明慧法会|村人たちはみな大法がすばらしいと知る
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2022年3月12日】私は2002年に修煉を始めた農村の女性弟子で、今年70歳です。法輪大法を修煉する前は、神経症、坐骨神経痛、足が痛くて夜も眠れず、腕が痛くて水差しさえも持てず、頻繁にショック状態になるなど、全身に症状がありました。体の具合が悪くてイライラし、 怒るとテーブルをひっくり返しました。夫を罵り、家族は心中穏やかではありませんでした。

 法輪功を学んでからは、健康状態が良くなっただけでなく、気性も良くなりました。近隣住民はみな「奥さん(近所の人の私の呼び名)は法輪功を学ぶ前、何も仕事をせず、旦那さんを叱っていましたが、今は打って変わって、奥さんはすべての仕事をし、旦那さんは仕事もせず、機嫌が悪いと奥さんを叱るが、奥さんは怒ったりしません」と言いました。

 一、水差しを持ち上げられなかった私がバケツの水を運べるようになった

 2002年、北京の親戚に頼まれて、数日親戚の家に滞在したことがありました。私は体調が悪くて行きたくなかったのですが、親戚が何度も電話をしてくるので行きました。私が行った時は、親戚と一緒に病院でお年寄りの世話をしました。

 ある日、私は突然ショック状態になりました。ショック状態で入院し、何とか手当は間に合いました。しかし病院では、私のショック状態の原因を突き止めることはできませんでした。親戚に迷惑をかけたくなかったので、私は退院しました。

 叔母は北京に住んでおり、叔母は早くから法輪功を修煉していました。叔母は以前『轉法輪』を私にくれたのですが、その時は学びたくなかったので、息子が本を持って行ってしまいました。今回、叔母に説得されてもう一度学んでみようと思い、叔母の後に続いていくつかの動作をしてみると、強いエネルギー場を感じました。

 叔母に教えてもらった半日後には、腕が痛くなくなり、バケツの水を自分の手で問題なく持てるようになりました! それまでは、私は水の入ったペットボトルも持てませんでした。私は嬉しくなり、法輪功を学ぼうと決意しました。娘が迎えに来てくれたので、私は娘と一緒に帰りました。帰宅してすぐに息子のところに駆けつけ『轉法輪』を渡してほしいと頼みました。息子は本を読んだだけで、法輪功の修煉はしていませんでした。私はすぐに『轉法輪』を読み始めたのですが、もっと早く読んでおけばよかったと後悔するほど本の中で説かれていることは素晴らしいものでした。このようにして、私は修煉を始めました。

 二、なんと佛法修煉だった

 法を学び、煉功するようになりましたが、法輪功は修煉であって、病気を払い健康を保つための一般的な気功とは違うことを私は理解していませんでした。毎日『轉法輪』を読んでいたにもかかわらず、常人の嗜好を放下していませんでした。時には、本を読んでいる時に誰かが来て「麻雀をやろう」と言われたら、すぐ私はついていってしまいました。

 ある日、本を読んでいたら「麻雀に行こう」と誘われたので、私は本を閉じて行こうとしました。寝室のドアにたどり着いた瞬間、誰かが呼ぶ声が聞こえましたが、誰もいませんでした。家の中にも庭にも誰もいませんでした。その声は本の中から聞こえてくるようでした。慌てて戻り、本を手に取ると声が消えました。聞き間違いかと思い、私は麻雀を打ちに行きました。その後、地元の同修と連絡を取り、法輪功を修煉するならば遊び心が強すぎてはならず、麻雀はもうやらない方がいいとわかりました。法輪功は佛法修煉だと私は理解しました。本の中の声は幻覚ではなく、麻雀をしてはいけないと私に言っていたのでした。それ以来、私は麻雀をする習慣をやめました。

 私が修煉を始めて間もない頃、師父は私の体を浄化して下さいました。私は老眼も含めてすべての病気が治りました。今(訳注:2022年11月)、私は老眼鏡をかけなくても本が読めます。家の中の仕事はすべてできるようになりました。年配の同修の1人が師父の写真をくれたので、私は喜んで壁に掛けました。また、香炉を供えて、毎日師父にお線香をあげています。

 ある日、師父にお線香をあげていると、ふと「法輪佛法」という四つの大きな金色の文字が目に入りました。その四つの文字は金色の光を放ち、映画のように西から東へとゆっくりと移動していきました。また、天国の様子も出現し、宮殿がはっきり見えました。さらに底面が白で、天面が水色の蝋燭台が二つ出現し、炎が揺らめいていました。また、テーブルの上には饅頭サイズの水晶玉が二つあり、中で七色の光を放ち、さらに回転していました。

 私が師父を見上げると、師父は笑顔で私を見てくださいました。私はとても感動しました。師父が私にこのことを示してくださったのは、私に修煉の機縁を大切にさせ、勇猛にして修行に励ませるためだと私はわかりました。

 三、未熟児を救う

 私の村で起こった不思議な出来事をお話しします。2019年夏のある晩、夕食後にドアに鍵をかけました。突然、ドアをノックする音が聞こえてきたので開けてみると、村のお姉さんでした。お姉さんは部屋に入ると、差し迫った様子で私に「孫は病院でも治りませんでした。地方にいる私の姉(大法弟子)は、電話であなたを探してほしいと言われました。私は、あなたたち法輪功がこの子を救えるかどうかを確かめに来ました。言われたことは何でもやりますからお願いします」と言いました。

 お姉さんの孫は先天性気管狭窄症で未熟児として生まれたため、命に関わる呼吸停止に陥ることが多かったのでした。私はお姉さんに「あなたは法輪功を信じていますか?」と聞きました。お姉さんは「私は信じていますし、家族全員がみな信じています」と言いました。そこで私はお姉さんの家に一緒に行きました。家に入ると、その子の母親、祖母、祖父、叔母が、その子のそばで立って見ていました。子供の口は開いていて、息も荒くなっていました。

 その後、その家族から聞いた話では、誰もがその子はもうだめだと思っており、その子を埋葬するために台車とシャベルを用意して、それを手伝ってくれる人を探していたそうです。

 私はその子供を抱き上げ、子供の名前を呼んで「大法の師父があなたを救ってくれたら、あなたの家族全員は大法を広めなければなりません!」と言いました。私は3回続けて言いました。私はその子を寝かせて、その子の祖母やその家の人たちに「皆さんは家族として、誠心誠意『法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい』と念じ、多く念じなければなりません。その後、大法師父の説法の録音を子供に聞かせてください」と言いました。その家族はみな同意し「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」と念じ始めました。

 翌日、私はその子どもの祖母の家に行きました。家に入ると、その子どものお母さんが嬉しそうに「子供は元気になりました!  午前3時によくなりました。口は閉じ、呼吸は正常で、止まることはありませんでした」と言いました。

 数日後、再びその子どもに会いに行くと、横になって遊んでいる姿が見えました。その子は体つきはスマートで、二つの大きな目がキラキラと輝き、とてもかわいい子でした。

 大法の師父はこの子どもの命を救ってくださり、子どもの家族も大法の師父に感謝申し上げました! 今(訳注:2021年11月)、その子どもは健康で強くなっています。誰かに「お子さんはどうしてそんなによくなったのですか?」と聞かれるとその子どもの家族は「法輪功の師父が治してくださいました!」と言いました。

 四、村人たちはみな法輪大法がすばらしいと知っている

 法輪大法がこんなにもすばらしいので、私は公共の場で村人たちに真相を伝え、法輪功の資料を届けました。迫害の実態を伝え、資料を配る時、私は恐れませんでした。私はよく、明慧週刊をポケットに入れて、自転車で市場に出かけました。市場に到着すると、私は左手に定期刊行物の束、右手にも定期刊行物の束を持っていました。私は右手を上げて「村人の皆さん、聞いてください、中国共産党(以下、中共)は滅びますよ。天が中共を滅ぼします。中共の党、共青団、少年先鋒隊を今すぐ脱退してください。脱退すれば平安が保たれます。これは定期刊行物です、読みたい人は持って行ってください」と伝え始めました。この時、次々と受け取りに来る人がおり、私は急いで三退しなければならない理由を伝えました。

 毎年旧正月が近くなると「明慧真相卓上用カレンダー」がありました。真相卓上カレンダーがあまりにも美しかったので、人が来て取っていったり、中にはもらえないのではないかと思い、自分で勝手に私のかばんから取り出して持って行く人もいました。時間が経つと、私のことを知ってくれて、声をかけなくても取りに来てくれるようになりました。

 とてもスムーズに行うことができ、時間が経つにつれて歓喜心が生じ、安全に気を配らなくなりました。ある日、私が市場に着いたばかりの時、この村の村役場の人に追いかけられました。私が場所を変えると、その村役場の人はまた私を追いかけてきて、私に近づいて2~3回平手打ちをし、通報の電話をかけました。私は電気自転車に乗って逃げて、村の外に出たところで、溝に落ちてしまいました。

 家に帰ってから内に向けて探してみると、私は少し不注意でした。市場で大声で真相を伝える以外にも、私はいつもその村役場の人たちの村民委員会の部署の入り口に車を乗り付けて大法の真相を伝え、そこの書記であるその村役場の人を困らせていました。師父は人の身になって考えて行動するよう説かれましたが、私はそれができませんでした。それ以来、私は村民委員会の入り口で真相を伝えることをやめました。

 二つの市場から離れた後、私は再びその村の市場に行きました。村の書記がやって来て、私を路地に呼んで「前回あなたを殴ったのは私が間違っていた。今後、市場では真相を伝えず、私のメンツを立ててください」と言いました。私は「わかりました」と言いました。市場に戻ると「前回私を殴った後、書記は腕が痛むようになった」ということを私は聞きました。書記はどちらの腕で殴っても腕が痛くなり、私を何度か殴った後、腕が何度も何度も痛くなったのでした。秘書が私に謝らなければならなかったのは、自分が報いを受けていることを知っていたからだと私は理解しました。今(訳注:2021年11月)では、私を見た人たちは「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」と叫んでいます。

 2020年の旧暦の12月5日、村民委員会の拡声器が村人全員に、PCR検査を受けるために村の広場に行くように叫んでいました。私は「人を救う機会が訪れた」と思い、より多くの人を救うために、私は師父にご加持をお願いしました。私は法輪功の資料と大法の真相お守りを持って、PCR検査を受けるための小さな広場に行きました。

 私の村には約3000人の人が住んでいました。小さな広場の東西にテーブルが置かれ、人々が列をなして次々とPCR検査を受け、私は東側で検査を受けました。人がたくさんいるのがわかったので、思い切って大声を張り上げて叫びました。私は列の外側に立って腕を振り上げ「皆さん、よく聞いてください! 伝染病を予防することは大切ですが、かかってしまうと治療法がありません。私が秘伝を伝授します。それは『法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい』と常に念じ、ウイルスが自分に来ないようにすることです。皆さん、念じてみてください! 私たちの村では、誰も感染しないように努力しています。このようにすることで、私たちは国に貢献できるのではないでしょうか?!」と言いました。

 村人たちは笑顔で私に「私たちはいつも『法輪大法はすばらしい! 真善忍はすばらしい!』と念じています」と応えました。ある人は「おばさん、この村に感染は1例も出ていないのだから、他の村にもないはずですよ!」と言いました。私は「そうです、他の村の人たちも念じているので、1例も出ていないのです」と言いました。

 東側で叫び終えると、私は今度は西側へ行って叫びました。村の役人たちは、みんな笑ってただ黙っていました。私は人々に真相資料やお守りを配りました。その時、息子がやってきて、私に腕を回して「お母さん、帰ろうよ!」と言いました。息子は恥ずかしくなったのだと私はわかり、息子と一緒に家に帰りました。息子が自分の家に入るのを見届けた後、私は広場に戻って人々に三退を勧めました。

 五、院長から「好きなところに真相を伝える貼紙を貼ってください」と言われる

 ある夏、真相を伝えようとある村に行きましたが、人通りが少なかったのです。私はうろうろと歩きまわり、地方のある病院にたどり着きました。私は「病院内には人も多いと思うので、病院に行って真相を伝えてみよう」と思いました。病院に入ってから病棟を回り、患者に「三退すれば平安が保たれます」と伝え、患者たちに「『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』と念じれば、病状が改善されます」と伝えました。

 その時、病院の院長がやってきました。驚いたことに、院長は私に「どうぞ真相を伝えてください。私は香港に行ったことがありますが、香港の街角には法輪功修煉者がいましたが、誰も取り締まったりしていませんでした。庭に工事関係者がいますから、彼らもみんな三退させてください」と言いました。この日、私は医師、看護師、患者、薬をもらいに来た人、建設作業員などを三退させ、合計29人を三退させました。

 私は喜んで院長に「将来、院長は必ず福報を得ます!」と言いました。院長は「私はもう福報を得ました」と言いました。私は院長に「どういうことですか?」と尋ねました。院長は「この間強風が吹いて、病院の周りの家の小屋は全部飛ばされましたが、私たちの病院の小屋だけは無事でした」と事情を話しました。院長は不思議に思い、出かけてみたそうです。病院の入り口の左側の柱に「法輪大法はすばらしい」と貼られており、右側の柱に「真善忍はすばらしい」と貼られているのを院長は見ました。院長は「自分と自分の病院を守ってくださったのは大法の師父だ」ということがわかりました。

 院長は私に「私の病院に自由に来て、好きなようにチラシを掲示してください」と言いました。その後、何度かその病院に行き、ある医師は修煉を始めました。

 私は20年間法輪大法を修煉していますが、その体験は語りつくせないほどあります。この間、警察に連行されたり、不当に家宅捜索されたり、中共から何度も嫌がらせを受けたりしましたが、それでも師父に対する堅い信念は変わりませんでした。子供たちも迫害を怖がっていたのですが、私の修煉に協力的になり、子供たちもみんな福報を得て、今(訳注:2021年11月)では豊かな生活を送っています。私の家は昔は村一番の貧しい家でしたが、今(訳注:2021年11月)は裕福な家になっています。

 村人たちは、私が大法を学んでいるから、神のご加護があるのだと言っています! 私は「このすべては、私が大法の修煉者であるから、師父が与えてくださった」ことを知っています。

 (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/16/433157.html)
 
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