観念を変えると、二十数年間の猫背がまっすぐになった
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文/中国の大法弟子 藍天  

 【明慧日本2023年5月7日】私は1999年の前に法輪大法の修煉を始めました。20年以上修煉するにおいて、師父の慈悲深いご加持の下で、大法の素晴らしさと大法に与えられた正念によって、今日まで歩んできました。以下は私が修煉の中で体験したことです。大法の超常的な素晴らしさを実証するために書きました。

 私は、20年以上も前から猫背でした。学法をするときも煉功をするときも、いつも老人のように腰を曲げていました。 背筋と首をまっすぐに伸ばしている同修を見て、いつも羨ましいと思っていました。この自分の姿は、師父と大法に対して失礼だとわかっていても、どうしても自分をしっかり修めることができませんでした。

 2002年のある日、私は2人の老人のために料理を作りに行きました。その時、ある同修に会いました。彼女は私の頭を上に押し上げながら「腰がとても曲がっていますね」と言いました。私は「数年前から、まっすぐにならないのです」と言いました。その同修といくつかの話しをして別れたのですが、私にはとても辛かったのです。修煉者として、老人のように歩いているということは、「大法の超常的な素晴らしさを実証できるのか、外に出て人々に真実を伝え、人々を救い済度できるだろうか」と思いました。

 師父は、「したがって悟性の優れない人は往々にして、より多くの苦痛に耐えなければならず、業力が大きければ悟性が優れないのですから、修煉がいよいよ難しくなります」「1」と説かれました。

 私は、この言葉には深い思いがありました。 私は二十数年前に主人を亡くし、3人の子供を育てるために働きに出なければなりませんでした。法の勉強は形式だけになってしまい、難関に遭遇すると「速く乗り越えよう」と思うだけでした。普段、法に則って自分を厳しく律していなかったので、心性の向上ができていませんでした。魔難を多く経験し、苦労も多く、恨みが深く、小さなことでも恨み、内に向けて探して心性を修めることができていませんでした。そのため、私は多くの向上するチャンスを失っていたのです。

 家に帰ってから、内に向けて探しました。「私は二十数年も修煉しているが、人心がまだ多い」と分かりました! 「私の腰は、きっとまっすぐになる!」という一念を発しました。師父は、私の正念をご覧になって、猫背を治してくださいました!

 それ以来、私は背筋を伸ばして歩くようになりました。 以前は、煉功のとき同修から「正しくない」と注意されていたのですが、今は背中も首もまっすぐにして座禅ができるのです。眠くもなく、学法のときも双盤ができ、両手で本を持ち、腰と首をまっすぐにして本を読むと心に入るのです。こうして心性が高まったことで、すべての正しくない状態がなくなりました。

 徹底的に自分の「人間の観念」を変えることは、まるで柳が鬱蒼と茂る中で、花がぱっと明るく咲くようでした。私は「一つの思い、一つの念」に、真に自分を厳しく要求することを決意しました。

 大法の中で修煉している私たち一人一人は、師父の慈悲深いご加護を感じることができます。修煉の中でも、生活の中でも、師父の慈悲はあらゆるところに、あらゆる形で存在しています。特に今回私は、難関を乗り越えるとき、師父の洪大なご恩を感じることができました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/14/458751.html)
 
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