【明慧日本2022年3月8日】ある日姉の家で朝の煉功をする時、クッションを下に置き、その上で立って煉功しました。最近右足の踵が痛むので、師父が業力を消して下さり、身体を浄化して下さっていると思い、あまり考えていませんでした。結構前から痛んでいました。煉功する時立つ時間が長く、痛みが更にひどくなるので、座禅用のクッションの上に立って足をリラックスさせ、痛みを少し和らげていました。
姉はとても厳粛な顔をし「クッションの上で長く立っていると、踏まれたところが薄くなるんじゃないの」と言いました。その時私は「なぜ人のことを考えないんだろう。クッションは同修が座禅する時にも使っているのに」と思いました。姉の家は学法グループの拠点であり、警察が数回娘に電話をして嫌がらせをしたにもかかわらず、5、6人の同修に学法ができる環境を与えています。私は姉のことを考えていませんでした。心の中で師父に「私が悪かった! 自分のことしか考えず、人のことを全く考えておらず、これは足の痛みを認めており、病気を認めていることです」 私はすぐにクッションを片付けて靴を履きました。姉は私が怒ったと思い、「いいですよ、クッションの上で煉功してください」と言いました。その時煉功をしていたので、私は何も言いませんでした。
煉功が終わって、姉とこのことについて交流しました。「今日はお姉さんに感謝しないといけないです。師父の慈悲なる点化に感謝します。クッションを片付けたのは法の中で悟ったからです。お姉さんに言われた後、私がすぐに気づいたことは師父が姉の口を借りて私の怨恨心を取り除いて下さっていることです。その時私は『師父、今日弟子が自我を放下し、完全に人の立場で考え、真に内に向けて探し、怨恨心と自我を修めないといけないと思いました』と言いました。お姉さん、今日の煉功はとてもいい感じでした。足の痛みが全くなくて、両手で輪を抱える時に腕がないかのように、座禅をする時も全身が軽くて不思議な感じでした。大法で修煉している幸せを実感しました。お姉さんに謝らないといけません。今までいつもお姉さんの悪い所しか見ておらず、指摘したり恨んだりして、自分を全然修めていませんでした」と言いました。お姉さんも修煉中での不足を見つけ、内に向けて探し、互いに比して学び、比して修し向上することができました。
これからは修煉にどんなに時間がかかったとしても、師父の教えを心に刻みながら、他人のことを考えないといけません。内に向け探す時にも人の立場で探し、師父の真の実修の弟子になります。