文/湖北省の大法弟子
【明慧日本2023年3月17日】私は、中国湖北省の大法弟子です。私は子供の頃、多くの困難に巻き込まれました。1歳の時には黄疸肝炎を患い、3歳の時は近所の女の子と遊んでいるとき、池に落ちて溺死しそうになりました。4歳になると虫垂炎を患い、命を落とすところでした。当時、父と母はいつも私のことを心配しながら暮らしていました。
1996年9月に、私と母は法を得ました。その時、私は6歳でしたが、母と一緒に煉功点に行き始めました。私は彼らが学法するのを聞き、煉功するのを見ていました。その時、私は修煉がわかりませんでしたが、大法のすばらしさを信じていました。それは母が煉功を始めて2週間後、私と母の病気が完治したからです。一人が煉功すると家族みんなが受益します。
1999年7.20以降、母は法輪功迫害の真相を伝え、法を実証しているときに警察に捕まりました。私は、警察に母を返してほしいとお願いしました。最終的に、母は刑務所から出ることができましたが、家には帰りませんでした。
私は1人で本を読みました。しかし学校の勉強がだんだん忙しくなり、法をあまり勉強しなくなりました。家でも真面目に勉強しなくなり、高校入試も全然うまくいきませんでした。
2004年、私は普通高校に進学しました。勉強のストレスに加え、母もいなかったため、学法をほとんどせず、成績はどんどん悪くなっていきました。私が法が正される過程についていくことができるように、母は、お金を稼ぐ機会を放棄して家に帰り、私と一緒に学法、煉功、真相を伝え、三退を勧めました。
2005年の秋、私は法を実証することの重要性を認識しました。同級生たちは、いつもネットで受け取った迫害の真相資料について話していたので、私は学校でその資料を配布することに決めました。母と話し合い、母は同修の家に行き、たくさんの資料を持ってきました。私と母はそれを40ほどの袋に分けて入れました。次の日、私は早朝に資料を持って学校へ行きました。歩きながら、正念を発し、師父のご加持をお願いしました。学校に着くと、外で数人が走っていました。資料をすべてのクラスに届けることはとてもスムーズにいきました。朝のチャイムが鳴ると同級生はみな、宝物でも見つけたかのように、資料を取り合い、とてもにぎやかでした。私はこの機会を利用して、迫害の真相を伝えると、みんな真剣に耳を傾けてくれ、その場にいた2人が三退を申し出ました。これは、私にとって大きな励みとなりました。
数日後、私はまた十数冊の様々なパンフレットを学校に持って行き、同級生に見せました。この期間中、多くの人が迫害の真相を知ることができました。学校で大騒ぎになり、学年主任の耳にも入りました。私は学年主任に話があると呼び出されました。私は絶えず発正念をし、旧勢力を否定しました。学年主任は私を呼び出すと、世間話をして私にクラスに戻るように言いました。
高校3年の時、私は最悪なクラスに分けられました。しかし考えてみると、このようなクラスになったのも、何か理由があるはずです。すると、このクラスには、血旗があることに気が付きました。血旗はとても高く掲げられているので、私は掲げられないよう毎日血旗に向かって正念を発しました。血旗をなんとかして下ろせないかと考えていたところ、ついにある日、すべての学生がとても早く帰り、しばらくして全員帰りました。教室の電気を消し、机を使って血旗を降ろしました。学校から帰るとき、学校の警備員は私を注意深く見つめていましたが、私は、彼らに憑いている魔を滅するよう発正念をしました。家に帰ると、私は血旗を燃やしました。燃やしている時、血旗はずっと異臭を放っており、これは絶対に邪悪が腐った匂いだと思いました。
2006年6月15日、師父はフィラデルフィアで「世を済度する」という経文を発表されました。
世を済度する
真相をはっきり伝え卑しい鬼を追い払う
九評を広く伝え 邪党を脱退する
正念をもって世の人々を救い済度し
良識を呼び戻せないはずはない
私は『共産党についての九つの論評(以後、九評)』を広めることの重要性に気づき、母と休日に『九評』を配り、迫害の真相を伝えました。
大法に見守られ、師父のご加護の下、私たちは今日まで歩んでくることができました。私たちは、とても良くできている訳ではありません。しかし、私たちは大法の偉大さを目の当たりにしました。私の成績は、飛躍的に上がりました。700人余りいる生徒の中で、上位50に入っています。私のクラスも一番良いクラスになりました。これらの全ては、常に大法の偉大さを表しています。