致命的な肝臓病 大法を修煉して消えた(三)
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――法輪大法の病気治療と健康維持の奇跡的効果

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年9月24日】世界保健機関(WHO)によると、B型肝炎の患者数は世界でまだ2億9200万人います。中国は依然として、世界で最もB型肝炎患者が多く約7000万人が患っているとされています。

 B型肝炎は、A、B、C、D、Eの5種類が知られており、肝炎の中でも最も感染力が強く、肝硬変や肝臓がんにまで進行していくのです。中国では肝臓がんの8割がB型肝炎に起因すると言われていますが、医療現場ではいまだに完治することはできないのです。しかし、その中には無治療で肝炎が治った人もおり、医学的な奇跡を生んでいます。

 (前文に続く)

 九、法輪大法を学んで1カ月足らずで、B型肝炎を完治

'图5:赵国良一家'

趙国良さん一家

 趙国良さんはかつて遼寧省瀋陽市皇姑屯地区で、あらゆる方面で卓越した人物でした。 大工や、仕立屋、パン屋、情報会社、アパレル会社、衣料品の卸売など個人経営まで金儲けのため、何でもやりました。趙さんはどんな事業を起こしても、成功し、利益を得ていました。趙さんのことを知る人はみんな、「この人は本当に優秀だ。何をやっても儲かるよ」と口をそろえて言いました。1980年代には、趙さんはかなりのお金持ちになっていました。

 しかし、1990年代から、趙さんの運勢が下がり、何をやっても赤字になり、せっかく貯めたお金も水の泡になっていました。それにB型肝炎にかかり、6カ月以上の入院生活を過ごし、貯蓄を使い切ったのに病状は一向に好転しませんでした。隣人や家族はみんな感染を恐れて、趙さんに近づかなかったのです。かつて傲慢だった趙さんは、金もなく健康を害し、絶望のあまり、「金は身の外のものだ」と深く感じ、何度も寺で僧侶になろうと考えました。

 1995年、苦痛の中で生きていた趙さんは、ある人から法輪大法を紹介してもらい、大法の本『轉法輪』を買いました。帰宅して、本を開いて読めば、読めば読むほど読みたくなり、一晩寝ずにして最後まで読み終えました。趙さんは「以前、自分が多くの悪い事を働き、徳を多く損なったのだ」とわかり、これまでの愚かさや過ちから目を覚ました。

 趙さんは法輪大法を学ぶことにしました。わずか1カ月足らずでB型肝炎が完治し、体も軽くなったのです。

 十、高級エンジニア「肝炎が消え、生き返った」

 王忠明さんは高級エンジニアで、重慶中冶賽迪工程技術株式会社(CISDI)の若手専門家でした。

 王さんは1965年8月、普通の教師の家庭で生まれました。重慶大学を卒業後、王さんは成績が優秀で大学院に推薦されました。1989年修士課程を修了後、重慶鋼鉄設計研究院(後のCISDI)に就職しました。

 明るい未来へ向かって、出発しましたが、予想できない災いがやってきました。1カ月しか仕事をしていなかった王さんはB型肝炎と診断された上、「B型肝炎の特効薬は医学にはない」と言われたのです。船出を志していた若い王さんは、この一撃で、野心と志は一瞬にして打ち砕かれました。あれから、B型肝炎という難病が、王さんを悩ませることになったのです。

 肝臓が悪いと、胃腸も悪くなり食欲がなくなって瘦せ細り、めまい、吐き気、黄疸、歯茎からの出血も伴いました。王さんは、体があまりにも虚弱だったので、鶏肉も食べることも控えなければならず、体力がないため毎晩8時には寝ていました。最悪だったのは、1年おきに入院しなければならないことで、7年間で3回も入院しました。病気を治すために、西洋医、漢方医にかかり、民間処方、気功など、あらゆるものを試しましたが無駄でした。辛いことに、この病気のために王さんは結婚して何年経っても子供ができないことを嘆くしかありませんでした。

 このような絶望的な状態が8年近く続きましたが、1996年初め、王さんは上海に出張した際、縁があって法輪大法に出会い、学びました。学んでから間もなくB型肝炎の症状が気づかないうちに消え、体力が徐々についてきて、体調に明らかな変化がありました。 数カ月後、重慶に帰ってきた王さんの姿は、まるで別人のように元気で活気に満ちていました。「生まれ変わった」と表現しても言い過ぎではないほどでした。「法輪大法はとても素晴らしいです!」、「法輪大法の師父は偉大です!」と、王さんは友人や親族から賛嘆と祝福をもらいました。一家はやっと苦難の時代を終えることができたのです。

 病気から回復した王さんの人生は、新たなページを刻んでいきました。1997年、健康な子供が生まれました。王さんはまた、見事な仕事ぶり、積極的な姿勢で、会社のリーダーや同僚から高く評価され、4年連続で優秀職員として表彰されました。その頃、会社入り口の掲示板には、王さんのことを紹介する大きなポスターが貼られていました。

 1998年10月、王さんの妻も法輪大法の修煉の道に入りました。夫婦ともに、真・善・忍に従って自分を律し、トラブルに遭ったとき、真っ先に自分の誤りを探しました。夫婦関係、嫁姑の関係も良くなり、一家は睦まじい暮らしになったのです。

 十一、『轉法輪』に衝撃を受け 功法を煉って元気になる

'图6:法轮功学员李旻在炼法轮功第五套功法'

第五式の功法を煉っている李旻さん

 李旻さんは、かつて妻と北京でアウトドアウェアのショップを経営していました。現在、夫妻はアメリカに住んでいます。

 17歳の時、李さんは肝炎にかかりました。その後、李さんは独学で気功を練習し、太極拳も学びましたが、病気は完治できませんでした。しかし、李さんは修煉文化、中国古代の武術、気功に強い関心を持つようになりました。

 1996年、母親が法輪大法を学んで、病気が消えたことを目の当たりにしたので、李さんも法輪大法の修煉の道に入りました。李さんは「母が私に『轉法輪』の本を渡してくれました。本を読んでとてもショックを受けました。気功は単に病気を治したり、健康を維持するためのものではなく、そこには修煉文化の概念があり、中国五千年の文明の宝の一つなのです。本の中で語っている佛、道、医、儒、武は相通じていることに、私は心の底から大きな衝撃を受けたのです。人は本当に修煉によって生命の次元を上げることができ、真・善・忍を実践し、真・善・忍の原則に基づいて物事を行うことによって、生命の次元を上げることができると本に書かれていました。それらを知って、私は修煉の道を歩み始めたのです。修煉後は、いつも早く歩き、体が軽く感じ、すごく元気になったのです」と話しました。

 22年修煉してきた李さんは、その間、薬を飲んだことはありません。

 十二、大法を学んで肝炎を完治 心を修めて奇跡が現れる

'图7:在台湾云林茑松艺术中学任教的立伟,十几年前走入法轮大法修炼。'

台湾の雲林市蔦松中学校教師の立偉さん

 台湾の雲林市蔦松中学校教師の立偉さんは、雲林の辺鄙なところに住んでいました。幼い頃から疲れやすく、やる気が起きないことが多く、勉強の効率に深刻な影響を及ぼしていましたが、医学知識がなく、辺鄙なところなので医療知識も乏しく、体に現れた症状を気にすることはありませんでした。しかし、高校生になって初めて健康診断を受けた立さんは、学校から届いた診断書にはB型肝炎と書かれていたのです。その結果を見た立さんはパニックになりましたが、どうしたらいいか分かりませんでした。体には大きな異常を感じておらず、生活にも大きな支障がなかったため、すぐには受診することはしませんでした。

 立さんは大学卒業前、大学院の試験勉強で夜更かしが続き、不規則だったため、ひどい不眠症になってしまい、うつ病の症状も現れ、やむ得ず病院に通って治療を受けることにしました。内科医が立さんに「君はこんなに若いのに、肝機能の数値が700を超えていますよ。肝硬変の確率が高いし、家庭には妻や子供がいるでしょう? 将来どうするのですか?」と言いました。

 仕方がなく、立さんは治療を受け続けましたが、改善できませんでした。落胆していた時、友人から法輪大法を紹介され、人の病気や魔難の背後には、医学だけでは解決できない深い理由があるとわかったのです。『轉法輪』の中にはっきりとそれが書かれています。立さんは法輪大法を学び始めました。

 修煉してから、立さんは精神的にも体力的にもよくなりました。2つ目の修士課程を研修中、毎週台北芸術大学までに行って授業を受けていました。学校の授業以外にも、頻繁に南北に10時間以上かけて移動しなければならず、多忙な生活を送っていましたが、学法煉功をし続けたため、疲労感はあまりなかったのです。その後、学校の定期健康診断がありました。届いた診断書にB型肝炎の関連検査項目は陰性となり、つまりB型肝炎が完治したことになっていたのです。こうして、20年近く立さんを苦しめていたB型肝炎は、法輪大法の修煉により消滅されたのです。

 十三、「健康診断の報告書」からもたらした修煉の機縁

'图8:第四届新唐人全世界中国菜厨技大赛粤菜金奖得主罗子昭。'

新唐人テレビ第四回、全世界中国料理コンテスト広東料理の金賞受賞者の羅子昭さん

 羅子昭さんは、少年のころから料理を学び始めていました。料理への情熱と創造性を兼ね備えた羅さんは、一気にその名を知られるようになりました。羅さんは人気があって常に客で満席になっていました。チャンスと思った出版社が撮影チームを送り込み、写真とメモを取り、ベストセラー『広東料理の新風』を誕生させたのです。羅さんは出世ができ、円満な婚姻もあって、本当に順風満帆でした。

 羅さんの妻の王晶さんが法輪大法を学んだ後、心も体も大きく変化したことを目の当たりにした羅さんは心を動かされました。しかし、羅さんが本当に修煉しようと思ったきっかけは「診断書」でした。羅さんは崑崙ホテルで料理長を務め、どの料理も素晴らしく仕上げることができるのですが、年に一度の定期健康診断で、B型肝炎のキャリアであることが判明しました。医者は「この病気は根治できないし、お金で解決できるものではない」と告げました。羅さんにとって突然の出来事で、まさに青天の霹靂でした。羅さんはその時、まだ28歳でした。唯一救える道は法輪大法だと、周りの人たちは羅さんに大法を学ぶように促しました。

 こうして羅さんは、大法の修煉の道に足を踏み入れました。「読書が好きではない私は、あまり本を読まないのですが、この『轉法輪』という本は、最初から最後まで読み切りました。本の中の一文一文に述べられている人間としてのあり方や、物事の進め方の真理が、私の心に響きました」と羅さんは言いました。学法、煉功をするにつれ、羅さんはタバコと酒をやめ、愛人との曖昧な関係を断ち、名利へのこだわりを捨て、職業的な病も徹底的に無くしました。夫妻はともに大法を学び、羨ましがられる家庭を築きました。

 羅さんは、自分を正気に戻し、新たな人生を与えてくださった師父に、心の底から感謝しています。羅さんは昔のことを思い出しながら、「断崖絶壁で馬を止め、(危険の一歩手前で踏みとどまる)、退却せよ!」という言葉を常に自分に言い聞かせているのです。

 2011年2月、「真・善・忍」の信念を貫き、5千年の食文化の真髄を守り続けるため、羅さんは自由の国へ行きました。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/8/10/447287.html)
 
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