師父の新経文『法難』を拝読した感想
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年8月13日】私は、ネットに掲載された師父の最新の経文『法難』を、すぐにダウンロードして何度も拝読しました。限りない感動とともに、師父の人々を救うことの難しさを痛感し、師父の世の人々と衆生に対する広大な慈悲に限りなく感謝しました。読んで、読んで、読み続けて、私は涙をこらえきれませんでした。そして、私に何ができるのかと考えました。

 一、大法弟子が行うべき三つのことをしっかり行う

 精進している大法弟子は、来る日も来る日も、師父が求めておられる三つのことを続けています。一方、私は1999年7.20以降、何度も中国共産党(以下、中共)に拘禁され、迫害されました。そして、生き延びるために新しい街へ行き、何も持たずに家を出て(所持金800元のうち400元は借金する)、すべてゼロから始めました。賃貸に住む余裕がないときは、会社のオフィスで寝泊りしたこともありました。生きるために、私は懸命に働きました。私は故郷や同修から遠く離れていたため、長い間、全く学法煉功する時間がない、名ばかりの大法弟子でした。その後、ひどい病業の魔難に遭い、危うく肉体を失いかけました。

 このような邪悪な勢力による、私へのもう一つの迫害に対して、師父はずっと私を見捨てられませんでした。最終的に、師父の慈悲深いご加護の下で、再び大法修煉の道に戻りました。言うのは簡単ですが、師父はどれほど私のために気苦労をされ、私自身が耐えるべき魔難をどれほど受けて下さったのでしょうか。そう思うと、以前は自分を責め続けていましたが、今は、転んだら起き上がらなければいけないと理解しています。これまでの多くの良くないことは、旧勢力の迫害によって引き起こされていたことが分かり、その中には、遥か昔の年代から、大法弟子に対して、緻密に、かつ邪悪に段取りされてきたものもあります。私は旧勢力の段取りを徹底的に否定し、師父が段取りしてくださった道だけを歩みます。

 そうは言ったものの、独修のため、私の状態は良い時もあれば悪い時もあり、三つのことがうまくできていませんでした。今に至るまで、3時20分から始まる最も基本的な朝の煉功ができていませんでした。目覚ましの音がよく聞こえず、聞こえた時にはもうその時間が過ぎています。時にはやけくそになって、遅れたらもう起きようとしません。大量の時間を無駄にしてしまい、本当に恥ずかしい限りです。

 2024年6月12日、明慧ネットに同修の記事「高齢者が煉功時間を増やすことについての見解」が掲載されました。同修は次のように述べていました。「師父は私たちを救うため、私たちのために多くことに耐えてくださっています。病気の状態から抜け出せた修煉者の場合でも、実際には師父が肩代わりをして多くの苦に耐えてくださったのです。もし私たち自身がもう少し煉功に時間をかけ、健康問題を自らが解決して、師父の心労を減らすことができればどんなに良いでしょう。睡眠時間を削って煉功に充てることは修煉者にとって難しくはないはずです。これを実行に移せば、きっと暗闇の後に明るい光が差して、眼前に新たな世界が開けることに気づくでしょう」

 師父が書かれた『法難』では、さらに多くの天機が明かされました。私の理解では、師父は大法弟子がこのことに影響されるのではなく、ただ大法弟子がやるべき三つのことを、緩まずに行ない続けることを望んでいらっしゃるのだと思います。

 私にできることは何でしょうか? 私の理解では、大法弟子がやるべき三つのことをしっかり行い、師父が私たちのために延長してくださった時間を大切にするしかありません。そして精進し続け、自分のやるべきことをしっかりやることです。全てはその中にあります。

 大法弟子として、師に手伝って人を救うことは師父が求められているものであり、同時に大法弟子がこの世に来た、唯一の真の願いでもあります。師に手伝って人を救い、より多くの人を救うこと、これもまた私たちがしなければならないことであり、まさに師父が求めておられることです。

 二、自分の道を正しく歩む

 師父は『法難』の中で「しかし、忘れてはいけないのは、大法弟子はいつになっても自分の道を正しく歩んではじめて問題が起こらなくなるのです」とおっしゃいました。

 これはメディアの同修だけの話ではないことは分かっています。私たち一人一人が心を静めて内に向けて探し、正しくないところや大法に合わない面があれば、直ちに正すべきです。

 三、神韻のアーティストが人を救う

 神韻の純善・純美を前にして、また大法の学習者、特に子供弟子(実習中の学生)の神のような献身を前にして、それでもなお否定的な言葉を口にするのであれば、あなたはどうしたのかと問いたいです。

 芸術を専門に学ぶ人は少数ですが、芸術の鍛錬には年齢が重視されることは誰もが知っていると思います。その鍛錬の黄金期を過ぎると、アーティストにとっての損失は取り返しのつかないものになるかもしれません。

 モーツァルトが幼少期(4歳かそれ以下)から音楽を学び、作曲し、演奏したことを非難する声を聞いたことがあるでしょうか? 6歳かそれ以前に見せた、彼の神童としての才能は、多くの人々を魅了したのではないでしょうか。

 彫刻家、画家、建築家、詩人として数々の輝かしい功績を残したミケランジェロは、6歳から彫刻を始めました。13歳のとき、ミケランジェロはフィレンツェの有名な画家ドメニコ・ギルランダイオのアトリエに入り、彫刻を学びました。後に(15歳のとき)、アトリエで最も優秀な生徒2人のうちのひとりとして、サン・マルコ修道院のメディチ家アカデミー(プラトン・アカデミー)に進みました。ミケランジェロは、あまりにも早くから苦痛に耐えたと思いますか? これは理不尽ですか?

 師父は『二〇一八年ワシントンD.C.での説法』のなかで、学習者の質問に対して次のような回答をされました。「このことについて私も身をもって知っています。神韻の草創期に、皆さんは神韻に対する認識が不充分で『子どもがダンサーになって、引退後何をやればよいのか』と思っていました。しかし、師父は子どもを使い捨てにしないのです。ちゃんと子どもの将来を考えています。そのため、中学、大学、大学院を開校しました。当時、親は子どもを神韻に入団させることに躊躇し、子どもと離れたくないと思っていました。しかし、12、3歳はちょうど技能を習得する時期で、体も柔らかいのですが、親は子どもと離れたくないと思っていたのです。14、5歳になると、15歳の子はもう手に負えなくなり、口答えしたり反抗するようになります。このままではダメだと分かり、山の方に送りたいと思ったわけです。(皆さん笑って)しかし、すでに体が硬くなり、山に来ても厳しいのです。このことは私もよく分かっています」

 上述の師父の説法を私は理解しました。

 当時のモーツァルトやミケランジェロには、まだ迫害に反対したり師に手伝って人を救うという使命はありませんでした。一方、神韻の聖徒たちは、創世主と先史時代に交わした誓約があります。師に手伝って世の人を救う特殊な生命で、末後に宇宙が更新する重要な時に誓約を果たす必要があります。

 私たちは皆、大法弟子です。最後の時が来る前に、まだ迷いの中にいる世の人が、長い間埋もれていた「この世に来た真の願い」を思い出し、法輪大法が末後に衆生を救う唯一の希望であることを理解できるよう願っています。法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいと誠心誠意念じれば、大法の済度を得ることができます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/2/479181.html)
 
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