母を介護し寛容を育む
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年5月10日】母は、父が亡くなった年に86歳でしたので、今は94歳です。私と弟が交代で母の面倒を見ています。私は母と一緒に『轉法輪』を3回読み、母に煉功発正念を教えました。母はとても師父を尊敬し、師父にお香を捧げて拝みます。そのおかげで、母は福に恵まれて体がとても健康で、うっかり転んで体ごと地面に倒れても怪我をしませんでした。

 本来、このように大法の恩恵を受けている母なので、私たち母娘は睦まじい関係にあるはずですが、しかし、なぜか分かりませんが、私たち二人の間はいつも喧嘩が絶えません。ある日、母と喧嘩をした後、私の頭の中で「負けてたまるか」とある声が言っていました。その声を聞いた私は母に勝った気がして、とても気持ちが良かったのです。このような状態で母の世話をして、一日終わるととても疲れて、気分も良くありませんでした。

 心性を守って、母に対する話し方を変えないといけないと分かっていながらも、我慢できず母と喧嘩しました。母は悲しそうに「年を取ったら自分の娘にいじめられる運命なのか」と呟きました。私の行為も常人としても良くないし、まして自分は修煉者で、なおさら駄目です。どうして我慢できないのかと、とても悩んでいました。

 ある日、坐禅をしてる時に、自分が三つの大きな黒色のタイヤの上に坐っているのを天目で見ました。足がとても痛かったのです。三つのタイヤは、母と喧嘩をして作った業力だと分かりました。歯をくいしばって一分一分と痛みを我慢すると、だんだんとタイヤの色が黄色に、最後に白色に変わりました。「私は間違っている。母に対する親不孝な態度は本当に間違っている。これから必ず直します」と私は師父に誓いました。

 試練が来ました。母をお風呂に入れようとして、お湯を先に確認すると、冷たくもなく熱くもなくて、ちょうど良い温度でしたが、母は「熱すぎだ、私に火傷をさせる気か」と叫びました。母を支えて寝室に戻る時、母は「どうして私を押すのか」と叫びました。部屋の中で母が私を罵っていました、声は小さいのですが、私には聞こえました。心がしめつけられてつらかったのですが、我慢しました。それから十数日の間、母は毎日ズボンとシーツを汚し、私は黙々と片付けて、文句を一言も言いませんでした。

 私は、母が眠っている間に、1時間ほど出かけて、帰ってくると、「こんなに長い時間、留守にするのか、話す相手もいない」と言い、さらに「私は門番をするためにあなたの家に来たわけではない」と言いました。心をグサッと刺すような言葉を聞いても、私は唇をかみしめて言い返さないように我慢しました。母の言動は私の修煉を手伝うためのものだと分かっており、私は母に感謝しています、心から感謝しています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/18/440075.html)
 
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