師父がフランスで説法された際の思い出
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文/フランスの大法弟子

 【明慧日本2022年5月18日】1995年3月中旬、師父はフランスのパリに来られて、1期目の法輪功講習会を開催されました。私は幸運にも師父にお会いすることができました。当時の状況を振り返ると、まるで昨日の出来事のようにありありと眼前に浮かんできます。

 法輪功との出会い

 1995年1月、私はアジア人とフランス人を主な会員とするアジア・フランス協会に入会しました。ある時、会長から「気功を披露してもらうために北京出身の父子2人(私の隣人でもある)を総会に連れてきてほしい」と頼まれました。

 総会には、70数人の参加者がいました。全員が食事を済ませた後、その親子は功法を披露しました。私は息子さんから10メートル以上も離れたところにいて、彼が衝、灌の動作を行うのを見ていると、いつの間にかとても強いエネルギーを感じ取り、両手の労宮穴が真っ赤になるほど熱くなりました。「この子供は本物のカンフーを持っていて、しかも功力がとても強い」と思いながら、私はこの功法に興味を持ち始めました。彼らを家に送る途中、「披露したのは法輪功です」と言われました。私が興味を示しているのを見て、1冊の『法輪功』を貸してくれました。

 初めて師父に御目に掛る

 それから間もなく、私は同年(1995年)の3月上旬に師父がパリで説法される話を耳にして、師父が来られる日に、隣人の親子と一緒に空港まで迎えに行きました。その日、飛行機は7時間も遅れて、夜中の12時に到着しました。中国大使館文化部の人たちも出迎えるために空港に来ていました。

 出て来られた師父が見えたとき、私は思わず「佛の面相だ! 佛の面相だ!」と呟き、師父が佛だと感じたことが強く印象に残りました。

 私たちは師父をパリの滞在先に送りました。到着して2分もしないうちに、「パーンッ」と言う爆発音が聞こえました。気になって、走って見に行くと、浴室の洗面台の上の電球が爆発して、煙もまだ出ているのが分かりました。割れた電球は手洗いシンクに全部落ちていました。

 当時、「誰も触っていないのに、どうして電球が急に爆発したのか」と不思議に思いました。翌日、師父から聞かされた話によると、前日の夜、何か悪いものがずっと師父を追いかけてきて、師父はそれを電球の中に押し込み爆発させたそうです。

 店員の8年間の奇病が師父の手によって完治

 ある日、私は師父に同行して共和国広場近くのある名品館に行きました。紳士服売り場に何人かの店員が立っているのを見て、私は何気なく彼らに「この方は中国から来たとても有名な気功師なんですよ」と師父を紹介しました。思いもよらず、3分もしないうちに、男性店員の1人が婦人部の女性販売員を連れてきました。

 来るや否や、その女性は気功師に自分の問題を解決してほしいと頼みました。彼女は奇妙な病気に罹っており、腰骨が特に痛くて力がなく、辛い8年間に亘って鍼灸、漢方、西洋医学のすべてを受診しましたが、どうしても治せないと言いました。私は振り向き、師父に彼女の要望を伝えました。

 師父は「いいよ。来させて」とおっしゃった後、近寄ってきた彼女に「立ったまま、身体と頭を少しだけ前に傾けるようにして」とおっしゃいました。その後、師父は素早く彼女の後頭部を手で軽く叩き、腰の真ん中も叩いた後、彼女の背後から15センチほど離れたところで、彼女の頭から背中に向けて力強く引っ張る動作をされました。

 その女性はショックで立ち尽くし、涙を流しながら良くなったと言い、師父に感謝の言葉を重ねました。その後、師父に尋ねてみると、師父は「彼女は憑依されている。憑き物は彼女の腰に2本の足を乗せ、頭部が彼女の頭よりも超えていて、両手を彼女の肩にかけている」とおっしゃいました。

 師父に会うと、目の病気が5分で消えた

 師父が奇跡的に素早く病気を治されていることを目の当たりにして、私はそれを周りの人たちに伝えました。その後、親戚から電話が掛かってきて、「舅母は目の調子が悪く、両目が腫れていて開けられず、曇った日でもサングラスをかけないといけない」と言われました。そのことを師父に話してみると、師父は「では、見に行ってみよう」と言われました。

 約束の通り、私たちは郊外にある祖父の家に行きました。家に着くと、おじいちゃんは私たちをリビングに案内し、お茶を淹れに行きました。数分後、舅父と舅母も到着しました。舅母は目が隙間しか残ってないほど腫れていて、サングラスをかけていました。皆は居間のテーブルを囲んで座り、舅母は師父から3~4メートルほど離れたところにいました。

 師父は手を伸ばして、舅母に「こっちを見て」とおっしゃいました。2分もしないうちに、舅母は「暑い、とても暑い」と言い出しました。その時から、彼女の目から水(涙だろう)が出てきて、徐々に腫れも引いていき、目がゆっくりと開いてきました。師父は「では、外を見に行ってみて」とおっしゃいました。その時、日光があったにもかかわらず、彼女は日の当たる場所に出るのも怖くなくなり、5分足らずでサングラスから解放されました。

 旋回する法輪

 1年後の1996年、師父は再びフランスを訪れ、『轉法輪』という本を持って来られました。ある日、本に載っている師父の写真を見ていて、師父の目を見ているうちに、そこから二つの法輪が飛び出してきて、徐々に大きくなり、テレビで見たカラフルな法輪のようでした。その時、私は「師父は法輪功を伝えられていて、どこにも法輪があって、師父の目にも法輪があるのだ」と思いました。

 私は幸運にも、さまざまな場面で師父と接することができました。師父からは、穏和に物事に対処し、親切で親しみやすい印象を受けました。身をもって手本を示される師父から、私は大きく影響され、修煉の道のりにおいて困難や関に遭う度に師父のことを思い出すことができ、大きな助けとなりました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/11/442552.html)
 
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