転手の親族のタクシーのところまで着くと、運転手はまだ路上で客寄せをしていました。私は運転手に「早く行ってください」と催促し、運転手は「あなたは彼のあの車から降りるべきではなかった、彼は道路わきに数人がタクシーに乗りたがっているのを見て、乗り切れないからあなたを追い出したのです」と言いました。この運転手はまだ悪くなく、客がいっぱいにならないうちに出発し、道の途中で再びタクシーに乗る人がおり、その運転手の車もぎっしりと詰まり、運転手の収入に影響しませんでした。

 今回は、これは師父が弟子に心性を修めるのを手伝ってくださったのだということを私は知っており、家に帰って母のために昼食を作るのも遅れませんでした。

 ここ数年来、同修が電話をかけてくれば、機器にトラブルが起こったのだとわかり、工具を持っていったん行くと決めたら必ず行き、同修が焦っているのではないかと心配し、私はその心情を理解しました。最も初期の同修のCさんの家の資料拠点は、私たち3人がお金を出して立ち上げたものでした。何もないところから始め、問題が出れば人を探し、人はいつまでたっても来ず、心配で、これは私が深く体験したことでした。ですから私は天気が良くても悪くても、いつ何時呼び出しが来ようと準備はできていました。

 時には大雨が降っており、私が外に出ようとすると、子供が「外は雨が降ってるよ!」と言いました。私は「法を正す修煉の道で立ち止まることはできません!」と言いました。大雨の中を同修の家に向かって歩き、ズボンが雨に濡れ、靴が濡れ、心の中で「大法弟子には何の障害もない」と言いました。誇りを持って同修の家に着き、ドアを叩いても誰もおらず、心はかき乱され、私はわざわざ雨の中ここまで来たのに、あなたは家で待っておらず、信用してくれず……、家に帰る路上で「何の障害もない」という誇りはなくなり、恨みが渦巻いていました。

 同修はこんなに強い雨が降っているのを見て、私が来ることができないと思い、出かけたのでした。再び時間を決めていき、私は時間通りに同修の家に着き、ドアを叩いても誰もおらず、同修はまた信用しませんでした。私は姉の同修のEさんに電話をし、電話で怒りを抑えきれず、私は「もう関わりません、二度と来ません」と言いました。Eさんも急いでオートバイでやって来て、同修に腹を立てました。この時に同修が帰ってきて、Eさんは「あなたは人を来させたのに、どうして家で待っていないのですか?」と言いました。同修は「ちょっと外出しただけです」と言いました。Eさんは「あなたも人が来るのを待ってから出かけなければなりませんよ」と言いました。この時私の態度は悪く、同修が私の時間を浪費した……と言いました。

 修煉の中で現れたことはすべて試練であり、みな修めなければならないことであり、表面から見れば、同修は私を信用してくれず、実際この出来事を通して私の心性が低いということがさらけ出され、さらに「私のため」に立って問題を考えており、しっかりと修めている同修の言葉は善に満ちており、それに対して私が話した言葉は同修を泣かせるものでした! 師父は「皆さんはみな修煉者です。私はいつもこのようなことを話しています。つまり、もし善の心で、全く利己的なものがなく、全く自分のことを考えず、完全に相手のためになるようにと思っていれば、話したことに相手は感動して涙するのです」[2]と説かれました。私は本当に師父の教えに応えることができませんでした。

 その後また同様のことが起き、農村に行ってまた雨が降りました。雹を伴う大雨で、現地で下車し、道路の上はみな泥水で、私たちは水の中を歩いて同修の家に着くと、家には誰もいませんでした。心の中でまた焦りましたが、すぐに落ち着くことができ、同修を責めずに、同修を理解しました。これが修煉であり、これが向上でした。

 (三)同修の献身的な技術サポートに感謝する

 「天地行論壇」は私が技術を学ぶ最もよい場所でした。私はその時は問題があっても投稿してアドバイスを求めることはせず「天地行論壇」で1ページ1ページ他の人が投稿したノートを見て、自分が解決しなければならない問題を探し、多くの時間を要しましたが、私は多くの難題を解決しました。その後自分のアカウントを登録し、問題があると「天地行論壇」の同修と直接コミュニケーションをとり、私は機器の方面の多くの問題を解決し、同時に修煉の上で私の心性も向上しました。

 2016年「5.13」ニューヨーク大パレードのミラーリング(訳注:スマートフォンの画面を大画面に表示させること)を私は作ることができず「天地行論壇」に「既製のミラーリングサイト求む」というページに投稿しました。返信で「既製のミラーリングサイトでは法は伝わりません、自分を信じなければならず、何度かトライしているうちにわかるようになったので、あなたも試してみてください」と言ってきました。「天地行論壇」の同修が返してくれた返信を見て、私は暖かさを感じ、言葉の中に優しさがあり、私に自信と励ましを与え、私は再びしゃんとし、必ず頑張り続けなければならず、正念が足りている時に、私はすぐにミラーリングをマスターし、さらに他の同修に教えました。

 それは2015年のランタンフェスティバルの時、プリンターが故障し、夜の11時近くに、私は技術のメールボックスにノートを投稿し、30分後に返信をもらいました。私はとても感動し、こんなに遅いのにまだ休んでおらず、まだ働いていたからでした。このこともまた怠けてはいけないと私を激励しました!

 技術担当の同修たちはつらく、ここで「天地行論壇」の同修のみなさんに感謝申し上げます! 中国の一つ一つの小さな花はみなさんの苦労のおかげです! みなさんは私たちに技術上の指導を与えてくださっただけではなく、みんなが修煉の上でともに向上したのです。みなさんは私に返してくださった返答の中で、私が「どんどんよくなってきている」と言ってくださり、私たちは共によくなっていきましょう!

 私の能力は小さいのですが、私には全体があり、私は師父が与えてくださった能力をさらによく発揮しなければならず、ただ全体の協力の下でのみ、使命を全うすることができるのです。もし身近にいる同修たちの協力と支持がなければ、私は何ができたでしょうか? この道を歩むためには師父のご加護から離れることはできず、同修の支持と励ましから離れることはできませんでした。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」
 [2] 李洪志師父の著作:『長春輔導員法会での説法』

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/7/376573.html)
 
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