青年弟子:今世で願いを叶えて家に帰る--両親の病業の苦難の中で自分を確実に修める
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 【明慧日本2022年4月24日】私が生まれた時、母は既に法を得て修煉していました。私はかつての大法の少年弟子でした。今振り返ってみれば、その時の日々の修煉は極めて大切でしたが、私は大事にしていませんでした。師父の恩は広大で、また私に本来の真の自分に返るチャンスを与えてくださいました。多くの曲折を経て、私は再び聖縁と繋ぐことができました。

 一年前、母は脳血栓の症状が出て、一カ月間寝たきりの状態になっていました。母は病院に行かず、師父の保護のもと、同修たちの正念の加護のもと、一カ月と一日目に目が覚めました。四カ月後は自分で歩くことができました。その時私は仕事をやめていて、また彼とも別れました。寝たきり状態の母をみるのは、真剣に修めていない私にとって、突然のことでとても難しく感じました・・・幼い時に大法が自分の心の中に根を下ろしていたのか、この時はまだ一つの正念がありました。大法弟子は師父が見守ってくださっているので大丈夫だと知っていたので、涙を流さず、携帯を手放し、毎日同修たちと法を学び、正念を発しました。

 私はまた改めて『轉法輪』を暗唱し始めました。一回一回繰り返しながら暗唱し、また『洪吟』を暗唱し、師父の各地での説法を学びました。また法の中の、ある段落が自分を指している部分は、全て暗唱しました。法を覚えれば覚えるほど、人間の考えが少なくなると確信しました。多くの場合、ある矛盾が生じた時、師父の法はそれよりも早く現れ、すぐに私の頭の中に入って来るので、私はどのように対処すれば良いかが分かるようになりました。

 師父は、「なぜなら、彼はすでに思想の中に深い印象があったので、行動の中で何かの事をやる時、いつも煉功者の基準により自分を要求することができるから、確かに違うのです」[1]と説かれました。

 ここでは母の修煉の状態を話さず、自分の過程の中で起きた修煉の体験を話したいと思います。母が目を覚ました後、私は母に付き添って法を学びました。一文字ずつ学んだので、進み具合が非常に遅かったのです。この過程の中、私の忍耐力、モヤモヤしている心、焦っている心が鍛えられました。私が焦れば焦るほど、母はちゃんと読めませんでした。私のこの心を取り除かなければなりませんでした。私は急がず焦らなくなって、心から慈悲心が生まれたら、一字一句からもっと多くの法を見ることができました。ある時、足が痛くて座れない時、私は、「私は宇宙の大法を学んでいるんだ、こんなに神聖なのになぜ座れないのか?」と思いました。痛ければ痛いほど座禅をしていました。何時間も動かず座って、時間の制約を感じられなくなるまで座りました。家事をするとき、母は隣に座っていて、ここが汚いとかあっちもちゃんと片付けていないとかぶつぶつ言いました。最初は、私も不機嫌になり、「私にどうしろって言うの?」と不満に思いました。その後、我慢し黙っていましたが、心の中では放下することができていませんでした。忍の標準に達していませんでした。そのため、心からの九文字を反復していくと、この心の殆んどが磨かられ、心を動かさず、弁解せず、黙々とちゃんとこなすことができ、この関をやっと突破できました。

 私は自分がたくさんの犠牲を払ったと思いました。但し、ある時私が自分の犠牲を言い訳として弁解する時、ある同修から、「あなたは何をしましたか?」と問いかけられました。私はどのように答えれば良いか分からず、悔しい、とても悔しいと感じました。冷静になった後、私は多くの執着を見つけました。比較的に目立つのは人から説教されるのが受け入れられない心と面子が潰されるのが嫌な心でした。私は、座って正念を発し、これらのよくないものを取り除きました、これらは全て私ではないです。そして師父の「あなたが相手に感謝するのは当たり前ではありませんか? あなたは本当に心から相手に感謝しなければなりません。本当にそうなのです」[2]という法を思い出しました。私は心からその同修に感謝しました。ある時は、人間の心で問題を考えたりしていて、「他の同じ年代の人はこの時期何をしているんだろう? 飲んだり食べたりすることや遊ぶことばかり考えていて、青春を謳歌していることでしょう、それなのに、私は全てを失い、家で床の掃除をしている」と考えました。常人と修煉のことを話すことはできないし、同世代の修煉者も少なく、孤独感が沸いてきました。この時私は警戒しました、これは真の私ではない、後天からの観念だ、気楽を求めて、人間の幸福を求めている、 私は大法弟子だ、創世主の弟子だ、私は孤独なんかではない! 後から師父の『洪吟』の「私はもう悲しまず、落ち込まなくなった 私が待ち続けた創世の法王が来ているから 私はすでに家に帰る神の道を歩んでいるから」[3]を暗唱しました。

 ある同修の交流から、昔ちゃんと修めなかったので、現在修煉に戻った後は、毎日心性を向上するための事柄が起き、ほぼ毎日心地よくに過ごせなかったようです。私も同感でした。師父は、「また、一人の人間が修煉しようと思うことは決して容易なことではありません」[2]と説かれました。私は母同修の表の事象は見ず、母親の言動に振り回されないようにしています。何故ならば、それは本当のことではなく、私の心を取り除くためで、私を向上させるためかもしれません。

 このようにつまずきながら、小さなことが起きて、一つの執着が見つかり、取り除き、継続的に薄くし、薄くし、薄くし、後から当初とても重く感じたことも平凡に感じ、笑い飛ばせました。ある時、関をうまく乗り越えることができなくて、心の中が複雑な気持ちになった時、師父の法の「悟りに頼って元へ戻るよう修煉することは実に苦しみが多いのですが」[2]が耳のすぐそばで響きました。私は溜息をつきながら、心の中で、「そうですね、本当に苦しい!」と思ってしまいます。その時、また次の句の法が耳のすぐそばで、「戻ることもそれだけ速いのです」[2]と響きました。私は泣きたくなりました。私は理解できました。師父が慈悲で、これは悪いことではなく、師父がくださったのは一番良いものです。師父は私に帰るチャンスをくださいました。これは家に帰る道のりです。私はしっかり修煉したいと決心しました。

 後から私は家の近くのある薬局での仕事が見つかりました。顧客は少なく、暇な時は法を暗唱しました。三つのことにも支障をきたすことはなかったです。その時は修煉の状態が良く、法もとても心に入り、毎日がとても充実していて、とても落ち着いていました。私はもっとも難しい時期はもはや過ぎたと思っていて、「このままで前に進もう、非常によいのではないか」と思っていました。

 思いがけず半年前、父(同修)も突然、母の病に似たような症状が出ました。私たちは病院に行かないことにしました。父は二カ月未満で歩くことができました。父が病気になったその夜、父はベッドの上で横になっていて、同修たちもまた来ました。見覚えのあるこの場面を見て、私の心はとても穏やかでした。私は師父が按排してくださった道を進み、絶対動揺しないと思いました。その夜、私はあるおばあちゃんの同修と一緒に寝ました。彼女は私に、「あなたはどうする予定なの?」と聞きました。私は返事したかどうかを忘れました。心の中では、「師父を信じる」と考えていました。

 続いて、私は各方面からのさまざまなプレッシャーと向き合うことになりました。これらのプレッシャーがすべて私一人に向けられた時、もっと困難になったようでしたが、前の困難と比べると大したことではありませんでした。一定期間修煉していたので、少し基礎があったので、師父と大法を信じる意思は堅かったです。私は旧勢力の按排を否定し、家族愛に左右されず、毎日同修たちと法を学び、正念を発しました。

 父も目が覚めた後は、字が分からなくなりました。私は父に付き添って法を学びました。以前と同じく一文字ずつ学びました。今回も邪悪に干渉され、一つの文字に対して父は正しい読み方で読まなかったので、私たちの学びはさらに遅くなりました。継続して正念を発し、継続して学び、父をサポートすると同時に、自分を継続的に磨き、心の容量を拡大しました。「努力は、堅い志がある人を裏切らず 時間を忘れるほど、心を使って、勤めて練習する」[4]、師父の加護のもと、父は基本的に自身で法を読むことができました。

 私はまるで再度修煉し直すようでした。元々は放下したと思った執着が再び現れてきて、再び修める必要がありました。ある新しい執着が現れてきたら、心を掘り出すように取り除かなければなりません。執着をきっちり区別し、取り除きます。ある時は耐えられず大泣きする時もあります。自分の心の器が大きくないと知っているので、同修の家に行って法をたくさん学び、家に戻って笑顔で全てを対処しました。

 あるとき、私は心性を守れず、怒り出してしまいました。自分の生活が何故こんな風になったかと不満を言いました!「家の全てのことは私一人が行っている、私は二十何歳だが、誰が私の世話をしてくれるのか?」と心の中はとても悔しく思いました。この時、半年間私と連絡を取っていなかった妹から突然電話が来て、私に彼女の現在の生活がどんなに良いのか、彼氏が彼女に対してどのように優しいのか、良い仕事に就いているなど、いろいろ話しました。電話を切った後、少し彼女のことが羨ましくなり、また少し悲しくなりました。但し、このような感情は良くないと知っているため、心の中ではひたすら排斥してから、煉功に行きました。

 美しい煉功の音楽は、特に師父の言葉は、私を徐々に落ち着かせてくださいました。師父の法は一字一句ずつ目の前に現れてきました、「常人には常人の求めるものがあり、われわれはそれを求めない。常人にあるものはわれわれはありがたがらない。われわれのもっているものは、常人がほしくても手には入らないものだ」[2]。私は何を求めているのか? 私がこの世に来たのは何のためだろう? この時、師父の詩が、「苦の中で罪を消すことができ そして大法を得て天門に返る」[5]と答えてくださいました。私は師父のことが思い浮かびました、そして宇宙が見えた気がします。私の心は突然大きくなり、とても気持ちが良くなりました。人間での感想ではなく、この時私は、法を得た命はとても幸せだと感じました。

 時間と苦難は修煉者の正信を試しているし、修煉者の意志を鍛えます。師父は私の両親の命を守ってくださいました。師父が耐えてくださったのは弟子として想像できるものではないです。弟子の表の肉体に少し残ったのは、本当の修煉を通じて突破するしかありません。この過程の中には、次々と試練があります。彼らの主意識が強くない時はさまざまな表現が現れます。私は、それらは本当の彼らではないと知っていました。母が自殺しようとする時、さまざまな危険な挙動をする時、私はどうすれば良いのか? 師父と法を信じることです! 心を動かさないことです! 偽りの仮面は取り除かられました。父が溜息をついて、消極的な時、法を学ばず煉功もしない時、私はどうすれば良いのか? 法と師父を信じることです! 心を動かさないことです! まもなく、父は意識が戻った後、自ら法を学び煉功しようとしました。彼らが突然悲しくなり、家の雰囲気が気まずい時、彼らの表面の体が良くなったり良くなかったりするとき、彼らが動揺する時、私はどうすれば良いのか? 師父と法を信じることです! 心を動かさないことです! 師父は、「関や難を向上する良い機会と見なし、放下できれば、この関を乗り越えることができるのです」[6]と説かれました。正念を固めて、このように少しずつ、一歩ずつ修めて乗り越えていきます。

 時間が経つと、私はある同修が、「あの夫婦はこんなに長く修煉したのに、何故こうなったの?」と話しているのが聞こえてきました。勿論、ここには両親がしっかりしていないところがあり、執着が見つけられなかったのでもあるが、私の修煉の要素があると思います。但し、私は全ての物事には因縁関係があり、全ての命の後ろの要素は複雑で、全て偶然ではないと思います。既に発生したら、師父はそれを良いことに転換してくださいました。「なぜならあなたはその因縁関係や本質を見抜くことができないからです」[2]神様は問題をあらゆる面で見ます。人のこの目では何が分かるんだろう! ある日、私たちが理解できるようになったら、やっと「なるほどね!」と分かるようになります。私は前は、修煉は何故こんなに簡単なのかと不思議に思っていました。

 その間、私の向上はとても早かったです。命が昇華され、継続的に突破されることが実感されました、まるで押されて上に登るようでした。師父は、いつ何が起きるのかを事前にご存じで、師父が私を押してくださり、私が修煉できるように、正念で困難を立ち向かえるようにそんな大きなエネルギーをくださいました。師父に感謝いたします!

 この前、ある同修が私に車の運転を教えてくれて、彼女の娘さんは私に仕事を紹介してくれました。私が前に経験のある専門分野で、いろんな面で全てが良かったからです。修煉を通じて、私の常人の中の仕事のスキルの向上も早く、社長と同僚からも認められました。私は、これは師父がくださったとものだと思います。当初自分が失ったと思ったものが、今は失ったものが返って来たという感じがします。実は、師父は私たちに物質上に失わせた ものはなく、私たちが本当に失ったのは良くないものでした。

 一定の修煉を経て、私の心は変わり、本当の修煉者になりました。常人の中で、心性を守り、誘惑に負けず、心の中は法で満たされ、常に自分を純粋にし、生まれ変わることができ、本来の真の自分に返りました。現在、他の人は私が十七、八歳の顔だと話していました。数日前、明慧ネットから同修が書いたある詩をみて、とても感動しました。詩の最後の大体の意味は、「山の頂上に登り山を見る 一つの関一つの難はまるで雲のようである 覚者の心の中には巨大な難はない 慈悲と威厳のみある」でした。

 ある日、法を学ぶ時、師父の、「中国は太上老君の煉丹炉のように、大法弟子を熔錬しており、火が激しく燃えるほど、厳しい試練のように人心と執着を取り除いています。もちろん、この苦しみに苛(さいな)まれる過程はとても辛いのですが、作り出したのは純金です」[7]と説かれた法を読みました。師父はこのような形式を利用し、弟子を成就させています。大法で成就した命は宇宙の中で光っています。

 私はとてもラッキーです。振り返って見ると、私は本当にこの時間は最も喜ばしい時だと感じています。輪廻転生、どこが到着地点でしょうか? 今世で、修煉に精進し、人を救い、自分のためではなく、無量の衆生のためです。万古の機縁の一瞬の時に、今世に願いを叶えて家に帰ります。

 師父、ありがとうございました! 合掌!

 無私に助けてくれた地元の同修たち、ありがとうございました!

 現段階の浅い認識で、まだ多くの不足があり、師父の期待にもまだ程遠いです、引き続き努力します。同修のご指摘をお願いいたします。

 註﹕
 [1] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「北京法輪大法輔導員会議での提案」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『洪吟四』「人生の真意」
 [4] 李洪志師父の著作:『洪吟五』「神韻の出演者を讃える」
 [5] 李洪志師父の著作:『洪吟三』「天門に返る」
 [6] 李洪志師父の新経文:『シドニー法会での説法』
 [7] 李洪志師父の著作:『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/15/434270.html)
 
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