文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月15日】私は1997年に法輪功を学び始めました。これまでの年月の中で、慈悲深い師父は何度も私を危難(きなん:生命にかかわるようなあぶないこと)から救出してくださいました。今日は、自分の体験を書き記し、法輪大法の素晴らしさを人々に伝え、師父の救い済度の恩に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
私は村の電気工です。ある時、村全体が停電し、私は電圧計を持って変電所に行きました。農村の電気工は本格的な訓練を受けていないので、すべて独学です。経験不足のため、低圧電気を測った後、そのまま高圧電気を測ってしまいました。電圧計が測定部分に触れた瞬間「バチッ」と火花が飛び、私は3、4メートルの高さから高圧電流で投げ出されました。周囲の村人たちが慌てて駆けつけ、私の周りに集まり、どうすればいいのか分からずにいました。私は感電したと分かり、起き上がろうとしたのですが、全身に力が入らず動けませんでした。しかし、しばらくすると起き上がることができ、人々に支えられながら家に帰りました。翌日には、何ともない状態になり、親指と腕に深い痕跡が残っただけでした。私が高いところから落ちてくる様子を、村人たちははっきりと見ていました。人々は「あなたが落ちる途中で、誰かがあなたを支えてゆっくりと降ろしていたみたいだった。お尻から着地し、それからゆっくり安全な体勢で地面に着地した。まるで大人が子供を布団に寝かせるように」。またある人は「落ちる姿がとても美しかった」と言いました。命を落としかねない出来事が、村人たちの間で美しい話として語り継がれることになりました。私は、師父が私を守ってくださったのだと確信しました。
またある時、家族みんなで農業用三輪車で隣の県に住む親戚の家を訪ねました。冬は過ぎたものの、道路にはまだ薄っすらと雪が残っていました。私たちが住んでいる北の方では、土地の高低差によって「高い土地」と「低い土地」と呼ばれる場所があります。三輪車で坂を下った後、もう一つ坂を上らなければなりませんでした。ところが、坂の上まであと少しというところで、タイヤが空回りしてしまい、前に進めなくなってしまいました。普段から妻も三輪車の運転に慣れているので、妻と運転を交代し、私が後ろから押すことにしました。車が坂を上り始めたら、すぐに運転席に戻って妻と交代するつもりでした。しかし、車はエンジンがかかっても動かず、よく見るとギアが入っていませんでした。慌ててギアをシフトアップしたつもりが、誤ってバックギアに入れてしまい、車は勢いよく坂を下り始めました。妻と子供は、まだ車に乗っていました! その瞬間、三輪車は高さ3、4階建ての家ほどの崖から転落していきました。私はパニックになり、何も考えずに車を追いかけて崖から飛び降りました。転覆した三輪車の中に妻も娘も見当たりません。そして、地面に落ちているコートを見つけました。コートをめくってみると、娘が中に隠れていました。娘は恐怖で、泣くことも話すこともできませんでしたが、私の声を聞いてようやく我に返り、大きな声で泣き出しました。その時、山で植林作業をしていた人たちが通りかかり、彼らは三輪車を起こして、坂の上まで引き上げるのを手伝ってくれました。車は少し傷ついていましたが、大きな損傷はなく、少し修理すればまた使える状態でした。私はすぐに車を修理し、近くの姉の家まで運転して行きました。師父の配慮がなければ、こんな幸運に恵まれることはなかったでしょう。3、4階建ての家は、高さ10メートル近くあります。人間が乗った車が、そんな高い崖から落ちて無事だったなんて、信じられません。私たち大法修煉者だけが持つことができる幸運だと感じています。なぜなら、私たちには全能(ぜんのう:完全な能力。何でもできること)な師父がいらっしゃるからです!
数年前、生活上のために家族で遠くに働きに出ました。私は生コン工場で働くことになりました。会社は経費削減のため、冬の作業用のフライアッシュ(訳注:石炭を燃焼させた際に発生する微細な灰)を貯蔵する巨大な穴を敷地内に掘りました。その穴は、長さが55メートル、幅が45メートル、深さが15メートルもありました。使用する時には、ショベルカーで穴の中のフライアッシュを掘り出し、ベルトコンベヤーまで運ぶ必要がありました。しかし、穴の底まで掘り進んでしまうと、上の方のフライアッシュが崩れ落ちる危険性がありました。以前にもショベルカーが埋まる事故が2回起きていました。ある日、私がショベルカーで穴の中に入ると、フライアッシュがもう底をついていました。危険だと分かっていましたが「さっさと仕事を片付けて、すぐにここから離れよう」と思いました。ところが、作業を終えて、さあ上がろうとしたその瞬間、フライアッシュが一気に崩れ落ちてきました。フライアッシュの密度は水に近いほどの高密度で、まるで津波が来たかのように、猛烈な勢いで押し寄せてきました。一瞬にして視界が遮られ、50トンもあるショベルカーが完全に埋まってしまいました。そして、また別の塊が崩れ落ちてきて、衝撃で車の窓ガラスが割れ、運転席の中に粉塵が充満しまた。私は反射的に袖口を顔に当てて、鼻や口に粉塵が入らないようにしようとしまた。しかし、すでに遅く、袖口は粉塵で重くなってしまい動かせませんでした。仕方なく、手で鼻と口を覆って息をするしかありませんでした。
もう顎まで埋められてしまい、これ以上崩れないでくれと心から願いました。あと少しだけでも崩れたら、私は完全に埋もれてしまうし、ショベルカーもどこにあるか分からなくなってしまいます。絶望と無力感に打ちひしがれ、心の中の緊張は極限に達していました。その時、私は必死に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 師父、助けてください! 李洪志師父、助けてください!」と叫びました。師父だけが私を救えると信じました。鼻が詰まって呼吸ができず、口で何とか息をするしかありませんでした。あの時の緊張感、無力感、そして生命が刻々と尽きていくような苦しみは、普通の人には想像もできないものでした。しかし、私は心から「私は死なない。師父がいてくださるから、必ず救出してくださる」と信じ続けました。奇跡的に粉塵はそれ以上崩れ落ちませんでした。携帯電話を取り出そうとしましたが、体の上の粉塵が固く、少しずつ手で掘るしかありませんでした。10分以上かけてようやく携帯電話を取り出すことができました。連絡を受けた人たちが駆けつけてきましたが、私とショベルカーがどこにいるのかが分からず、互いに電話をかけ合いながら場所を特定しなければなりませんでした。工場の全員が協力して、1時間以上かけて私をショベルカーから救出しました。師父がおられなければ、私は間違いなく命を落としていました。慈悲深い師父が、再び私を死の淵から救い出してくださいました。心から感謝申し上げます。
弟子は遠くから師父を崇拝し、師父のお守りに心から感謝申し上げます!
合掌