正義感強い母は法輪大法を守る
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2022年1月10日】私の母は、若い頃から地元では有名な「男勝りの女」で、働き者で善良で、気性も激しい人です。当時、母は村の婦人隊長を担当して、ジャガイモが入った100キロの麻袋を肩に担いですたすたと歩き、若い男性たちも顔負けです。

 母はとても我慢強くて、芯が強い人です。母の思い出話によると、父と結婚する前の少女時代に、4、5年間、ずっと吐血していた時期がありましたが、山間部に住んでいて家も貧乏で、県に行って診察を受けることができませんでした。母は毎日やるべきことをやって、吐血を全く気にかけずに畑仕事もしていました。いつ死ぬかは運命によって決められると母は信じているからです。何の治療もせず、吐血はいつの間にか止まりました。

 それから、母の脇の下に腫瘍ができ、実は癌だったのです。しかし、運命の女神はもう一度母を救いました。地元には気まぐれだが医術の優れた孟先生がいて、彼の目に留まる患者なら、金をくれても往診したりしません。しかし、孟先生は母ととても仲が良いのです。なぜなら、当時、中国の食糧は定量供給制度を取っていて、孟先生の家には6人の息子がいて、毎月の食糧が足りなくて、母はよく我が家の定量を孟先生に分けていました。孟先生は母に感謝の気持ちでいっぱいで、渾身の力を込めて母を治療し、鍼灸で腫瘍を消しました。また孟先生の妻の妹が癌に罹り、病院で治らなかったのですが孟先生が漢方で治療して完治させました。

 孟先生はまた占い、風水を見る、邪気を払う、お札を書くことができます。彼は母に「もうすぐ末法の時代に入り、人間社会にたいへんなことが起きるのだ。その時になると、良い人が刑務所に入れられて、悪い人が横行する。全世界は大きな災いに巻き込まれて疫病も流行する。人類は苦難を経験した後、最終的に良い人が残り、悪い人が淘汰される」と言いました。母は孟先生の言葉をとても信じました。これは後日、母が法輪大法を信じる土台にもなりました。私の家は1982年に都市部に引っ越し、1990年に私たちの家に孟先生が遊びに来たことが有りますが、帰って間もなくして亡くなりました。私はいつも彼のことを残念に思っています。彼に道家の功能があって、中国ではいわゆる「半仙」ともいうべき人物です。もしあと何年か長く生きていれば、きっと法輪大法に出会えていたと思います。

 母はとても幸運な人で、4人の娘のうち3人は法輪大法を修煉しています。私たち姉妹の影響を受けて、母も小動物の命を大切にして、修煉者のように「飼わない、殺さない」の原則を守っています。母はとても正義感が強い人です。1999年7月20日以降、両親は想像を絶する精神的苦痛を経験しました。中国共産党の迫害によって私の家は一家離散になりました。私たち姉妹はやむを得ず路頭に迷うことになったり、不法に強制労働教養をさせられたり、不法に実刑判決を言い渡されたりして、そして修煉者である1人の娘婿は12年も刑務所に拘禁されました。母は法輪大法を修煉していなかったのですが、苦難の中で、ずっと大法の良さを信じていました。

 1999年7月20日以降、私の両親はもう安泰な日を過ごしたことがありません。両親は親切で客好きで、母はとても気前がよくて、よくお茶やタバコを出して皆さんをもてなすので、隣人はみな我が家に遊びに来るのが好きです。ある日、多くの隣人が我が家でテレビを見ながら世間話をしていたら、突然、テレビに法輪大法を誹謗し、師父を中傷する内容が放送されました。みんなまだ反応していないうちに、母は「嘘ばかりだ」と言ってテレビを消しました。

 テレビに偽造の「天安門焼身自殺」が放送された時も、母はすぐにテレビを消していました。父はとても怒って、「中央テレビの放送に間違いがあるはずがない、どうして見せてくれないのか」と言い、母は「市全体の法輪功学習者は数千人もいて、この辺りも数十人いるが、誰が焼身自殺をしたのか、あなたは聞いたことがあるの? これは明らかに共産党が法輪功を陥れているのです、これでも信じるのですか!」 と反論しました。父は言葉を失い、隣人たちも母の意見にうなずきました。

 母は私に「孟先生の言葉を私はずっと覚えている、彼が言った大きい出来事は今のことではないのか。今はまさに良い人が刑務所に入り、悪い人は横行している」と言いました。また、私の頭上に大きな光の輪があるのを見ました。私が喜ぶと輪が消えてしまうことを心配して、母はずっと私に言わず、でも「法輪功はすごい、凡人でも修煉したら、光の輪が現れるんだ」と思ったようです。母は学校に行ったことがなくて字が読めないので、修煉に自信がありません。そうでなければ、母も法輪功を修煉すると言っていました。修煉はしていませんが、師父と大法の素晴らしさと信じています。警官が姉を連行しに来た時、母は大法の本を幾重のビニール袋で包み、石炭の中に隠しました。母は心の中で李洪志先生に「李大師よ、決してあなたを尊重していないわけではありません。本当にどこに隠して良いかが分からなくて、ここが一番安全だからと思ったからです。くれぐれも私を責めないでください」と陳謝したそうです。

 母は大法の本を守るだけでなく、近所の同修に資料を届けに行くこともありました。2人の姉が同時に警官に連行され、1人の義兄が5年間の懲役を言い渡されて、私は家に帰れず路頭に迷う時期がありました。両親はとても想像しがたい苦痛を耐え忍んで、我が家は地元では噂の的になりました。それでも母の大法への信念は揺らぐことはなく、ふだんあまり外に出たがらない母がわざわざ人の多いところへ散歩に行きます。我が家のことを話題にされると、母は「私の子供たちは刑務所に入ったが、私は恥ずかしいと思わない。子供たちは窃盗や詐欺をして入ったのでなく、良い人になろうとしただけで連行されたのです。子供たちを誇りに思っています」と言っていました。

 母の態度は皆に影響しています。現地ではごく少数の人を除いて、だいたいの人は大法に対して肯定的に思っています。ある年、義兄は母と仲良しのAさんに通報され連行されました。隣人は皆「恥を知りなさい、〇〇さん(母のこと)と仲よくしているのに、こんな通報するべきではない。あの人(義兄を指す)は法を犯しておらず、これは政治的な迫害だ」とAさんを非難しました。

 母の父親は54歳で亡くなり、占いによると母の寿命も54歳までといわれました。しかし、母は善良な心を持って、若い時から人を助けることが好きで、自分の利益を必要な人に譲ることまでできるため、母は神様に寿命を延長されました。1970年代はどの家もとても貧しかった時代ですが、母は隣人の結婚式の手伝いをして、我が家の鍋や茶碗などを隣人に分け与えました。新婦は感激して母に「あなたは私の母、姑よりも優しくしてくれました。どう報いたらいいか分からない」と言ったそうです。母はこんなにも人助けをしていますので、神様の保護を受けています。母は晩年に法輪大法が世に伝え出された時、大法に会って、法輪功が迫害を受けている時、母は大法を信じて、共産党の嘘をよく暴きました。それで、母は良い報いをもらって、寿命は24年も延長されました。

 ある年、腹部に激痛がして、いつもの強い母でもその痛みに耐えられなくて、病院に行ってみると、胆石だと言われました。母は年をとっていたので、医者は手術をせずに母にたくさんの漢方薬を処方しました。姉は母を自分の家に迎えて、母に法輪功の修煉を勧めました。母は薬を捨てて大法を学び始めました。母は姉の家で師父の説法ビデオを見て、毎日姉と一緒に煉功し、数日後に体の痛みがなくなりました。家に帰ってから母は毎日3:50に起きて煉功し、昼間に師父の説法録音を聞きます。母はやっと大法の修煉に入ったと思いきや、義兄が刑務所で迫害されて死にかけたことで、母の修煉の決意は揺るぎました。

 母の最大の願いは、死ぬ時に子供に迷惑をかけないことです。「寝ている間に死ねることは、どれだけ好運なのか」とよく言っていました。母の願いはついに叶いました、78歳の時に眠りの中で安らかに他界しました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/31/432990.html)
 
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