文/河北省の大法弟子
【明慧日本2022年5月10日】私は法輪大法を修煉して20年以上になります。悪の首謀者である江沢民が大法と大法弟子を迫害していた初期、私は家にパソコンがあったにもかかわらず、一度も触ったことがありませんでした。「明慧週刊」の記事で「真相DVDをDVDドライブに入れて、中の小さな鳩のアイコンをダブルクリックすれば、簡単に明慧のホームページにアクセスできる」という同修の話を読んだことがあり、また、システムのインストールや資料拠点の設立などを同修が手伝ったという記事も読み、私はうらやましいと思い「もし自分が技術を知っていたら、どんなに素晴らしいことだろう!」と思うこともありました。
それ以来「明慧週刊」の技術方面の記事にはより一層注目するようになりました。技術担当の同修の知り合いがいなくても、短期間で明慧ネットに辿り着くことができました。そこで「ゼロからの資料拠点を立ち上げ -実用技術マニュアル-」をダウンロードしました。最初はまったく理解できなかったのですが、理解できなくても読み、わからない言葉や用語があれば、常人の資料を調べて、少しずつ理解できるようになりました。その後「ゼロからの資料拠点を立ち上げ -実用技術マニュアル-」の指示に従い、自宅のパソコンにデュアルシステム(訳注:同じシステムを二系統用意してシステムの信頼性を高める手法)を導入し、それ以来、明慧ネットに安全にログインできるようになりました。その後インクジェットプリンターを購入し、自宅に小さな資料拠点を設置しました。
当初は何か問題が起こるのではないかと心配で「天地行」の技術フォーラムによく目を通しました。機器のことで問題があった場合「天地行」に問い合わせれば、ほとんどの問題は解決しました。そのため、その後の数年間、数台のプリンターを使用してきましたが、電気店に修理に出すことはなく、部品交換のための分解を含め、常に自分で修理してきました。修理に時間がかかったり、分解してから数日取り付けができないこともありましたが、その分、多くの技術を学び、経験を積むことができ、その後、他の同修に技術サービスを行うための基礎を築くことができました。
はじめての技術サービス
2014年には、Windows 7のシステムをWindows-XPに置き換える必要がありました。2013年、私は初めてパソコンのWinows7のシステムを置き換えました。
ちょうどこの時、私の住んでいる地域の同修が新しいパソコンを購入し、デュアルシステム(訳注:同じシステムを二系統用意してシステムの信頼性を高める手法)でインストールしてほしいと言われ行ってきました。結局、少ない知識ではインストールできず、2日間を浪費した挙句にうまくいきませんでした。幸い、事前にオリジナルシステムのバックアップファイルをモバイルハードディスクにコピーしており、同修のパソコンにオリジナルシステムを復元したので、同修の家族のパソコン利用に遅れは生じませんでした。システムを復旧したとはいえ、必要とされているシステムとは違いがあり、いろいろと設定する必要がありました。当時の私は「半人前」で知らないことだらけでした。パソコンがインターネットに接続されていなかったため、ブロードバンドサービスのスタッフに自宅まで来てもらい、インターネットに接続してもらいました。同修は「大丈夫」と言ったものの、同修の家族は明らかに不愉快そうでした。
この時のことが印象に残っていたのか、この同修は「大丈夫」とは言ったものの、二度と私にシステムのインストールをさせてくれませんでした。同修はパソコンを買った当初は明慧ネットにアクセスしたかったのですが、結局今(訳注:2021年11月)も明慧ネットにアクセスできておらず、年齢を重ねるにつれてインターネットのやり方を覚える気がなくなってきたようでした。同修の自宅のパソコンは常人のシステムと変わりませんでした。すべては自分がしっかり行えなかったからであり、心の中でかなり違和感を感じました。私は同修に技術サービスを提供したいという希望を持っていたので、師父はその希望をかなえるために手助けしてくださったのでした。
偶然にも、同修の家で技術担当の同修に出会いました。交流の中で技術担当の同修は「現在、技術担当の同修は非常に忙しく、時には周辺の県まで出向いて技術を提供することもあるからです」と言いました。私がある程度の基礎を持っていることを見抜いたその技術担当の同修は、他の同修のためにシステムをインストールできないか、と私に聞きました。私は「今の私のレベルでは、あえて自分のパソコンしか触らず、他の人のパソコンは触らないようにしています」と言いました。その技術担当の同修は「そんなに難しいことではありません。 ここにいる技術担当の同修は、システムディスクをパッケージ化しているので、パッケージ化されたディスクでインストールする方がはるかに簡単です」と言いました。私は「わかりました、それなら私に教えてください、もし何かあったら、バックアップをお願いします!」と言いました。これがきっかけで、私は家々を回って同修のみんなに技術サービスを提供する修煉過程を経ることになりました。
技術サービスを提供する過程で修める
私は非常に内向的な性格で、常人と接することに消極的で、人付き合いもほとんどありませんでした。しかし、同修たちに技術サービスを提供する過程で、事なかれ主義の心が大きく変わりました。まるで自分の居場所を見つけたかのように、修煉の中でこれが私の実践すべきこと、やるべきことなのだと感じました。
師父は「この肝要な時期に常人の中で身につけた知識を十分発揮させ、大法が昔、世の人々のために造成した常人の技能を利用して法を実証させるためです」[1]と説かれました。
私の知っているその技術担当の同修は、普段は忙しく、仕事をしなければならないのですが、空き時間を利用して同修のシステム導入の手伝いや真相を伝えるプロジェクトに時間を割いていました。一度だけその技術担当の同修に会った時、その技術担当の同修は「これからはあなたが○○地域を担当してください」と言いました。以前はその技術担当の同修が○○地域を担当していたとのことでした。私は「わかりました」と言い、その技術担当の同修の負担を少しでも軽くするために、仕事の一部を分担したいと思いました。実際、その後の時間の中で、その地域だけでなく、技術的な問題で困っている同修たちがいれば、どこにいても、どんな方法であったとしても、喜んで相談に乗るつもりでした。
時々私は「技術担当の同修は常人の中での出張修理のようなことをやっており、違いは、同じことをやっていても仕事ではなく修煉であり、人を救うためにやっているのであって、お金を稼ぐためではなく、むしろ無償で、時には自腹を切ってやっているのだ」と思うことがありました。普段使っているUSBメモリやツール類はすべて自分でお金を払って買い、そして私たちはそれでも疲れを感じませんでした。
技術サービスの過程で、多くの同修と接し、知っている同修も知らない同修もいて、多くは50代以上、中には75~76歳の人もいました。何歳であろうと、私は同修たちから尊敬され、時には問題解決の手助けをするととても感謝され、中には何かを私にくれなければ気が済まないという人もいるほどでした。最も表現が突出していたのは、自宅から遠く、電動自転車で50分もかかる70代の同修でした。その同修はいつも食べ物や飲み物を差し入れてくれたり、帰る時には「何か持って行ってください」とまで言ってくれたりと、とても温かく迎えてくれたのですが、そのたびに私は辞退しなければなりませんでした。2回ほど辞退しきれず、価値のあるものではなかったので受け取ってしまいました。
その同修はパソコンのトラブルが頻発し、問題が起きるといつも不安になっていました。結果、わざわざその同修のところまで行って見ましたが、まったく問題ありませんでした。ある時行ってみると、私が前回設置したものが変わっていることもありました。その同修はとても真面目で、わからないことや聞きたいことを全部ノートに書いており、私が行くとたくさん質問してきました。問題を解決し、私は注意すべきことを教えました。しかし、しばらくして「来てほしい」と言われて行ってみると、やはり同じ問題でした。その繰り返しに私は少しイライラが限界になってきました。毎回行く途中で、師父の説法を暗唱し「慈悲深く、慈愛深く……」と自らを戒め続けました。
一度、ある同修の家に行った時、その同修のプリンターのインクの出が悪く、きれいにしたらよくなったのですが、しばらくしたらまたインクが出なくなりました。プリンターのインク連続供給システムの空気が漏れていることがわかったので、プリンターのインク連続供給システムを買ってきて交換しました。インクカートリッジのレールが油分を欠いて乾いており、プリンターの内部はインクミスト(訳注:印刷時に出るインクの飛沫)だらけで本来の色が見えないほど汚れていたので、私がきれいにしました。その同修自身は数年前から使っていましたが、オイルを注入したり、中を拭いたりはしたことがなく、その同修は「使うだけならまだしも、中をいじる勇気はありません」と言いました。翌日潤滑油を持ってくる、と私は言いました。翌日、予定通り潤滑油を持って同修の家に行くと、4、5人の同修がいて「みんな、プリンターに油を注入する方法と、どこに注入するのかを教えてほしいのです」と言いました。
またある時は、同修のためにシステムをインストールすることになり、その日にちを決めました。当日部屋に入るとすぐに、私からシステムのインストールの仕方を教わりたい、と言いながら待っている同修が何人もいました。このような場面が何度かあり、それを見て私は感動しました。そこで、持参したインストール用のテキストを渡し、システムの入ったUSBメモリも数個コピーして渡しました。
私は自分が担当した同修一人一人に、できるだけ多くのことを教えようと思っていました。できることなら、技術担当の同修に頼らず、一般的な問題をできるだけ自分で解決できるようにするために、同修の能力に応じて、私が持っているすべてを教えようと思いました。ある同修は「私はできるならあなたに頼みたい、他の人に頼むと、忍耐力がなくせっかちで時々息が詰まるような人もいるからです!」と言いました。その時、私は「彼らはとても忙しく、仕事をしなければならないし、空いた時間には同修のために機器のメンテナンスをしなければならないし、簡単なことではなく、定年退職して時間のある私たちとは違うわけですから、お互いに理解し合いましょう」と言いました。
同修たちに技術サービスを提供する過程では、師父のご加護と啓示がなければやっていけなかったことでした。同修に「来てください」と言われても何をするのかわからないことが多く、ある同修はメールで「来てください」と言い、ある人は他の人に「来てください」と伝言を頼み、ある人は住所だけ書いたメモを渡し、それが誰で何をすればいいのかわからない……ということもありました。いずれにせよ、いつものようにメンテナンス用の道具を持参し、約束通り到着しました。時には雨や雪が降ることもありましたが、約束は絶対に外さないようにしていました。
ある時は、同修と約束をして、その約束の日にシステムをインストールしたノートパソコンを送ったこともありました。まさか前日に雪が降るとは思わず、道路がツルツルで電動自転車に乗れず、バスでノートパソコンを送り届けました。ドアをノックすると同修は「雪の中を来たんですか?! でも来てくれると思っていました」と言いました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法は乾坤を正す」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」