内に向けて自分を探し、実修する
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文/湖北省の子供弟子

 【明慧日本2022年4月11日】2020年、中学生になった私は、毎日数々の宿題とハードな勉強に追われながら、時間を作って学法煉功もしなければなりませんでした。時間が経つにつれ、様々な原因により、あまり学法や煉功をしなくなりました。内に向けて自分を探したところ、勉強を第一位に置いていたため、修煉を怠ったのです。

 また、常人社会からの妨害をその都度排除することができなかったため、学法の効率が非常に悪く、時には、1、2段落を暗記するのに1時間もかかりました。内に向けて自分を探すことで、よく身の周りや他のことに妨害されていることが原因であると悟りました。修煉は常人を超えたことなので、厳粛に向き合わなければなりません。他のことに妨害されたり、様々な欲望や執着心を抱いたりすることもいけないのです。自分の問題に気付き、真剣に学法すると、暗記の効率も上がるようになりました。

 あの頃は、学校に行けず、パソコンで授業を受けていました。しかし、これによりインターネットへの執着が沸いてきたのです。本来、ネットで授業を受けることは、より楽で学法や煉功する時間が増えるはずでしたが、しかし、期待に反して、勉強や宿題に多大な時間を費やし、たとえ休憩時間でも、怠惰や安逸を求めて、学法や煉功をしなくなったのです。これではいけないことに気づいたので、直ちに自分の行動を改めました。

 授業を受ける時しかパソコンに触らないようにし、遊びたくなった時は直ちに自分の心を改め、宇宙の特性で自分自身を律するようにしています。そして、徐々に安逸を求める心や、遊びたくなる心を抑えることができました。

 昔はよく兄と些細なことで喧嘩をしていました。そして、毎回私が兄に勝っていたのです。しかし、勝っても内心では全く喜べませんでした。後になぜ喜べないかが分かりました。個人の利益で得をした場合、兄に徳を渡さなければなりません。修煉者は個人の利益のために争ってはいけないのです。この点に気づいてから、トラブルに遭ったとき、「私は大法弟子だ」と自分に言い聞かせ、利益を放下するようにした後、心が本当に楽になったのです。修煉とはこういうことなのです。

 日常生活の中で、誰かに悪いことをされても、私は怒ったりしません。しかし、トラブルが突然やってきたときは、すぐに反応できないときもあり、その後、「なぜうまくできなかったのか」と非常に後悔してしまいます。このように反省するので、次回はちゃんとできるようになるのです。

 以前、煉功するとき、なかなか心が静まりませんでした。そのときは、自分の問題を探します。まだ多くのことを放下できておらず、多くのことに執着しているなどのことが見つかったので、学法や発正念を通じて、これらの心理を取り除き、それからは、静まるようになりました。

 大法弟子は「三つのこと」をしなければならないので、私もできる限り衆生を救わなければなりません。修煉とは執着心を取り除くことであり、私にはまだまだ取り除くべき執着心がたくさん残っています。この最後のときに、全ての妨害を排除し、実修する心を固め、多くの衆生を救いたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/10/428222.html)
 
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