明慧法会|中共体制内の衆生を慈悲深く救い済度する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年5月12日】私は1996年に修煉を始めました。当時私は「病気がちな人」として有名で、胃潰瘍、関節リウマチ、不整脈、心筋虚血、腰椎椎間板ヘルニア、頚椎過形成、咽頭炎、脚気(かっけ)を患い、脳血管にも障害があり、いつもめまい、不眠、麻痺ですでに半年間寝たきりになっていました。1日24時間、体に痛みがない時はありませんでした。死んだ方がいいというのはまさにその通りでした。

 夫は中国共産党(以下、中共)の体制の中で働いていました。1996年、私が人生に希望を失っていた時、省内のある県の県長が夫に「奥さんに法輪功を修煉させてはどうですか」と言いました。その県長は夫に法輪功とは何かを紹介しました。当初は生きていくためでしたが、私は幸運にも大法を修煉することになりました。

 もう他の人に面倒を見てもらわなくてもよくなり、家族全員の身の回りの世話をすることができるようになりました。体調が良くなっただけでなく、一日中楽しくて気分が良く、夢の中でも空を飛んでいました。

 私は病気休暇を終えて、職場での通常の仕事に戻りました。この時、私は体に大きな変化を遂げただけでなく、心性を絶えず向上させ、法を学ぶことで精神面も大きく変化しました。私は真剣に仕事に取り組むことができ、職場の上司に認められ、職場の人全員が法輪功が私を救ったことを知っており、このことは私が真相を伝え「三退」を勧める基礎を築いたのでした。特に「三退」の大潮流の到来で、職場の中には簡単に三退する人もいました。

 私は普段から、時には徒歩で、時には自転車で、時にはタクシーで出かけました。私は夫の車を利用しないだけでなく、家族にタクシー代を負担させることもなく、あらゆる面で真・善・忍を実践するように努めました。

 ある時、息子が私に「お母さん、1000元あげるから車代に使って、僕は清算できるから」と言いました。私は「いりません、私は真・善・忍を実践しているので、そのようなことはしないでください」と言いました。息子は感慨深げに「自分の思想境地は周りの人よりもすでに高いと思っていたけど、私よりお母さんの方がずっと高い!」と言いました。息子は父親に「お母さんにはかなわない」と言いました。

 師父は「一人が法を得れば、全家族が受益します」[1]と説かれました。私は大法の恩恵を受け、師父は私に全く新しい生命を与えてくださいました。 母と姉妹は大法の素晴らしさを知り、2人とも先に修煉を始め、まだ修煉していない他の家族も皆、大法の素晴らしさを認めていました。息子は幼いころから体が弱く、その後息子も大法書籍を読み、大法を認め、現在(訳注:2021年11月)は背が高くハンサムな男性に成長し、事業も成功し、幸せな家庭を築きました。

 差別の心なく人を救い 救われた衆生は大法を敬服する

 1999年7月20日、邪悪な江沢民のならず者集団が大法への迫害を開始し、一時は嘘で天地を覆い隠し、空には黒い雲が立ち込めていました。このようなすばらしい師父、すばらしい大法が誹謗中傷や濡れ衣を着せられ、多くの人が騙されていることを私はとても悲しく思いました。 私は自分の経験をもとに、人々に真相を伝え、師父と大法のために声を上げていきたいと思いました。実際に私もその通りに行い、私を直接迫害してきた警察署の警官や、出会った人たちに法輪功の真相を伝えました。ここでは、有利な条件を活かして、大法の真相を体制内の人々にどのように伝えたかについてお話します。

 夫の関係で、体制内の人と接することが多く、何かの理由で家に来た人もいたし、夫から「何人かで食事に行こう」と誘われることもありました。もちろん、体制内にいる人たちは、さまざまな思想を持ち、道徳水準もさまざまでした。

 師父は「その職位を見ないでください。当時師父はこの大法を伝えていた時も、人間を見るだけで、その人の社会的地位、その団体の組織形式、職業の云々などを見ておらず、何も見ないで、人の心のみを見ていました。相手を何かの高官と思わないでください。あなたは彼の命を救っているのです。それは常人のこのところでの仕事に過ぎず、今日その位にいるから幹部になっていますが、明日その位から退かされたら、何ものでもなくなります。ですから、人を済度し救うときはこれらのことを見ないのです」[2]と説かれました。

 師父はまた私たちに「今の人は本当に救いがたいのです。彼の観念に合わせて、彼の気持ちに沿って話してはじめて、耳を傾けてくれます。つまり、彼を救うために、条件があるということです」[3]と説かれました。

 ですから私は、接触できる時はいつでも真相を伝え、資料を渡し、体制内の人の具体的な状況に応じて三退を勧めました。当初、夫は私が体制内の人たちに面と向かって真相を伝えることを許さず、私をにらんだり怒鳴ったりして、私が何も言わないように極力止めようとしました。仕方がないので、私は機会を見はからって行うしかありませんでした。ある時みんなで一緒に食事をしている時に、夫がしばらく席を外したので、あわてて私が真相を伝えることもありました。食事が終わって別れる時、機会をとらえて資料を渡し三退を勧めました。

 ある局の局長は誠実で、欲をかかない人でした。その局長夫婦が私の家に来た時、私は真相を伝え、法輪功とは何かを伝え、共産党がなぜ法輪功を迫害しているのか、私がなぜ法輪功を修煉し続けているのかを伝え、真相資料、真相DVDや『共産党についての九つの論評』などを渡しました。局長夫婦は真意を理解した後、私に「奥さん、私たちはあなたの言うことなら何でも信じます」と言いました。局長夫婦2人とも、党、共青団、少年先鋒隊を脱退しました。脱退後すぐにこの局長は昇格し、非常に高い官職につきました。

 中共の体制の下で、現在、腐敗せず、後ろ暗いことをしていない役人がどれだけいるでしょうか? 少なすぎでした! ある時、政法部門の担当者が、明らかに大きな情勢の圧力の下、自分が調査されるのではないかと非常に怯えていることを私は知りました。私はその政法部門の担当者に「これから改めれば大丈夫ですが、法輪大法がすばらしいと本当に信じ、大法の師父に懺悔し、心から『法輪大法はすばらしい』と念じれば、恐れることはありません」と言いました。その政法部門の担当者は「あなたの言うことなら何でも聞きます」と言いました。私はその政法部門の担当者に真相パンフレットと真相DVDを渡しましたが、DVDを見終わった後、その政法部門の担当者はとても興奮した様子で私に「活佛が見えました!」と言いました。その政法部門の担当者の家族3人とも中共の組織を脱退しました。

 法輪功を迫害しているある県の高官が大きな悪の報いを受けました。この事件の影響は大きく、その後この県に役人として派遣されてきた者には誰であろうと事故が発生し、よい結果になりませんでした。その後その政法部門の担当者がこの県に配属されました。その政法部門の担当者は何事もなかったばかりか、数年後には市の高官に昇進しました。真相を理解して福報を得たことは真実であり偽りではありませんでした。

 真相を理解している多くの役人がみな陰で議論し、知人に「共産党はもうだめだ」と注意喚起しました。

 私は師父の「偶然に出会った人、生活の中や仕事の中で出会った人に皆さんは真相を伝えなければなりません。この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません。済度されるべき人、更に縁のある人を失わないでください」[5]という教えを思い出しました。

 ある日、副省長を含む一行が私の家にやってきました。人数が多かったため、副省長たちだけと会う機会はありませんでした。副省長を連れてきた局長に『共産主義の最終目的』を2冊渡し、1冊は局長に、もう1冊は副省長に渡して欲しいと伝え「全部読み通せばいいことがあります」と言いました。私が局長に『共産主義の最終目的』を渡したのを見た夫は私をにらみつけ、その局長は慌てて私の夫に「あなたも奥さんに救われたのではありませんか?」と言い、さらに私に「必ず副省長に渡します」と言いました。私は局長に「副省長は『三退』しましたか?」と尋ねました。局長は「いいえ、彼が三退するのを手伝ってあげてください」と言いました。私は「これは他の誰にもできないことです。三退は彼自身の同意がなければできません」と言いました。局長は「そうですね、彼は同意してくれるはずです」と言いました。

 この局長は副省長と非常に良い関係を築いており、二人とも比較的若いということも私は知っていました。その後、この局長は昇格して省に行きました。

 一度、夫が入院したことがありました。夫のもとに、省のリーダーと一緒に、ある局長が訪ねてきました。私はその局長たちに3枚の真相DVDを渡しました。その省のリーダーは「これ(法輪功のこと)がどういうものか見てみましょう」と言いながらその省のリーダーはDVDを手に取りました。その局長は慌てて「奥さん、まだありますか? 私にも少しください」と言いました。

 ある日、私はその局長に声をかけ、明慧のホームページに掲載されている真相資料や伝統文化の音声データをたくさんダウンロードしたMP3プレーヤーを渡し、同じMP3プレーヤーを省のリーダーにも渡すように頼みました。後日、その局長から聞いたのですが、その局長とその省のリーダーは、自らネット上で三退をしたそうです。ある日、その省のリーダーの妻が突然私の家にやってきて「お礼が言いたくて来ました!」と言いました。

 体調をずっと崩しているある郷の郷長がいました。私が真相を話してから、その郷長はさらに多くの真相資料を読み、三退し、いつも「法輪大法はすばらしい」と念じていました。やがて、その郷長は体調が良くなっただけでなく、精神状態や勤務態度、言動が以前の郷長とは全く異なり、まるで別人のようになりました。郷の政府機関の多くの人は、郷長が「法輪大法はすばらしい」と念じて現在(訳注:2021年11月)の状態になったことを知っていました。

 その時は、多くの友人たちが私の家で食事をし、市の党委員会の副書記も来ました。私は市の党委員会の副書記に真相を伝え、いくつかの真相DVDを渡しました。ある日、市の党委員会の副書記が嬉しそうに私に電話をかけてきて「あなたの家の食事は最高に美味しいです!」と言いました。もちろん、市の党委員会の副書記の言っていることを私は理解できました。私の家には師父の法身がいらっしゃり、その空間場は家に来た人に何とも言えない安らぎを与え、私の家には大法弟子がいて、そこには真相があり、縁のある人が私の家に来れば救い済度されることができ、我の家で行ったのは心の宴会でした!

 人々の状態は異なりますが、人を救うことに違いがあってはなりませんでした。高官になりたいだけの狡猾な人間だと多くの人から言われている局長がいました。私は「この人の生命がどのように見えようとも、この生命の態度がどうであろうと、私にはこの生命のための責任があり、真相を理解させ、救われる機会を与えなければならない」と思いました。本当にそうでした、私はその局長に真相を伝え、三退を勧めたところ、その局長はすぐに理解し、三退に同意しました。

 ある副局長が重病だと聞いたので、私は「『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と心を込めて念じてください」という伝言を頼み、さらに真相の情報がたくさん入ったUSBフラッシュメモリーをその副局長に渡しました。しばらくすると、その副局長は回復し、私を見るなり深々と頭を下げて感謝の意を表しました。私はその副局長に「感謝しなければならないのは私ではなく大法の師父です!」と言いました。

 私の家に来る人はすべて縁のある人であり、三退しなかった人、真相を聞かなかった人に対して、私はフォローし続け、三退するまで真相資料を渡し続けました。ある局長の妻は、局長の妻の夫(訳注:局長)がすでに三退していました。私は局長の妻に真相を伝え、三退を勧め、局長の妻は三退しませんでしたが、真相DVDを受け取りました。しばらくして、その局長夫婦が2人で私の家に来た時、局長の妻は中共の組織を脱退しました。

 私の周りには、大法が素晴らしいことを知っている人がたくさんいました。ある社長は、私の中に大法の本当のすばらしさが見えた、と言い、いつも私のことを一番尊敬している、ということを周囲に話していました。また、市の党委員会副書記の息子も私を尊敬していると言っていました。私が大法弟子として行うべきことをしているから私を尊敬していると言っているのだと、実際私は心の中で理解していました。しかし、実際には、私の周りの人たちは本当に法輪大法を称賛し、大法の師父を尊敬していました!

 以前、私は話すのが苦手で、家族からもよく言われていました。しかし現在(訳注:2021年11月)は、真相を伝えれば、知恵が泉のように湧いてきました。師父は「それは法があなたに与えた能力です! あなたはそれほどの能力に到達しなければならないのです。法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください」[2]と説かれ、師父は私を加持してくださいました。

 真相を伝える中での連鎖反応

 師父は「皆さんが真相を伝える事の作用は必ず連鎖反応を起こします。ある人がいったん真相が分かり、それを知るようになったら、『そういうことなのか、大法はこんなに素晴らしいのだ』と思うようになります。真相が分かった人の中に修煉しようと思う人もいれば、同情してくれる人、自らの行動をもって支持してくれる人もいます。真相を伝えることによって引き起こされた反応も、人から人へ、心から心へと広く伝わっています」[5]と説かれました。

 私は師父が説かれた法を目の当たりにしてきましたが、実はこのようなことでした。迫害が始まった頃、私の郷里で食事会があり、話の中で誰かが法輪功のことを話し、当時30代の正局級(訳注:中国の公務員制度には1級から27級までの等級があり8~13級までを「正局級」という)幹部がよくない話をし、大勢で食事をしていたので、その時は何も言いませんでしたが、私は心に刻みました。当時は、中共の嘘の宣伝があちこちで流布され、衆生を毒していました。ある日公園に行ってみると、地元の政党、政治団体、労働組合、政府などが合同で行った、大法を誹謗中傷する邪悪なパネルが大々的に展示されていました。私は「このような邪悪なものがここで衆生を毒害することを許すわけにはいかず、これは犯罪だ!」と思いました。早速、私はその日に一緒に食事をしていたあの30代の正局級幹部を探しに行きました。

 会った時、私は誠心誠意その正局級幹部に「あなた方はこの村のエリートなのですから、真相を理解できないはずはありません。今日私がここに来たのは、あなたのためであり、あなたの未来に責任を持つために来たのです」と言いました。私はその正局級幹部に真相DVDと真相資料をいくつか渡し、私の修煉体験を簡単に説明しました。真相を理解したその正局級幹部は邪悪なパネルをすべて撤去しました。

 その後、何度かさらに深く真相を伝え続け、その正局級幹部は家族を連れて私の家に来て真相を聞きました。その後「共産党についての九つの論評」、「共産主義の最終目的」、ネット封鎖突破ソフトなどを渡し、その正局級幹部もその正局級幹部の家族も真相を理解して「三退」しました。その後この人は出世して、今では地級市の市長になりました。

 一度、元の職場にその正局級幹部を探しに行くと、その正局級幹部の後任の人に会い、後任の人は「彼はすでに転勤しました」と言いました。そこで、私はこの後任の人に「私は○○です」と言い、その勢いでこの後任の人に「法輪功をご存じですか?」と聞きました。この後任の人は「少し知っています」と言い、さらに、前任者が元の職場で大法弟子たちを保護したことがあるとも言いました。そこで私は機会をつかんで、法輪功の基本的な真相を伝えました。私が真相を伝えると、この後任の人は最初は聞かなかったのですが、その後、私の家に来ることが多くなり、お互いを知ることができました。私の家の玄関に到着するやいなや「おばさん! 私です、ドアを開けてください」と叫びました。私の家に来る人はよくお土産を持って来るので、お土産をあげたり受け取ったりさせないため、ドアを開けないこともありました。この後任の人は何度か通ううちに、真相を徹底的に理解し「三退」しました。その後、この後任の人は昇進し、現在(訳注:2021年11月)はある県委員会書記を務めています。

 一度、夫が友人たちとハイキングに行き、私も一緒に行ったことがありました。ある県の党委員会副書記と政法委員会書記が私に「どうしてそんなに速く登れるのですか?」と尋ねました。私は「私は法輪功の修煉者です、修煉後、体が軽くなり健康になりました。半身不随で半年近く寝たきりの病人で、体調も悪く、気性も荒かった昔の私をご存じないでしょう。法輪功をしっかり修煉して、法輪功の師父が私を救ってくださったのです。師父は私に健康な体を与えてくださっただけでなく、人生の道理と生きることの意味も教えてくださいました。心性が向上し、体もよくなりました!」と言いました。

 県の党委員会副書記は「なんと、法輪功はとても良いものですね! 県内の法輪功修煉者の家族から相談を受けたこともありましたが、当時は法輪功がそんなによいとは知らず、気にも留めていませんでした。もし知っていたら、私はきっと彼を助けました!」と言いました。そこで、より深く真相を知ってもらうために『共産党についての九つの論評』と真相資料を渡しました。読み終わったら他の人に見せるようにお願いしました。その日、その県の党委員会副書記は党、共青団、少年先鋒隊を脱退しただけでなく、その県の党委員会副書記の運転手まで真相を理解し三退しました。

 ある日、その県の党委員会副書記から、折りたたまれた紙を渡されました。開いてみると、なんと10人以上の「三退」名簿がありました。明らかに『共産党についての九つの論評』と法輪功の真相資料のおかげであり、より多くの真相を理解することができ、完全に悟った後、友人や親族を説得して三退を勧めたようでした。

 また、真相を知っている縁のある人たちが私たち大法弟子と一緒に真相を伝え、衆生を救い済度しました。迫害が始まった頃、郷里に帰ると、郷里の学校の校長先生に会いました。当時その校長先生はまだ若く、私たち夫婦をおじさん、おばさんと呼んでいました。私はその校長先生に大法の真相を伝え、その校長先生は真相を完全に受け入れて納得しました。その校長先生は「仕事では、私はおじさんに要求されたとおりに行い、心の中ではおばさんの言う通り、真・善・忍に基づいて行い、子供たち(学校の生徒のこと)はここ(学校のこと)では悪いことを覚えないように保証します」とよく言いました。

 郷里の衆生を救うために大々的に真相資料を使って救いたいと私は思ったのですが、山間部なので交通の便が悪く、村々が離れているので、徒歩や三輪スクーターでは無理で、近場でしか配れず、何部も配ることはできず、遠くに行くこともできませんでした。このことを知った校長先生は、夜中に何度も私を車に乗せて遠方まで連れて行き、真相資料を大量に配り、時にはその校長先生は夫婦で参加して各家々に配りました。時には週末に地元の市場まで車で行き、近くに車を停めて待っていてもらい、市場で真相を伝えた後に家まで送ってもらったこともありました。

 この校長先生は、大法の真相資料を独自に配っていました。ある時、私は学校の生徒たちに真相資料を渡したいと思ったことがありました。その校長先生は「あなたはどう渡せばいいかわからないでしょうから私に渡してください、私ならどこに置けば生徒が見ることができるかわかっていますから」と言いました。

 この校長先生も出世し、妻と子供も真相を理解して中共組織を脱退しました。その校長先生の妻は私を見るなり、子供に「早くおばさんにお辞儀をしなさい!」と言いました。校長先生の子どもたちは、今(訳注:2021年11月)では良い大学に進学し、とても幸せな家庭生活を送っていました。

 これらの衆生は最高の未来を自分たちのために定めており、これは師父の慈悲と大法の威徳でした。

 夫の心に根付いた 「法輪大法はすばらしい」という言葉

 私の夫もまた中共の体制内でひどく汚染されていました。師父の法から私は「この世に来たすべての人には理由があり、すべての生命は唯一無二の尊いものだ」と悟りました。私は「夫と私が今世で夫婦になったのは縁があったからであり、私は常人の中で夫に優しくするだけでは不十分で、夫に真相を伝え、大法の素晴らしさを理解させ、夫が本当に救われるように、夫が理解している一面が働くように啓発し、これこそが夫にとって本当に良いことなのだ」と思いました。深く継続的に真相を伝え、大法を修煉した後の私自身の変化を伝えることを通して、夫は大法をとても肯定的に理解するようになりました。私は夫に「あなたは私と一緒に天から降りてきて、私と一緒に衆生を救うために協力してくれているのです」と言いました。

 現在(訳注:2021年11月)の夫は本当に別人のようです。ある時、夫は私に「私が人生で最も申し訳なく思っているのはあなたです」と言いました。私は「共産党があなたを害したのであり、今、私は人を救っていて、あなたにもできることがあります。役人たちは、表向きはあなたのおかげでここに来ていますが、実は救い済度されるためにここに来ているのです。彼らを救うのを手伝ってください」と言いました。

 夫も『轉法輪』を読み、師父の説法録音を聞き、共産党に対する理解も深まり、三退しました。正式に大法の修煉に入ったわけではありませんが「法輪大法はすばらしい」という言葉が夫の心に根付き、大法の恩恵を受けました。

 結び

 師父は説法の中で中国における脱党の大潮流について語られた時「脱党の人数が継続的に増加することはすなわち、邪党の解体の過程です。しばらくすると、中国社会でこのような状態が現れます。つまり、職場や工場、お店またはお酒の席で、ひいては家族友人の集まりの時、皆『脱退しましたか?』と聞きあうのです。(皆笑って) 『とっくに脱退しましたよ』、『あなたたちが脱党したのに、なぜ私に教えてくれないのですか?』(皆笑って、拍手) 皆さん考えてみてください、中国社会がこの状態になったら、邪党はまだ存在するのでしょうか? 悪人は強大な専制の道具さえあれば大丈夫だと思っていますが、このように知らないうちにこの邪悪を解体してしまいます。民衆の選択に対して、悪党はなす術がありません」[7]と説かれました。

 「真相は救い済度すること 真相は希望 これは洪大な慈悲の心 洪大な恩恵の中で、新紀元は開かれつつある」[8]

 この文章を書きながら、私は「師父のお心は、世界中のすべての人で満たされていらっしゃる」と千万無量の思いになりました。師父はとても慈悲で偉大であり、師父の洪大な恩恵は素晴らしいのです!

 ほとんど廃人に近く病弱だった私を、顔は輝き、軽やかに歩き、外の仕事も家の仕事も何でもできる健康な人間に変えてくださったのは、師父と大法であり、衆生を救うために常に真相を伝え、師が法を正すことのお手伝いをし、神の道を歩む大法徒になることができたのは、師父と大法のおかげでした。慈悲で偉大なる師父に感謝申し上げます! 人を救ってくださった大法に感謝申し上げます!

 残されたわずかな時間で、自分をしっかりと修め、自分が行うべき三つのことを行い、歴史的使命を無事に全うし、圓満成就して師父に従って家に戻ります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「済南での説法 質疑応答」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十三』「二〇一四年サンフランシスコ法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [6] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ法会での説法」
 [7] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [8] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「私たちは知っている」

 (明慧ネット第18回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/9/433160.html)
 
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