薬物常用者の生まれ変わり
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年4月20日】妹は幼いころから両親に溺愛されながら育ったため、中学校を中退して、毎日遊び三昧で、ついに中三の頃から、家に帰らなくなりました。妹のことを心配した両親は様々な手段を使いましたが、結局妹は相変わらずで、父親は心の病により亡くなりました。

 やがて、妹は薬物に手を出してしまい、20代にして、命を軽く見るようになりました。麻薬中毒患者治療所に何度も通いましたが、何も変わりませんでした。妹のことに家族全員が失望しました。

 1997年、母親が法輪大法を修煉し始めました。大法だけが妹を救えると知った母親は善をもって妹に接しました。お金を使い果たし、行く当てもない妹が助けを求めにやって来る度に母親は優しく受け入れ、お風呂を沸かし、ご飯も用意してあげて、そして、師父の説法録音も聞かせてあげました。当時、実家は学法拠点となっていたため、若い同修たちがよく交流していました。母親の優しさ、同修たちの善行や反省、師父の説法などを日々聞いている妹はだんだんと人としてなすべきことや神の存在を信じるようになりました。

 しかし、薬物を完全にやめることは簡単ではありませんでした。しばらくすると妹は再び逃げ出し、間もなくしてまた一文無しで帰ってくることの繰り返しでした。母親は家の鍵を妹に渡し、お金や貴重品の保管場所も変えず、大法ならきっと妹を変えられると固く信じていました。

 徐々に妹は本当に変わり始めたのです。悪かった顔色が良くなり、黄ばんでいた肌にも赤みが差し、身なりにも気を配るようになりました。ついに、妹はよくない人たちと縁を切り、薬物も完全にやめることができました。その後、良い仕事を見つけ、結婚し、かわいい女の子を産みました。

 1999年、邪党による大法への迫害が始まりました。妹は嘘の宣伝に耳を傾けず、相変わらずよく実家に帰り、時間があるときは真相資料の作成を手伝ったり、ポスティングしたりしました。母親の身の危険を案じた妹は、自分1人で資料を背負い、子供を連れてマンションに入り、母親には入り口で発正念をしてもらいました。

 これまで私と母親は何度も邪党の人員に嫌がらせをされたり、不当な拘禁をされましたが、妹は一度も文句を言わず、毎回面会に来てくれたり、家のこともやってくれました。そして、毎回警察にも行き、法律上のどの項目に沿って私と母親を逮捕したのかなどと問いただし、私や母親を見ると、警官の前で堂々と殴られていないか、怪我していないかと尋ね、間もなくして、私と母親は釈放されました。

 いわゆる「ゼロ活動」期間中も、警官は、私に面会するように毎日妹に電話し、面会しなければ、指名手配すると脅しました。あの頃、ほぼ毎日同修が不当に逮捕されたという情報が耳に入り、非常に強い圧力を感じました。妹は安全な場所を探し、直接車を運転して警官をその安全な場所につれて行き、そこで私はその警官に真相を伝えました。真相を知った警官はどうすれば良いのかを知っているので、こうして危機が消えました。

 ある日の食事の際、妹は会社のことを話しました。妹が採用された会社の採用基準はかなり要求が高く、学士号または大学院の学位がないと面接できないということでした。しかし、妹は中学校すら卒業していませんでした。妹は両手を合わせて合掌し、すべてを与えてくださった師父に感謝の気持ちを伝えました。妹は幸運です。大法と出会い、師父に助けられ、新たな人生を歩み始めました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/2/2/438384.html)
 
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