トラブルの中で自分を高めることが最も重要である
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 文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2023年3月12日】トラブルが発生するときは事前に知らされることはなく、私たちはそのトラブルから抜け出すには、法に導かれ、心性を高め、物事の真実を見抜くしかなく、そうすれば、人間の次元を超えることができます。

 今日、学法した後、同修Aさんとある法理に対する理解をめぐって論争になりました。 どちらも相手を納得させることができず、声はどんどん大きくなり、 トラブルになったのです。彼女は 「あなたはこのように認識すればいい、修煉の道は自分で歩まなければならない」と言いました。 それを聞いた私は納得がいかず、「私たちは法の認識の違いしかないのに、どうして自分の道を歩むという話になったのでしょうか?」と言い返しました。 彼女は自分の言ったことが間違っていたと思い、私に謝りました。 表向きは、この件は解決となりました。

 続けて交流する中で、私が「お互いに協調し合う」という問題について話すと、彼女は私が彼女の不足を言っていると思ったようで、実はそうではなく、皆がお互いに協調し合えばいいと思っただけだと言いました。 すると彼女は、私の話を止めました。 私はそれ以上言いませんでしたが、居心地が悪くなり、その場を去りたい、もう彼女と付き合いたくない、とさえも思いました。しかし理性が自分をコントロールしていました。

 その時、学法の中で、師父が「しかしその相手があなたに与えた苦痛が大きければ大きいほど、騒ぎが大きければ大きいほど、あなたの忍耐するところも大きくなり、相手の失う徳も多くなります。それらの徳は全部そのままあなたのものになります。しかもその時、あなたは耐え忍んでいる間、それを気にかけずに淡々と受け止めていられたかも知れません」[1]とおっしゃられたことを思い出したのです。私は「あなたは耐え忍んでいる間、それを気にかけずに淡々と受け止めていられたかも知れません」[1] この法理に対して、新たな認識がありました。私はその嫌なことを心に留めないようにすればいいのです。 私は思いました、先程の、彼女の良くない表れは心に留めず、それを取り出して捨てることにします。このように繰り返して考えているうちに、そのよくない考えが徐々に離れていきました。心の辛さもなくなりました。

 その後、同修Aさんと「業力の転化の形式」についての認識を交流しました。 私は穏やかな気持ちで彼女に聞きました。「さっきの二人の論争は、業力の転化ではなかったでしょうか?」。 彼女は笑顔で「はい」と答えました。 そして、私は彼女に対して抱いていたよくない思いをすべて捨て、もし法理に基づいて認識していなければ、この結果にならなかったのです。

 私はさらに冷静になって先程の論争を考えてみましたが、実は全く必要のないもので、 それぞれの人の自分の認識があり、必ずしも同じ認識ではないのです。私は内に向けて探したところ、自分は「個人の利益」のために論争し、自分の認識が正しいことを主張し、他の人の認識は間違っている、自分の認識に固守するために論争していたのだと分かりました。これは、なかなか発見されない執着心を見つけることができ、いいことなのです。この論争がなければ、執着心を発見されなかったのです。

 師父の法に照らし合わせてみると、このように自分の認識「個人の利益」のために論争するのは、業力を得ることになるのではないのでしょうか? 私は、他人から間違っていると言われても、反論せず、それを淡泊に見るようにしました。 表面的には他人に勝てないように見えますが、私は実際に何も失っていません。 それどころか、自分の心性を守り、心性を向上させ、功も伸びました。何も失われていないだけでなく、最も貴重なものを手にすることができました。

 夕方、家に戻った私はこのことを思い出して、同修Aさんの不足を頭の中で映画のように脳裏によみがえらせました。私は理性的にそれを抑えたのですが、やはり現れていました。 しかしそのうちに、私は同修Aさんに感謝する気持ちが現れ、トラブルを作り出してくれた彼女に、心から感謝しました。

 今日、私たちが出遭った一切は偶然ではなく、私たちの修煉と関係しています。 このことが発生したのは正しいか否かが重要ではなく、重要なのは、その過程で、自分が修煉し、向上したことなのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/3/457233.html)
 
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