明慧法会|その地域の衆生を救い済度するために全力を尽くす(一)
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2022年3月9日】

 慈悲偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 大疫病の到来は、世界を一変させ、また同時に「すべての衆生を救うにはすでに時間は残り少なく、私たちは寸刻もおろそかにできない」という大法弟子である私たち全員への注意喚起でもありました。以下では、4月(訳注:2020年4月)以降の中共ウイルス発生期間に私たちの県で同修がしっかりと人を救った修煉体験と経験を書き、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、妨害を除去し しっかりと人を救う

 2017年、真相資料を配るために農村に行き、私は連行されました。刑務所から出た私を、地元の中国共産党(以下、中共)の警察が懸命に探しました。迫害当時、私を知る警官も多かったため、私は故郷を離れ、地方に定住する道を選びました。

 今年(訳注:2020年)、中共ウイルスの流行が始まった4月、協調を担当する私の出身県の同修から「私の県の農村の同修は、人を救うことがうまくいっていないので、私たちと一緒に交流できればと思っています」という手紙が届きました。故郷の県に戻り、数人の同修が集まり「中共ウイルスによる規制を解くことは、師父から与えられた延長された時間ですべての衆生を救い済度することです」と交流しました。師父は「しかし、今の『中共ウイルス』(武漢肺炎)のような疫病は目的と目標を定めています。中共ウイルスは邪党の党員、中共邪党の支持者を淘汰するためにやってきたのです。信じなければ、今の状況を見てみてください」[1]と説かれました。私たちは「今後、中国で流行する疫病は、最も軽いものではなく、最も重いものである」と理解しました。県内には同修が少ないため、顔を合わせて真相を伝えるだけでは到底足りず、県内や農村に真相資料を配るべきでした。現在(訳注:2020年11月)中共の一方的なメディアによる洗脳は、中共ウイルス自身を「災禍の元凶」とし、中共自身が「感染症対策の英雄」に扮し、ウイルスの発生源を外国に移し、国民をさらに混乱させ、中共に依存させ、中共を信頼させました。大法弟子の家族の中には中共に耳を傾けて信じてしまう人もいました。私たちの真相資料は中共の邪悪を暴き、真相をはっきりと伝え、時を移さずに伝えるとともに、人々に疫病を避けるための万能薬を提供しました。

 いくつかの町を訪れ、現地の同修と交流した後は、私たちは心が重くなりました。高齢で自転車に乗れない同修もいるし、同修の数も少なく、こんなに町や村が多いのにどうすればよいのでしょうか? 帰ってきてから数日考え、私は「私も故郷に戻って、みんなと一緒に行って責任を分担し、人に負担をかけないようにしないといけない」と感じました。私のことを知っている警官もいましたが、マスク着用は今や一般的な現象であり、表面的な安全性には問題がないはずでした。

 そのように決断した夜、私ははっきりした夢を見ました。私はいとこと祖父の夢を見て、いとこが私の前にひざまずいて親指を立ててくれました。私は片手でいとこの手を握り、もう片方の手で祖父の手を握り、四つの手を組みました。悲しみの波が私を襲い、涙がこぼれ落ちました。私は「これはすべて私の衆生です!」と泣きながら言いました。目が覚めた時、自分の県に戻って衆生を救うようにと師父が励ましてくださっているのが私はわかりました。

 4月中旬に地元の県に戻り、その後、私は家を借りました。昼間に資料を折りたたみ、夜に出発するのがほとんどでした。一つの資料にパンフレット、真相を伝える手紙、ネット封鎖突破用のQRコードカードが同梱されていました。

 当初は、60代の同修Aさんを見つけ、一緒に協力して行いました。私たちがオートバイで地元の県に戻った日は、数十キロに及ぶ砂嵐と雨に見舞われました。私たちは「これも他の空間の邪悪の要素が妨害している」ことを心の中で知っていました。初めて資料を配布しに出かけ、大きなかばんに入った真相資料をオートバイに乗せた時、これまでの迫害によって生じた否定的な考えを捨て、大法弟子は衆生を救い済度する神の意志を持ち、旧勢力の妨害や迫害を一切許さないと私は心に思いました。

 数日後、協調を担当する現地の同修が県内で交流会を開き、県内全域に資料を配ることが重要であること、時間がないことをみんなにはっきりさせ、私たちは共同で真相資料を配り、この地域の衆生を救い済度することになったのです。外出できない年配の同修は自宅で正念を発し、毎日7時から7時10分と8時から8時30分が県内の統一方針としてこのプロジェクトのための正念を発する時間になりました。

 ここで、資料を配りに出かけた時の心境と、その時に浮かんだ『洪吟五』の詩についてみなさんと交流したいと思います。思い出せないので調べたいことがあったのですが、手元に電子書籍しかなく、どうやって探せばいいのでしょうか? 電子書籍で『洪吟五』を開こうとした時、目に入ったのは「人が世に来た秘密」の「大法徒は、神の旨意を携え 衆生を済度するために、全力を尽くしている」[2]でした。これこそ私が必要としていたものであり、師父は私たちのすぐそばで見守り、助けてくださっていると心の中で感じました。私たちは、衆生を救い済度するために最善を尽くすしかないのです。

 同修のAさんと初めて資料を配りに出かけた夜は特に寒く、オートバイから降りて2階に上がると、足元から冷たい風が吹いて来ました。その日以来、Aさんは全身に痛みを感じながら耐えてきました。1カ月ほど経った頃、Aさんにあまり頼ってはいけないと思い、私は「先に帰って休んでください」と言いました。

 Aさんは帰りましたが、問題は、自分で今後の交通手段の問題を解決しなければならないことでした。オートバイを買おうとしても許可が下りないだろうし、同修によると、夜間は警官に止められることが多いということでした。電動アシスト自転車を買うなら、バッテリーが大きいものを買う必要がありました。バッテリーが小さいと、普通はあまり遠くまでは行けないからです。当時、携帯電話には毎日のように「50キロの重さを超える電動自転車の場合は免許が必要だ」というメッセージが流れてきていました。Aさんは「娘婿が市内にいて、数日前に無免許で電動自転車に乗っていて捕まり、罰金を取られた」と言っていました。どうしたらいいでしょうか? それはとても困惑した2日間でした。実はそれまで警察に捕まるようなことを聞いたことがなく、私はすでに二度、オートバイにBさんを乗せて真相資料の配布に出かけており、あまり深く考えていなかったわりにはうまくいきました。しかし、警察に捕まるという知らせを聞いた時、私は考え直しました。ある日、どうしようかと考えていた時「残った道のりにおいて、神の正念正行で、皆さんが先史の時に立てた大いなる願いを圓満させましょう」[3]という師父の説法の一節が頭に浮かびました。私は突然「このような私の人心は、神の正念正行ではなく、人が行っていることだ」と悟りました。オートバイでも電動アシスト自転車でも、自分が乗りたいもの、自分が持っているものに乗ればよいのです。

 数日後、同修がお金を出して私が電動アシスト自転車を買い、私は師父にご加持を求め、一番よい電動アシスト自転車を買うことにしました。販売店に行くと長距離用の電動アシスト自転車があり、サイズもぴったりで、本当に師父がしっかりと準備してくださっていたのでした!

 ある日の午前2時頃、私は一人で村に資料を配りに行きました。ある村の入口で、片手にナビを持ち、片手でにハンドルを握って自転車で走っていた時のことでした。突然、前方の道が悪くなったので、ブレーキをかけましたが、ブレーキがかかったのは前輪のほうだけで、あっという間に大転倒しました。その時、胸と膝に激痛が走りました。自転車を起こしてみると、壊れているわけでもなく、ただ歩くのに必死でしたが、自転車で資料を配ることができました。その日は妨害がとても強く、犬がよく吠えていました。早起きした村人が、私が資料を配っているのを見て、すれ違いざまに私を止めようとしました。夜がすでに明けており、私は戻るしかありませんでした。

 帰ってきてから内に向けて探してみると、特に大きな問題はありませんでした。しかし、私は「現在までに、まだ二つの町の同修が行動しておらず、送られてきた資料がまだたまっている」と思いました。私一人でどれくらい配れるでしょうか? みんなで力を合わせてこそ、効率が上がるのです。そこで、その二つの町に行って一緒に行い、お互いに交流し合って妨害を取り払おうと思いました。

 800セットほどのしっかり包装された資料を持って行ったのは、おそらく私たちの県で一番実力のある町で、もしみんなが出かければオートバイが4台出せるということでした。

 夕方、協調を担当する町の同修の家に行き、意図を説明した後、私は「あとで一緒に配りに行きましょう」と言いました。「まだ手元に包装していない資料があるので、今日は行きません」と協調を担当する同修は言いました。協調を担当する同修にはまだプレッシャーが残っているように私には見えました。私は「今日出かけましょう、オートバイに私を乗せて行ってください」と言いました。私は心の中で「師父! 今日は忙しくて法を学ぶ時間がなく、正念を発することもできませんでした。どうか私たちが順調に行えるようにご加持をお願いいたします」と師父にご加持を求めました。その日の夜はとても順調で、あっという間に300セットの資料を配り終えました。夜寝る時、胸が痛く(あの日倒れた時のもの)、ちょうど同修の家に大きなスポンジがありそれを下に敷き、私は「これらは邪悪要素による迫害であり、妨害しようとしている。私は引き下がることができず、自分の痛みに耐えなければならない」と思いました。

 翌日の夕方、私は同修の夫婦の家へ行く準備をしました。女性の同修は以前はそこで協調を担当していましたが、ここ数年は稼ぐのに忙しく、修煉がおろそかになっていました。私はこれまで何度か女性の同修に会おうとしてきましたが、会えたのは2回だけで、交流はほとんどうまくいきませんでした。町の交流会にも女性の同修はほとんど欠席していました。しかし、その同修は、中共の迫害が最も厳しかった数年間は、非常にしっかりと行っていました。

 私たちがオートバイを出したとたん、雨が降ってきて、同修は「雨が降っているから、今日は行くのをやめましょう」と言いました。私は「これは妨害です。 外国の同修はパレードの時、雨の中を数時間にわたって街頭をパレードし、誰も落ちこぼれたりしないのに、これくらいの雨で私たちはやめてしまうのですか?」と言いました。オートバイに乗りながら、私は心の中で師父に「師父! 助けてください、私たちは今日正しいことをしているのです、帰る時に雨が止むようにしてください」と申し上げました。私たちがその夫妻の同修の家に着くと、雨がどんどん強くなり、今年一番の大雨になりました。夫妻の同修は「今日はもう戻れないから、ここで泊ってください」と言いました。私は「大丈夫です、帰る時には雨は止んでいますから」と言いました。

 長い間一度も会っていなかったので、同修の妨害がどこにあるのか分からず、心の中で師父に助けを求めるしかありませんでした。その日はいろいろと交流し、最後に師父の大法弟子の由来についての説法について交流しました。師父は「歴史の最後の重大な時機に本当にこのことを行なえるのは大法弟子です。大法弟子の由来にしても大法弟子が歴史上威徳を築く過程にしても、歴史上のそれらの聖人より大きな責任を担っています。なぜなら、この最後の時刻に本当に行うべきことを行なっているからです。古から今日まで、宇宙の始まりから宇宙の最後の人類の六十数年前まで、絶えず法を正すことに必要な基礎を築いていたのです。経験を積み、最後のこの歴史の時期にいる生命の思惟過程と生命の行動を作っており、これが人類の歴史の過程です。ですから、大法弟子もそれと関係する生命も、いずれもこのことのために、輪廻の中で各自が必要なものを試みたり蓄積したりしていたのです」[4]と説かれました。

 私は同修と交流し、私たちは大法弟子になることができ、大法に作られた生命でした。ついに大法が伝わり始め、誓約を実現し、師父とともに帰るこの日がついに来たのですから、迷ってはならず、この万古の機縁を逃してはなりません。同修の状態はよくなり始め「しっかりやらなければなりません」と言いました。私たちは全県で統一された8時から8時30分までの正念を発し始めました。外はまだ大雨が降っていました。午後8時25分、雨が急に止みました。8時30分、私たちが家に帰る時、雨は一滴も降っていませんでした。

 途中、協調を担当する同修と交流すると、同修は「以前、法を実証した時、どのように周到にするのか、カメラはどうするのか、安全はどうするのかとあれこれと考え込んでしまいました。今回、どうしたらいいか考えるのではなく、正念で行うことが大事なのだと理解しました」と言いました。

 その2日後、資料を配っていた経験のある地方の同修数人が、町の同修と法に則って交流しました。その後、この二人の夫婦の同修が率先して400部の真相資料を求め、他の数人の同修もそれに続き、この時は2000部以上が配布されました。数日後、同じ町の同修から「さらに2000部の資料を送ってほしい。別の町に資料を配ることも請け負います」という手紙が届きました。

 翌日、別の町に行き、協調を担当する同修の家に着くと「明日、ここの同修に知らせて、夜に一緒に交流しましょう」と約束しました。協調を担当する同修は「ある同修は家に病人がいて出られず、ある同修の夫は仕事で遅くまで帰れないので交流の時間その同修は家で料理を作らなければならず、ある同修は……、またある同修は……なので、来られる同修はそう多くはありません」と言いました。私は「今、大法弟子が人を救うことは重要なことで、師父は私たちを助けてくださっています。あなたはまず先に、心の中で同修が来られないと位置づけてしまっており、これは正念ではありません。修煉者にはエネルギーがあり、これは同修にとっての妨害です。来るか来ないかは本人たち次第ですが、まずは先に通知してください」と言いました。

 翌日、通知を受け取った同修は一人も欠席しませんでした。協調を担当する同修は「先日の考え方は、すべて自分の人心と観念だった」と悟りました。同修たちとは一緒に良い交流ができ、私が持ってきた資料について、私が残って一緒に配布する必要はなく自分たちで配ることができる、と言いました。数日後、そこの同修から「あと1000部、真相資料をください」という手紙が来ました。

 (続く

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『理性』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「人が世に来た秘密」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「師父から新年の挨拶」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/11/13/414812.html)
 
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