文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年11月2日】病気に罹り、回復の兆しがなかった人が急に元気になったり、困難な状況にあった人が奇跡的に克服したりと、私たちは「偶然」に遭遇することがあります。しかし、中国の伝統的な文化では、「偶然」は存在せず、何か理由があるはずなのです。
『西遊記』には、「人間の心に一念が生じれば、天地はすべてそれを知っている。善悪が報われなければ、天地も利己心がある 」という一節があります。その意味とは、天地の神々は、人々が出す思いを知っていて、ある人は善の思いをして神々に祝福され、ある人は悪の思いをして神々に罰せられることを知っている、もしそうでなければ、天地の神々にも利己心があるはずです。
「一念」は 「刹那」とも呼ばれ、古代インドでは 「刹那」は時間の最小単位であり、「念」は 「刹那」の訳語なので、「一念」も 「一刹那」なのです。 古くから「心から生じた一念は稲妻よりも速い」と言われていますが、これは「一念は稲妻よりも速い」という意味です。一念から生まれる良い考えは、奇跡的な変化をもたらします。
ここでは、一つの善念が、奇跡的な変化をもたらした三つの物語を紹介します。
一、一つの善念で運命が変わった
清朝末期、書道と音楽に秀でた魏戫(ウェイ・ユー)という人物がいました。また、武術も得意です。彼は、1885年に行われた郷試(きょうし)(中国で行われた科挙の中の地方試験である)の合格者の一人でした。
彼は、1882年の秋に郷試を受けに行ったとき、廣文という占い師に出会いました。廣文は、人の面相を見てその人の将来を占うことに長けていました。彼は、魏に不幸があるかもしれないと言い、また、魏は試験に落ちると断言しました。結果は、彼の言う通りだったのです。
試験に落ちて落胆した魏は、酒を飲み始めました。そんな彼を見かねた戚という年配者が、彼の悪行をみんなにバラしてしまったのです。魏は非常に怒って、彼女の家を燃やす計画を立てていました。
ある夜、その年配者の家の近所に行ってみると、彼女の家の周りには、茅で造った家に住む貧しい人たちが集まっていました。魏は「あの女が憎いとはいえ、罪のない隣人たちを巻き込むわけにはいかない」とため息をつきました。彼は計画を断念しました。
それから3年後の1885年、魏は再び郷試を受けに行きました。そしてまた、偶然にも廣文に出会ったのです。廣文は彼の顔を見てとても驚きました。「本当に不思議です」と言いました。「あなたの面相は変わりました。あなたの不幸がなくなっただけでなく、郷試にも合格するでしょう。あなたは何か良いことをしたのでしょう。何だったのでしょうか」魏が心を入れ替えて、貧しい人の家を焼くことを恐れて年配者の家を焼かなかったことを言うと、廣文は「その思いが多くの命を救い、あなたの人生もそれに応じて変りました」と言いました。
二、心からの九文字を唱えて回復した半身不随の母親
数年前、吉林省では、多くの警官が法輪大法を迫害をし、中国共産党政権は法輪大法を誹謗中傷するプロパガンダを流していることを知っていました。
ある日、警官はある修煉者の家を家宅捜索し、多くの法輪功の情報資料を押収して派出所に持ち帰りました。
法輪大法についてもっと知りたいと思った一人の警官は、こっそりとパンフレットを持ち帰りました。下半身不随で寝たきりだった彼の母親は、パンフレットを読み始めました。この警官の母親は、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えて、末期の病気から回復した人の話を読み、試してみることにしました。すると、奇跡が起こりました。彼女の体調は改善され、ついには立ち上がることができるようになったのです。
三、一言の公平な言葉で、長年の病気が治った
60代の張さんは、山東省蒙陰県の村に住んでいます。彼女は長年、腰痛持ちでした。また、背中には小さなぶつぶつがあり、かゆみや痛みを感じていました。
張さんの隣人で、ある夫婦がいました。その妻が法輪大法を修煉しているため、当局に多額の罰金を科せられました。そのため、夫はよく妻に怒りをぶつけていました。その声はとても大きく、張さんにはいつもはっきりと聞こえていました。彼女を助けたいと思いましたが、どうすればいいか分かりませんでした。
ある日、夫はまた妻を怒鳴り始めました。もう我慢できなくなった張さんは、杖をついて、背中を曲げたまま、隣の家に行きました。
張さんは、隣人の夫に「落ち着いて聞いてください。大きくなった子供たちの前で奥さんを虐待するのはよくないですよ。昔は家事もできないほど体が弱かったのに、今は立派になりました。しかし、今の彼女を見てください。法輪大法の修煉を始めてから、彼女は健康を取り戻し、家事も畑仕事もこなせるようになったでしょう」と言いました。
隣人の夫はまだ不機嫌で「私は怒らないわけがないです、私の1年分の給料では罰金を払えないのですから」と言いました。張さんは「でも、それは奥さんのせいではなく、無実の人からお金を出すように強制した共産党のせいですよ。考えてみてください。あなたの奥さんは法輪大法を修煉して以来、侮辱されても言い返したり、攻撃されても殴り返したりすることはありませんでした。そうでしょう? そして、彼女の病気が治って、彼女があなたのためにどれだけのお金を貯めたか考えたことがありますか? 私を見てください。何年も治療にお金をかけてきたのに、一向に良くならないですよ。お金をかけながら苦しさに耐えています」と語りました。
張さんの心のこもった言葉に、隣人の夫は言葉を失いました。彼はそれ以上怒りませんでした。張さんは話をしているうちに、知らず知らずのうちに背筋を伸ばしていたのです。家に帰ると、背中にあったかゆみや痛みを伴うぶつぶつが全てなくなっていました。
張さんは嬉しさと戸惑いが入り混じった状態で、隣人の奥さんに何が起こったのかを聞きに行ったのです。奥さんはこう伝えました。「夫が急に態度を変えたので不思議に思っていました。張さん本当にありがとうございました。あなたに起こったことは驚きではありません。迫害を受けているにもかかわらず、このような状況で法輪大法の学習者のために勇気を持って発言したのですから、あなたは法輪大法から恩恵を受けています」
これを聞いた張さんは、「だから法輪大法はとても奇跡的なのですね。 あなたたちが連行され、殴られ、刑を強いられ、労働による再教育を言い渡されても、まだあんなにも確固として頑強に法輪功を学んでいるのも不思議ではないですね!」と言ったのです。
張さんの一言の公平な言葉で、長年の病気が治ったというニュースは、地元の伝説となっていました。