文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年6月29日】(前文に続く)
(二)同修は私に善と無私を理解させてくれた
私の性格はずっと意思が強くクールで、優しさや思いやりに欠けていました。はっきり言えば、利己的で、本当の善とは何か分かっていませんでした。善良な人に対する私の観念は、話し方が穏やかで、人を傷つけず、助けを求めて来る人を助け、他人の利益を横取りせず、徳を失うようなことをしない人だと思っていましたが、同修たちは、自らの行いによって善の表現と無私に対する含意を私に悟らせてくれました。
1、「誰が食べても衆生が食べている、だから誰が食べてもいいのです」
2000年7月、私と妹は北京から当地に連れ戻され、拘禁されました。10月1日、政法委の役人が刑務所に視察に来ました。私たち何人かは、不当に拘禁された大法弟子が渡した真相の手紙をその役人に手渡し、無条件で釈放するよう要求しました。するとその後、留置場は報復のための捜査を始め、祝日に家から送られてきた食べ物を漬物さえも持って行き、全部ドブに捨てたと言いました。私はそれを本当だと信じ、心の中でそれらの食べ物が惜しくて仕方ありませんでした。しかし、妹は落ち着いて私に言いました。「彼らは捨ててなんかいません、食べたのです。食べ物を無駄にはしてはいません」。私はそれを聞いてすぐに怒りの気持ちで、「それなら犬の餌になったわけね」と言いました。妹はそれに対し、穏やかに私に「お姉さん、みな衆生なのよ、誰が食べても衆生が食べたことになるのだから、誰が食べたっていいじゃない!」と言いました。私はすぐに同修である妹の大きな善の心を感じ、ある次元の善の内包に大きな衝撃を受けました。さらに私と妹の修煉の境地の差を認識し、心の中で恥じ入りました。
2、「もうじきお正月だから、あなたに食べ物を送ります」
2016年、あるプロジェクトに参加し多くの時間を必要としたので、私は仕事に行かなかったため、その年は収入がありませんでした。年上の同修は私に米を一袋送ってくれ、「親戚がくれたのだけど、こんなにたくさんは食べきれないから」と言いました。彼女は私が受け取らないのではないかと心配してこのように言ったのだと私にはわかっています。私は同修の善意を感じ取りました。まもなく正月になろうとする時、私は食べ物を少し買って、これで足りるだろうと思っていました。同修はこの一切を見ていて、わざわざ彼女の姉に新鮮な豚肉や太刀魚を買ってくるように頼み、車を運転して私に持ってきてくれました。そして「もうじきお正月だから、食べ物を持って来たから、肉や魚を買わないでね」と言いました。私は同修のそのような真心に感動し、心が温かくなりじんときました。同修は私が買い物しないことを心配してくれたのです。同修は自らの行いをもって他人を大事にすることとはどういうことかを私に分からせてくれました。
3、「お金は重要ではなく、最も重要なのは、人と修煉なのです」
2000年12月、迫害に抗議する絶食を通して私は無条件で釈放されました。職場は「三書」を書いて修煉を放棄すれば仕事をしてもよい、と要求しましたが、私は拒絶したため、それ以降、アルバイトで生活しています。多くの人は私が条件の良い職場を放棄したことを悲しみ惜しんでいました。しかし、大法は私を生まれ変わらせ、人生を新たに作り変えてくれたのです。善に向けた心で悟りを開かせてくれました。良い人になろうとする過程で、健康な身体を得て他人を第一に考えることを学びました。私は仕事だけでなく、生命さえ放棄することができます。しかし、私は良知と正義、そして大法を放棄することはできません。なぜなら大法は生々世々の中で探し求めていたものだからです。この法を実践し、実証し、守ることはすべての大法弟子の終生の願いです。
私は経済的にずっと余裕がありませんでした。しかし、私が困難に遭った時、いつも助けてくれる人がいました。心から感謝しています。C同修はそのうちの1人です。
数年前、私が経済的に困窮していた時、その同修は1万元を貸してくれました。その数年間はちょうど音声電話で人を救う活動が普及していた時で、多くの資金を必要としていました。私は毎月200元負担しようと考えていて、同時に私が相次いで使用していた2台のパソコンの費用を支払うつもりでした。(合わせて6000元を名前も知らない同修が払ってくれた)大法のプロジェクトに戻ると、私はもう大法の資源を占用すべきでないと思い、同修に相談すると、また気持ちよく6000元を貸してくれました。私がそれを返済する時、同修は「これはあなたが直接人を救うプロジェクトに残してください。先に貸した1万元は要らなくなったから、あなたは負担しなくていいですよ」と言いました。私は同修の誠意と金銭に淡泊なことに感銘を受けました。このような事情であっても修煉者だからこそこのようにこだわりのない心をもつことができるのです。常人ならばそのようなことはできないばかりか、お金を貸す時、相手が返済できるかどうかを考え、ひいては利息を付けて返さなくてはなりません。最後に、私は同修と「もし、正法が終わる時までに返済できなければ、あなたが私にくれたことにします。もし、私に返済能力ができたら、受け取ってください」と約束しました。
同修は誠意をもって私に「お金は重要ではありません。人と修煉が最も大事なです。一切の心を放下し、何に対しても執着してはいけません」と言ってくれました。私は同修が他人のために考える善の心に感銘を受けました。同修は私にお金を返済するために焦りの心が生じないようにしてくれました。それ以降、毎回の返済の時、同修は「もう借りはありません、もう借りはなくなりました」と言いました。彼女は私が現在までにいくら返済したのかを覚えていないことを私は知っています。しかし、私はどうして忘れることができるでしょうか、私はずっと覚えています。
(三)真相を明かす同修の家族
1、ドライバーのお兄さんと同修の息子さん
ドライバーのお兄さんと同修の息子さんの2人は、私の知り合いではありません。また彼らは修煉者でもありません。しかし、彼らは修煉している家族や親類の言行を通じて、大法の素晴らしさを感じ、大法の真相が分かり、大法が良いと思いました。私は、同修から彼らのことを聞いただけですが、深く印象に残っていて、本当にすごいと感じました。
2001年頃の冬、同修達は世の人に大法の真相を理解してもらうため、農村へ行って真相資料を配りました。ドライバーのお兄さんが車を運転し、同修の息子さんも真相資料を配る手伝いに行きました。その結果、通報され、公安局に不当に連行されました。その当時はまさに邪悪が最も狂気じみていた時でした。そのためか重要な案件に定められ、十数人の同修は不当に拘禁され、尋問を受けました。男性の同修は最も酷い迫害を受け、殴打、宙吊り、後ろ手にして縛った腕や手首を吊るす、などの残虐きわまる拷問を受け、同修達はみな全身傷だらけで、軽度の障がいが残った同修もいました。ドライバーのお兄さんと同修の息子さんも袋だたきに遭い、恐怖に脅かされました。そのような目に遭っても彼らは何も警察に喋らず、正義感がありました。
当時私の義父がある出来事を話してくれたのを覚えています。義父の友人は病院の院長をしており、医術が優れていました。人を殴る警官の1人が彼に診てもらいに来ました。腕が挙がらず、腫れて痛がっていました。診断は腕に力を入れ過ぎたために、筋肉が損傷したそうです。警察の凶暴さが垣間見えた出来事でした。
2、同修の兄
同修のお兄さんは修煉はしていませんが、大法の仕事に協力してくれることがあり、とても感心しています。彼はセールスマンで長年家を離れており、各地のマーケットを回っていますが、とても優しくて親切です。彼は戻ってくると、自分の紙幣を真相伝えの紙幣と交換したり、真相伝えのプロジェクトで使うようにと毎回1000元から3000元ほどのお金を同修に渡します。時には5000元を出してくれることもあり、数年間このようにしてくれています。2、3万元のこともありました。彼は長年、真相紙幣を使い、正々堂々と他の人に取り換えてあげます。ある時、同修は彼に紙幣を取り換え終えると、彼は2日後にまた取り換えに来ました。私は彼のお金を使うスピードにとても驚きました。元々、彼は商店で買い物をし、真相紙幣で払い終えると、正々堂々と、「この紙幣と取り換えませんか? このお金を使うと福報がありますよ!」と言いながら、法輪功の素晴らしさ、「焼身自殺」は嘘である事などを店主に伝えました。その店主と彼は500元を交換しました。彼が電車に乗って戻る時、回りにいた乗客に大法の真相を伝えます。彼には怖れる心がありません。もし、大法弟子が彼に真相を伝えることに出合うと、彼は「私の家にもあなたと同じような身内がいるんですよ」と嬉しそうに言います。同修のお兄さんは赤ちゃんのような得難い貴重な心を持っています。
3、私の親族
私の祖母と2人の叔母は大法の真相が分かっており、大法を支持し、大法弟子を守ってくれます。叔母たちは共産党の党、団、隊から脱退し、福報を得ました。
祖母は常に親戚や友人に、「我家の子供は最高です」と言います。「親孝行で、賢明で優しくて、もし共産党の迫害がなければ、我が家の子供はどんなにか有望だったでしょう。彼女たちは何か悪い情報がわかったら、すぐに私たちに知らせてくれ、いつも安全に気を付けるよう注意してくれます。ある時、同修たちに電車に乗らないように伝えてと彼女は私たちに言いました。公安局は駅員に大法弟子の行き先に注意し、気付いたら通報するように言っていたのです」そして祖母は「早く、あなた達はみんなに伝え、気を付けるように」と言いました。
これら数年間の恐ろしい迫害の中で、高齢者も多くの圧力に耐えてきました。ある年、県全体で不当な大捜査と逮捕があり、警察はまず祖母の家を訪ねました。彼らが去って行った後、祖母は震える手で我家に電話しようとしました。しかし焦れば焦るほど電話が通じませんでした。我家の家財は没収され、同修である妹も落ち着く場所を失いました。この後、祖母はずっと自責の念にかられ、自分を役立たずと責めました。もともと、祖母は緊張状態にあって毎回電話番号を掛け間違えていたため、電話が通じなかったのです。
祖母は89歳の時、視神経を圧迫する脳腫瘍のため、両目を失明しました。省都の病院で診てもらうと、その医者はかつて祖母の脳腫瘍の一部を切除した執刀医で、まだ祖母のことを覚えていて、私の家族に驚いて、「彼女はまだ生きていたのですか? 彼女の病状から考えて、生きられてもせいぜい1、2年でした。もうすでに4、5年経っていますよ! あの時あなた方にお話しましたが、主な腫瘍を切除できませんでした。今はなおさら手が付けられません。治療するには及びませんので、お帰りください」と言いました。実は、祖母が85歳で手術した後、私はずっと祖母に「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」を念じるように教えていました。彼女は快く念じていましたが、残念ながら学法や煉功をしようとしませんでした。
祖母は失明後の生活に適応できずに、しょっちゅうこっそり泣いていました。大法は彼女に神秘的な一幕を見せてくれました。彼女は見ることができました。(この空間の眼で見たのではなく、天目で見えた)部屋の中は到る所あらゆる種類の花が咲いていて、彼女の知らない花でとても綺麗でした。束になっている花、連なっている花、トイレの中にさえいっぱい花が咲いていました。祖母は眠るといつも夢を見ます。夢の中で足を地につけて飛び上がり、高くもなく、遠くもなく飛びました。彼女は地面に着くと、また飛びあがり、楽しく飛びました。祖母は91歳の時、苦しむこともなくこの世を去りました。
2人の叔母も大法を支持して、私たちを理解してくれ、できる限り私たちを助けてくれます。叔父はかつて不当な捜査と逮捕から抜け出した妹をオートバイで外地まで送ってくれました。妹が不当に女子刑務所に拘禁された時、叔母は面会に行ったことがありましたが、刑務所側は面会させてはくれず、とても悲しそうでした。その数年間、叔母たちは妹のために貯金してあげていました。4年前、年下の叔母の家は辺鄙な場所にある平屋でしたが、予期せず取り壊され、2棟のビルに変わっていました。だれもそこがあばら屋の改造区になろうとは思いもしませんでした。彼女は福報を得たのだと、私には分かっています。
私を感動させ、敬服させる、とても多くの実話があります。修煉者は20年以上、良い人になることを堅持し、圧力に耐え、世人に真相をはっきりと伝え危険を冒しても、人を救うために力を尽くしてきました。パンデミックの発生後、彼らは世の人を救いたいという気持ちが心から現れ、人々に邪党の「党団隊」の組織から抜けるように人々に話しています。常に「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」を念じると災難を遠ざけることができる、と伝えています。彼らは世人にウイルスから避けることができる万能薬と命を救う良い方法を贈っているのです。
あらゆる縁のある人ができるだけ早く中国共産党を排除し、邪党の組織から抜け、天を敬い、神を信じることによって、ウイルスの大災難を無事に乗り切ることを心から願っています。大法弟子は世人が目覚め、救われることを望んでいます。