文/中国の青年学習者 善睿
【明慧日本2022年6月29日】私は新しい学習者です。両親は1996年に法を得ました。その頃私も家族と一緒に煉功をはじめ、師父の説法録音を聞いていましたが、大法の書籍を読むことはほとんどありませんでした。中学生になってから、だんだん自分を見失い、常人の大きな染め物がめの中に陥ってしまいました。2018年の中秋節に、大法の修煉を再開し、今度こそは見失わないようにすると決心しました。
大法を学ぶことにより 心身ともに健康になる
私は20年近く常人社会に陥っていて、たくさんの業を造りました。喫煙、飲酒、人を騙し物を盗むなどのすさんだ生活を送り、それでも自分は人より優れていると思い、自分はまだとても優秀だと思っていて、本当に顧みると忍びないものです。
2017年の年末から私は膝が痛くなり、遠くまで歩くと脚がガクガクと音がなり、腰も痛くなり、重いものが持てなくなり、肌はとても黒く、気性が荒く、怒りぽくなって、人と話すのが嫌になりました。毎日携帯を手にしていて、朝は起きられず、夜は眠れずに茫然としていて、一日中ぐずぐずしていました。
法を学び、煉功するにつれて、私の心身はとても大きく変わり、大法の真・善・忍の法理に従って振る舞えるようになりました。私は大法の修煉は、心性を重んじ、徳を守り、人に優しく接し、自分よりも人を優先する善人になってこそ、さらに高い境地まで昇華することができることを知りました。
大法は私を変えました。学法と煉功を続けるにつれて、私の心身は劇的に変化し、痛かった膝が痛くなくなり、長い距離を歩いても痛くありませんでした。以前、毎週のように現れていたひどい口内炎も消えました。黄色くて暗かった頬に赤みが差し、白くて艷やかになり、以前のようにため息をつくこともなく、楽観的で明るい性格の持ち主になりました。
学法する前は、とても怒りっぽい私でしたが、今は少しずつ優しくなっています。まだ機嫌が悪い時もありますが、これらは自分が修めるべきことで、しかも自分には絶対にできる、絶対にうまくできる、と思っています。真・善・忍の輝きはすでに私の世界を明るく照らしています。
大法を学び、思いやりのあるよい人になる
仕事では、大法が要求する通りに完璧に行うことはまだできませんが、うまくできるように自分をコントロールするように心がけています。一度、あるお客様のアフターセールスの問題に対処していたとき、上司から、そのお客様はアフターセールスの段階を過ぎているので、当社は受け入れる必要がなく、問題があったら、お客様自身に対応してもらえばよいという話がありました。
その日、そのお客様は電話で「ちゃんとやってくれ! 俺のためにちゃんとやってくれ!」と大声で怒鳴っていて、礼儀知らずでした。私は師父の教えを思い出しながら、相手に反論せず、とても冷静に「わかりました」と答えました。すると、相手は電話を切りました。
その後、そのお客様がキレていたので、私と話すのが恥ずかしくなるだろうと思い、まずはパソコンでそのお客様にメッセージを送り、笑顔のアイコンを送りました。修煉する前は、もしこのようなことに遭遇したら、理性を失い、人と争ったり、大いにキレたりしていたはずです。大法を修煉していたからこそ、何かに遭遇したら、内に向けて探さなければならない、絶対に自分が何か悪いことをしたに違いないと私は思っていました。
私は理性を失うことはなかったのですが、やはり非常に苦しく感じました。後になって考えると、「この人は私の業力の消去に手を貸している、彼にとっても非常に容易いことではない、私は彼に感謝しなければならない」と思いました。改めて内に向けて探してみると、やはり完全に人のために考えることが自分にはできておらず、対応を先延ばしにしたり、いい加減に対応するなどの多くの心があることに気付きました。
これらの心を見つけた後、私はそのお客様の問題を解決するために頑張りました。その後、そのお客様は私に怒るどころか、とても丁寧に話してくれて、かつ礼儀正しく私に「ありがとう」と言ってくれました。
中国では、私が今住んでいるこの小さな都市を含めて、並ぶ時の争い、列に割り込み、込み合い、バスが来ると、バスがまだしっかり停車する前に、バスを待っている多くの人がどっとバスに押し寄せて走っている場面がよく見られます。年齢に関係なく、誰も他人に譲らないのですが、もちろん争わない人もいます、が、ごく稀です。
一度「師恩を偲ぶ」を聴いていたら、同修から、師父がバスを待っておられたときの出来事を書かれた文章の話を聞きました。師父はすべての人が車両に乗り込むのを待ってから乗車されたとのことです。師父が私たちにいい人になり、自分より人を優先に考える人になるように教えられたことを私は心に刻みました。
それ以来、この辺りの悪い癖を変えようと頑張っていますが、この悪い癖を変えるのは簡単なことではありません。バスが来ると、他の人が争いながら乗り込むのを見ると、最後に乗るつもりでしたが、両脚が制御不能になり、前へ出てつま先立ちになり、それから徐々に足が前へ出ることを我慢できるようになりました。今は、他の人が乗るのを、のんびりと見て、みんなが乗り終わったら、乗ることができており、心の中にある焦りのようなものはなくなりました。
大法が私の心を浄化してくださり、私は少しずつ、意図的にどうしようとせず、自然と良い習慣が身についていることが多くありました。例えば、ごみを捨てない、交通ルールを守る、横断歩道を歩く、外食では自分の料理を全部食べ終わったら、テーブルを片付ける、人になるべく迷惑をかけないようにする、などです。以前はそんな自分ではなかったのですが、大法が私を造り上げ、私の道徳を向上させたのです。意図的にこのように行動するよう自分に求めたわけではありませんが、法を学び、煉功し続けているうちに、自然とそうなっていったのです。大法を学ぶことは本当にすばらしいことです。
ある冬の日、雪が溶けて地面が濡れていたときに、私は銀行に行き、ATMでお金をおろしにた後、隅にあるモップを持ってきて、私が入った時の自分の足跡をきれいに拭きました。それからモップを元の場所に戻しました。私が銀行から出ようとした時、カウンターから一人のスタッフが出て来て、私を見ながら「おや、こんなに素質の良い人は初めてですね」と驚いていました。私は彼女を振り返り「法輪大法は素晴らしいと覚えてください」と微笑みました。
また一度、とても大きな鏡を買いました。かなり重かったので、タクシーで帰りました。普段は運転手さんにビルの下まで運転してもらうようにお願いしますが、今回は人のために考えなければと思いました。なぜなら、ビルの下の道がとても狭く、車が入ったら、Uターンするのが不便でしたので、道端で停車してもらうことにしました。私は「運転手さんのことを考えなければならず、道端で降りることにして、運転手さんに『中まで入らなくてよいです』よ」と伝えました。運転手さんはとても喜んでいました。車から降りて、重い鏡を持って家に帰りましたが、とても晴れ晴れとした気持ちでした。これは修煉する前にはありえないことです。大法は私を変え、他人を思いやり、善良になることを教えてくださいました。
真相を伝える
大法が誹謗中傷され、世の人々は嘘に毒されています。すべての大法修煉者は皆、心身ともに昇華しました。私たちは政治に関与せず、お金や物を求めず、ただ善良な人々に中国共産党(中共)の虚言を暴き、善悪を弁(わきまえ)てこそ、美しい未来があることを伝えています。
ある日、昼に仕事を終えて駅に向かう途中、私は心の中で師父に「縁のある人に出会えますように」とお願いました。駅に着くと、白髪のおばさんが路線バスの停留所の看板の前でためらっているのが見えました。私は少し離れたところにいたのですが、彼女がそばにいた若者に何か尋ねていました。若者は少しだけ答え、それ以上何も言いませんでした。
私はすぐにそのおばさんのところに行きました。「この人は師父が連れてきた縁のある人だ」と思いながら「おばさん、何処行きのバスを待っているのですか?」と聞きました。彼女は「ある場所に行きたいのですが、何番のバスに乗ればよいですか?」と聞きました。私は停留所の看板を見ながら「Fバスに乗らなければよく、A、B、C、Dバスならどれでも行きます。おばさんの行き先は遠くないので、バスに乗り2停留所をすぎれば着きます」と伝えました。彼女は「そうなの」と言い、私は「私もそっちに行きます」と伝えました。
それから私たちはおしゃべりをはじめました。私が「おばさんはおいくつですか?」と聞くと、 彼女は「もう80歳を過ぎている。目の調子が悪いので、病院に行って薬をもらってこようとしている」と答えてくれました。話しているうちにバスが2台来ました。私がおばさんに「前のバスは違うから、後ろのバスに乗りましょう」と言うと、彼女は「ありがとう」と嬉しそうに言っていました。私は本来おばさんとは同じ方向ではなかったのですが、彼女はきっと師父が按排してくださった縁のある人だ、この機会を逃してはならないと思い「私もこのバスに乗ります」と言って、彼女と一緒にバスに乗り込みました。
おばさんはマスクをしておらず、バスの中で、しばらくの間カバンの中を探していましたが、見つかりませんでした。私は新しいマスクを1枚取り出して「これ、新しいから使ってください」と言いながら、渡しました。彼女は「今日は本当に優しい人に会えた」と嬉しそうに言いました。バスは少し揺れながら進んでいましたが、バスには空席がありませんでした。彼女は「もう年だから、倒れるんじゃないかと心配になる」と言いました。私は彼女を助けようと手を伸ばし、心の中で黙々と発正念をし、師父に彼女を救うことを加持してくださるようにお願いしました。
おばさんが駅に着くと、私も一緒にバスから降りました。私は「おばさん、こうして会ったのは縁によるものです。伝えたい大事な話があります」と言って、彼女に大法の真相を伝えました。彼女は少年先鋒隊から脱退しました。彼女は嬉しそうに、子供のようにニコニコしながら続けざまに「ありがとう」と言ってくれました。私は「私に感謝するのではなく、私の師父に感謝しなさい」と伝えました。彼女は「はい」と答え、嬉しそうに手を振って別れを告げました。
ここ20数年間、私は回り道をしたりして、たくさんの時間を無駄にしました。魔難のなか、師父のご加持の下、乗り越えて来ることができました。師父、ありがとうざいます! 私は三つのことをしっかり行い、純粋な心を持って、師父について家に帰りたいです。慈悲深く偉大なる師父に感謝申し上げます!