正法修煉者と衆生済度
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2023年11月11日】地元の一部の大法弟子にある状態が現れました。彼らは現在、師父の法を正すことは終わりを迎えており、人々を済度することが最も重要なため、一緒に交流する必要はなく、時間を無駄にできないと言っています。さらに、法で交流する同修に対し、衆生を救うことを妨害していると言うようになりました。特に、農村の同修は一緒に法を学ぶことはほとんどなく、互いに法で交流することは、なお更少ないのです。修煉の過程で問題に遭遇し、随時、法で向上させることができず、それが蓄積されてしまい、体の体調不良によって現れるものもあれば、生活上の絶え間ないトラブル、家族の不理解、さらには妨害されることもありました。

 法を正す時期の大法弟子は、必ず衆生を救い済度しなければなりません。これは絶対的です。衆生を救い済度することと正法修煉は、どちらがより重要でしょうか? どちらも重要ですが、両者の位置を正さなければなりません。

 大法弟子は衆生を済度するためにここにおり、衆生を済度するために修行しています。もし、しっかり修煉できず、自分が元いた場所に戻ることができなければ、無数の衆生は救われません。ある同修は、自分が27層の宇宙から来たという夢を見ましたが、今は第17層の宇宙までしか修煉できず、よく修めなかった残り10層の宇宙の衆生は、すべて滅ぼされることになります。彼女は目を覚ますと非常に驚き、すぐに精進し始めました。したがって、個人修煉の向上を重視せず、ただ人々を済度するだけでは理性に合わないのです。

 師父は「あなたの向上、あなたの圓満成就がなければ、あなたが救った衆生はどこに行けばいいのでしょうか? 誰が彼らを受け入れるのでしょうか?」と説かれました。(『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」)

 さらに、大法弟子が一緒に学法し、交流すると、非常に純粋な修煉環境が形成され、皆の修煉と向上に大きな助けとなります。この修煉環境は不可欠であり、これは師父が私たちに残された修煉の形式です。

 個人修煉の観点から見ると、しっかり修煉すれば、大法を実証する奇跡がたくさん起こりうるため、その奇跡を必ず同修に話し、交流したいと思っています。交流したくない人は法を十分に理解していないのか、奇跡がないから伝えられるものが何もないのでしょうか? このような同修は、もっと一緒に法を学び、法理で法を理解することについて、もっと話し合う必要があるのでしょうか? 大法をより良く実証するには、どうすれば良いのでしょうか?

 私たちは正法修煉者であり、問​​題に遭遇したとき、正法修煉の観点から問題を見なければなりません。「一緒に交流する必要はない」という思惟(考え)は、本当に自分の思惟でしょうか? 師父は私たちに、いつも法理で交流し、互いに学び、自分の不足を見つけ、共に向上することを望んでおられますが、その思惟は、師父の要求と矛盾していませんか? それは、旧勢力に騙されたのではないでしょうか?  

 昔、旧宇宙では修煉では交流する必要はなく、自分で悟らなければならず、自分が悟った法理を他人に簡単に伝えることはできませんでした。法で測れば、旧勢力が按排した道と師父の望む道の違いが分かります。「真であるか偽であるか、悟りが大事なのです」(『精進要旨』「悟」)。 私たちが修煉中に遭遇するこれらの問題は、法で悟らないと、良いことと悪いことをまったく区別できず、簡単に妨害されます。大法弟子の修煉環境を妨害するために利用されることさえあります。それは、さらに大きな問題になります。

 同修が法を真に理解できることを願ってこの文章を書きました。師父が説いた通りに「真の善悪、良し悪しの分別(ふんべつ)がつき、人類の次元から抜け出すと同時に、やっと真実の宇宙及び異なる次元、異なる空間の生命を見たり、それらに接触したりすることができるのです」(『轉法輪』「論語」)。 これも法を正す時期の修煉者である大法弟子の重大な責任でもあります。

 以上、法に反している場合は、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 (責任編集、于悦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/3/467759.html)
 
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