末期がんの患者が『轉法輪』を学び、九死に一生を得る
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文/良縁

 【明慧日本2023年4月4日】私の家は、吉林省南部の小さな県政府が所在する城鎮にあります。1990年代初頭、企業の制度改正に伴い、私と妻は解雇され、故郷に帰って商売を始めました。90年代末に、稼いだお金で農村に20ヘクタールの山地を購入して開拓した後、作付けや飼育を行い、毎日せわしなく働いて、繁盛した日々を送っていました。

 2009年3月、体が衰弱したと感じ、まもなくすると明らかに体力が低下して辛く感じ、左腹部が痛むようになりました。県の病院に行くと、医師は妻を呼び「良くない病気だと思うので、早く大きな病院に行って診てもらって下さい」と小声で言いました。青ざめた妻の顔を見て、その表情から状況の深刻さを推測できました。

 省内のいくつかの有名な病院で検査した結果は「末期の膵臓がん」でした。この病気で治った人はいないことを皆知っており、元中国共産党の高官・黃菊もこの病気で亡くなっていました。上海のがん病院は技術が先進的だと聞いていたので、私達は上海に行くことにしました。このころには、私はほとんど歩けず、食事もままならない状態になっていました。妻は一日中涙を流していました。もうどこに行っても無駄だと分かっており、もしかしたら寿命が来たのかもしれないとも考えていましたが、まだ50代の私は、惨めさと悲しみが押し寄せてきました。

 ある日、妻は、友達の李華(仮名)さんを思い出しました。李華さんは、昨年我が家に来て、法輪功の真の実態や、いかに素晴らしいかをたくさん話し、さらに私達一家を「三退」させました。実を言えば、私は当時金儲けのことで頭がいっぱいで、彼女の話を全く聞いていませんでした(今となっては恥ずかしい限りです)。ところが、妻はとても信じていました。妻は「私は彼女を探して、どうしたらいいかを聞いてみる」と言ったのです。電話がつながって、話し始める前に妻は号泣していました。李さんの「一体何が起こったの」という声だけが聞こえました。妻は少し間を置いて「私の主人はもうだめだと思う。末期の膵臓がんで、明日治療のために上海に行く」と言いました。李さんは「そういうことだったの。事が今に至っては、法輪功の師父だけしか彼を助ける事ができない。彼が心から......」と言ったのが聞こえました。電話で話すのは不便ということだったので「明日の昼にバス停に迎えに来て」と妻に言いました。

 翌日、彼女は私に『轉法輪』と法輪功のお守り、そして『天賜洪福』などの明慧の冊子を数冊持ってきました。冊子には、法輪大法は素晴らしいと念じ、あるいは法輪功を学んでから、起死回生した実例が載っていました。私はまずこの冊子を読み、読んだ後、妻に「私はどこにも行かずに、家で法輪功を学ぶ」と言いました。妻も賛成しました。

 私はまじめに法を学び、疲れたら横になり「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じ、妻も唱えていました。学び始めて3日目、空腹を感じて大盛りのお粥を食べ、元気が出てきました。7日目には、普通の白米を食べることができるようになりました。1カ月と経たないうちに、仕事ができるようになりました。

 病院に行くと、がんは消えていて完治していました! 先生も信じられない、奇跡だと言っていました。私は感動の涙を流し、さらに法輪功と師父を堅く信じるようになりました。農作業が忙しいと本を読む暇もないので、本を持って行き、休憩時間に森や畑で法を学んでいます。私はとことん修める事を決心しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/31/296606.html)
 
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