異なる選択がもたらした全く異なる結末
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文/中国の大法弟子 正信

 【明慧日本2023年8月2日】同修Aさんと私は、大法修煉の縁によって一時期、姉弟の友情を築き、大法の修煉において互いに助け合い、励まし合いながら精進していました。しかし、修煉過程の魔難や試練の中で、邪悪な脅迫と利益の誘惑、そして人を惑わす出鱈目な言葉を前にして、異なる認識、異なる態度そして異なる選択をしたことによって、天と地ほどの異なる結果がもたらされました。

 本文は、大法の比類ない素晴らしい神秘性と師父の限りなく大きなる恩恵を実証すると同時に、誤った道を歩んでしまった同修に深い遺憾の念と哀惜の意を表します。意思がしっかりしていない同修たちは、これを戒めとして同じ轍を踏まないために参考になるよう願っています。また、道を誤った同修が教訓として生かし、急いで正しい道に立ち返ることができるように願っています。

 同修の縁

 私は1998年に北京で大法の修煉を始めました。1999年の初めに故郷に戻ってから一年以上、外部の同修とも当地の同修とも連絡が途絶え、ずっと1人で修煉する状態が続きました。常に不安と焦る気持ちがあり、特に1999720日大法に対して迫害が始まった後、同修たちと全体を形成したいという思いがより切実になりました。

 真相伝えの際、ある老婦人が、私たちの村から約30里離れたF村に法輪功を修煉する遠い親戚がいると教えてくれました。この村で、迫害前には多くの人々が法輪功を修煉していたと言われています。この情報をもとに、私は彼女の親戚を探すために自転車に乗ってF村に行きました。その親戚を見つけると、その親戚の人は「私は村の幹部です。大法が良いことは分かっていますが、圧力がとても大きかったため、迫害が始まって私は修煉を諦めました。私たちの村にはまだ家で静かに修煉している人たちがいます。彼らがあなたに会う勇気があるかどうか確認して来ます」と言いました。

 私が1人で彼女の家で気を揉みながら待っていると、まもなく彼女が戻って来て、「同修Aさんがあなたに会いたがっているので、一緒に来てください」と言いました。同修Aさんの家を訪ね、中庭の門に入ると、同修Aさんが縁台に立って両手を合わせて待っていてくれ、思いのほか私を歓迎してくれました。

 同修Aさんは私より10歳年上で、当時はまもなく60歳になろうとしていました。しかし、見たところ、実際の年齢よりずっと若く見えました。利発できびきびとした印象で、人との付き合いにおいても心のこもった接し方をし、話す言葉も気がきいていて如才ありませんでした。当時の相当厳しい状況の中、このめったにない出会いは、何年も会っていない実の姉に会うよりも気分が高揚しました。

 私たちは、初対面なのに古くからの知り合いのように意気投合しました。この時から私たちはとても深い同修の縁を結びました。私はいつも彼女の所へ行っては交流しました。彼女は私より少し年下の同修Bさんを紹介してくれました。彼女たちの周辺には迫害の中でもまだ修煉を放棄していない多くの同修たちがいました。しかし、大きなプレッシャーがある迫害環境の下で、基本的にはみな独修の状態でした。

 私と同修Bさんは村を経由して同修たちと交流し意思の疎通をはかりました。集団学法を立ち上げ、小規模の学法交流会を開きました。引き続き同修Bさんの紹介で、市内にいた元々の協調人の同修とも連絡がとれました。基本的に私たちが掌握している同修と連絡が取れたことで、全体を形成することができ、正法の過程について行くことができました。もちろん、これらのすべては師父の巧みな按排によるものであることは言うまでもありません。

 しかしながら、もし同修Aさんがそのような特殊な環境の下で私と出会ったという前提がなければ、また違った結末や展開になっていたでしょう。ですから、私はこの中で同修Aさんが果たした役割は価値あることと見て、私たちの間の縁を大切に思っています。

 同修Aさんの修煉状態の簡単な説明

 同修Aさんは法輪大法を修煉し始める前は全身に病気がありました。そのため治療を求めてあちらこちらへ行きましたが、効果はありませんでした。1997年に大法の修煉を始めた後、多くの難病やさまざまな病気が消えました。彼女の夫と子供たちは大法の奇跡的な素晴らしさを感じて、彼女の修煉を支持していました。子供たちはそれぞれ独立して家にはいませんでした。2歳年下の夫は、手工芸品を作る技術をもっていて市内で小さな工場をもっていました。制作販売をしていて商売は繁盛していました。常に忙しく家に帰って来ることができませんでした。村の中のあれだけ大きな塀で囲われた住宅で彼女は1人で留守番をしており、まさに修煉には良い環境でした。

 しかし、修煉の道は常にでこぼこで険しく、トラブルに満ちています。約40年来の仲の良い夫婦には今ではたくさんの孫たちがいます。それにもかかわらず、彼女が予期しないことに彼女の夫は常識を逸脱しました。夫は市内で、彼女より年下の女性と交際していましたが、そのことを彼女だけには隠していました。彼女はこの厳しい事実を受け入れる事が出来ず、修煉者の理性は衝動的な感情に突き動かされてしまいました。彼女は市内に行って殴り込みをかけ、道を塞いで大騒ぎし、第三者を追い払いました。それから、彼らの関係がまだ繋がっているのではないかと案じて、思い切って市内に住み自らの陣地を守ろうとしました。

 この情の関が邪魔をし、夫婦関係に亀裂が深まったことで、学法と煉功が著しく妨げられ、さまざまな病業が隙を突いて入り込みました。家族や親族はこの状況を見て医者に治療を求めるしかありませんでした。私たちは彼女のために法を理解するよう何度も助けてきましたが、困難はすでに山積していました。彼女自身も学法を強化してこそ次元を高めることができ、突破できるのだと分かっていました。しかし、愛の糸と情魔が絡み学法を乱され、法が心に入らず、病業が彼女の身体と意思を苦しめました。そして曖昧な気持ちで病院に行き、関門を乗り越える正念を放棄してしまったのです。

 2015年に江沢民に対する訴訟が相次ぎ、同修Aさんも取り残されたくないと思い、大きな流れに乗って江沢民の訴訟に加わりました。意外にも早く、邪悪は彼らの家を訪れて脅しと利益で人を誘惑し始め、「修煉をやめなければ、孫の進級、入隊、仕事の配属などに直接影響を及ぼすことになる」などと言いました。親戚の者たちはこの邪悪な脅しに動転し、さまざまな方法で彼女に対しプレッシャーを与えました。

 彼女自身も孫に対し強い愛情をもっており、孫の将来に大きな期待を寄せていました。混乱した状態の中、恐怖心により正念が薄れ、邪悪の道理に合わない誘惑によって、情勢の成り行きに合わせて事を進め、自分の修煉が子供たちの将来に影響を与えるのであれば、私はあまりにも利己的で、子供や孫に取り返しのつかない損失や害を及ぼすことになり、自分は一家全員の永遠の罪人になってしまうだろうと考えました。このように考えが大きく間違った方向へ導かれてしまった彼女は、極めて矛盾した複雑な心理状態の中で、神への道の修煉を放棄することを選択しました。これにより、子や孫たちの将来に過分の望みを抱くことができると考えました。

 これはまさに邪悪な旧勢力の仕掛けた罠に嵌まってしまったのです。修煉者を駄目にしたばかりか、親類をも奈落の底へ引きずり込んだのです。これほど長年修煉し、大法の中でこれほど多くの恩恵と福を得てきたのに、なぜ「1人が煉功すれば家族全員が受益する」[1]という教えを思い出せなかったのでしょうか? この宇宙の真理をどうしてそんなに簡単に信じなくなってしまうのでしょうか!

 その後、同修Aさんの健康状態は悪化し、市内で夫の世話や仕事場や店の手伝いができなくなりました。それどころか夫の足手まといになり商売もできなくなり、夫は店を廃業して家に戻り彼女の世話をせざるを得なくなりました。親族はみな大法に対してマイナスな見方をするようになりました。特に、彼女の夫はそれ以来彼女が修煉に戻ることを断固として反対し、妨害しました。露骨に同修Bさんとの面会を妨げたばかりか、わざわざ同修Bさんをつかって私に伝言し、同修Aさんの面会に行かないよう脅しました。彼女は厳しく「家庭の檻」に閉じ込められ、それ以来、大法や同修たちとの関係を断ち切りました。

 盲目的に邪党が言った屁理屈を信じたために、彼女は自分の修煉を放棄し、その引き換えに子供や孫たちの繁栄と輝かしい未来が得られると考えましたが、現実は意図したものとは違うものになってしまいました。その後、数年経たないうちに彼女の夫は亡くなり、多大な苦痛と困難を経験し、非常に聡明で有能で清潔感があり、はきはきしていた彼女は、話し方もしどろもどろで、よろよろ歩き、だらしない老婦人になってしまいました。もともとの資質がかなり良かった孫は知らず知らずのうちに、頭が悪くなり、スマホのネットに依存し、なんとか大学卒業証書を得たにも関わらず、するべきことがなく、怠け者になり、たまに村に戻ってきても、親戚の年長者に挨拶さえしなくなり、最低限の人間としての道理さえわきまえることができなくなりました。

 人々があまりの無念さに溜息をつくのは、都市を覆い尽くす暗雲と赤い恐怖という過酷な環境の中で、同修Aさんは大法と師父への正しい信念で乗り越えることができたにも関わらず、情魔に絡まれ、苦しめられ、怖れる心に駆り立てられ中共邪党の出鱈目な言葉に心を惑わされました。それによって千年も万年も待ち望んでいた修煉の機会をふいにし、自らを傷つけ、自分の天国の衆生をだめにし、同時にこの世にいる親類、子や孫の代をもだめにしたのです。

 根源をたどると、やはり中共邪党の罪業は、高圧的な脅迫、拷問、洗脳「転向させる」、濡れ衣を着せる、偽善と利益での誘惑、修煉を放棄させるためのサインなど、さまざまな謀りごとと不正な手段を使い尽くしました。その最も根本的な目的は大法弟子をだめにし、衆生を壊滅させることです。

 正法の時期の大法弟子として、中共邪党の正体をはっきり判断できなければ、邪党の邪悪な目的を認識できないでしょう。一旦たぶらかされてしまえば、正しい信念を失い、真の善悪、良し悪し、正邪を区別できなくなり、それによって大法と師父に対する正しい信念を喪失し、永遠に回復できない深淵に落ちてしまうのです!

 筆者の修煉状態の簡単な説明

 同修Aさんを通じて当地の同修と連絡を取るようになってから、自分でも時間の切迫感を深く感じたことと自己修煉の苦しみと全体を形成できないことによる弊害を痛感し、大法の法理に感化されたことで、すすんで学法グループを立ち上げる手はずを整えました。小規模の交流会を開催し、家庭資料拠点をつくり、真相伝えのプロジェクトを設立し、対面での資料配りと真相伝え等の協調人の修煉の道を歩みました。この道はさらにでこぼこで厳しく、茨が多く、困難が絶えませんでした。

 修煉途中では、人のために奔走し、言い争ったり、苦しみを嘗めたり、疲労を感じ、心を煩わし、びくびくし、白い眼で見られたり、さまざまな辛さを経験しました。同時に、結果が出る喜びや心地よさも味わいました。途中、困難に直面し、躓いて転んで倒れても起き上がり、再び前に向かってひたすら歩みました。大法が指差す方向から目を逸らすことはできず、師父が引っ張ってくださる大きな手をずっと放すことはできませんでした。前に向かって歩み、這って前に向かい、ひたすら歩みました。大きな間違いでも小さな間違いでも、絶えず内に向けて探し、絶えず改め、粘り強く続けました。すべて大法の法理に導かれて、師父の行き届いたご加護のおかげで、ずっと今日まで歩んで来られました。

 私が主に悟ったことは、固く師父と法を信じさえすれば、乗りこえられない関はないということです。「最大限に常人社会の形式に符合して修煉する」[2]の法理の要求を正しく理解し、修煉の大きな志を抱き、生活の細部に注意を払い、自ら体験し努力して行うことができさえすれば、大法修煉者の前向きなイメージが作られ、良好な修煉環境を切り開けるはずです。

 私自身、修煉前と後では身体上のみならず、精神的にも劇的な変化があったので、家族にも大法の良さを認めてもらえました。1999年に大法に対する理不尽な迫害を受けるようになり、しばらくは、暗雲が広く立ち込め、殺戮がある凄惨な状況が続きました。妻子も恐怖のあまり、私が修煉を続けるのを阻止しようとしました。しかし、私は毅然として答えました、「生活上のいかなることも譲歩できるが、大法の修煉の道だけは歩み続けると決めている。私は絶対に命がけで信仰と信念を守るつもりだ。この点に関しては、誰であろうと邪魔することはできない!」この確固たる考えで、この方面での抵抗やトラブルが家庭内で起こることはほとんどありませんでした。それどころか常に家族の支持と助けを得ることができました。なぜなら、彼らもみな法のために生まれ、法のためにやって来たからです。

 息子も大法の修煉に入りました。3年前、私と息子は邪悪に相次いで連行され、家にはまだ修煉していない老妻と嫁と、分別のつかない幼い2人の孫が残され、私の家族は前例のない困難に見舞われました。この突然の災難に直面して、老妻と嫁はひっそりとすすり泣いていましたが、顔を合わせばいつもお互いに慰め合い、励まし合い、私と息子に対する恨みは少しもなく、法輪大法および大法の師父に対する不満や誤解さえ少しも抱いていませんでした。彼女たちは私たちの選択が正しいことを理解していました。法輪大法は善良で正しく、李洪志師父は偉大であると信じており、私たちには罪がないのに、不当な扱いを受けており、中共邪党こそが本当に善良な人を殺害している、災いの原因であり、悪魔であると分かっています。

 彼女たちは子供たちに「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」(中国語では)9文字の真言を念じるよう導き、私たちを魔難から救ってくださるよう心の中で師父に何度も懇願しました。老妻は時々座禅を組み、私たちに倣って掌を立てて正念を発しました。彼女によれば、かつて睡眠中の悪夢の状態から逃れたいと思った時、「法は乾坤を正し、邪悪は全滅する」[3]が口をついて出ると、すぐに目が醒めました。このことで彼女はこの言葉で発正念すると本当に不思議な効果があると感じました!

 老妻は、まだ10歳にも満たない2人の幼い孫娘と1人の幼い外孫の面倒を看るだけでなく、家事と4ヘクタールある畑の農作業もやめていませんでした。そして大きな心理的圧力と悲しみを受けていましたが、彼女の身体は非常に健康でした。嫁は他人から笑いものにされないように、私たち父子が家でやっていた商売を頑なに支え続けました。しかも、私と息子を救うために、あちこちの親戚や友人に助けを求め、警察や裁判所まで行き、何度も大変な苦労を経験し苦を嘗め尽くしました。彼女はずっと日記を書き続け、自分の心の苦しみをすべて表していました。最も感動したのは、「困難や障害に遭遇するたびに、私は心からの文字を唱え、危機を解決してくださるよう大法の師父にお願いします。誠心誠意お願いすると、すぐに状況が好転しました。私は心から大法の師父に感謝します」という表現でした。

 私と息子は刑務所の中で、法の暗誦を強化して自分を落ち着かせ、正念を発して邪悪を解体し取り除きました。邪悪の脅迫と利益での誘惑、脅したり宥めたりする戦術、陰険なやり口に直面しましたが、私たちは動揺せず、屈せず、騙されず、大法と師父の面目を汚したり、損なったりしませんでした。1年以上、そして2年近くの錬磨を経験して、私たち父と息子は威厳ある態度で留置場から出てきました。

 その時、邪悪は私たちを惑わそうと、「お前たちはあまりにも利己的だ。お前たちは圓満成就とかいう自分の奇想天外なことしか考えていない。お前たちの身内がお前たちのために苦しみを受けているというのに。お前たちの子どもや孫の将来に深刻な影響を及ぼすことになるぞ」と脅しました。

 彼らの虚言に対して、その時私は厳しく反論しました。「善悪を逆にし、概念をすり変えてはいけない。彼らの苦しみは私たちによって引き起こされたものではない。大法を修煉して以来、私は多くの難病に苦しむ人間から健康な人間に、時代の流れに合わせて道徳が滑落した人間から心の境地が高尚な人間に変わったのだ。私たちの修煉は私たちの家族から社会全体に至るまで百の利益こそあれ、一つの害もない。このことは私を知る人なら多くの人が認めるところで、争えない事実であり調べればわかるだろう。大法が迫害されて以来、私の家族のみならず、どれだけの家族が迫害され、妻や子が離散し引き裂かれたのか分からない。どれほど多くの善良な同胞が無実の罪が晴れずに世を去ったことか。ひいては金儲けのために生体臓器狩りに遭っている。この甚大な罪悪は大法を迫害するという悪習を作り出した者達が権力を利用して暴政を作りだしたのだ。歴史は無情だが、天理は公平なのだ。真相はしょせん明らかになるはずだから、善悪の報いがきっとあるだろう。あなた達がうその渦中から抜け出し、自分の考えをもち、もう悪事に加担するのをやめて自分のために明るい未来を選ぶことを希望する。これは大法弟子からの忠告です」と言うと、彼らは憤慨して立ち去りました。

 私が大法の法理から悟ったことは、たとえ大法弟子が修煉の過程の中にあって、旧勢力の干渉と邪悪な中共の迫害により、親戚や友人が苦難に遭うかもしれません。しかし、最終的には、親戚や友人、そして将来の世代にもたらすのは、この上なく素晴らしい未来と比類のない福報です。

 私の家族が1年以上の辛酸の試練を受けた後、現在の状況は次の通りです。家族はみな健康で、幼稚園1年目の下の孫娘のテストの点数は2科目が100点でした。外孫である下の孫娘の2年生の成績と一番上の孫娘の4年生の進級テストはすべてトップクラスの成績でした。私たちが迫害されていた時、外孫である孫娘は大学に通っていました。当時、邪党の党員の脅しにしても、社会の誤解や世論の誘導においても、ひいては親戚や友人さえもみな子供の将来に影響するだろうと言いました。私の娘に対し痛惜の気持ちを表し直言してはばからない人もいました。しかし、当時娘はこの悪事を認めず、真っ向から対立し否定しました、「父も兄も良い人になって良い行いをし、徳を積んだために無実の罪を着せられました。善と悪には報いがあり、善悪に報いがあるのは天理なのです。人にはそれぞれ運命があり、天には目があり、私の娘の将来はすべて天にまかせています」このような正しい一念に基づいて、心からの九文字を唱えたことによって、外孫は今年大学を卒業した後、順調に一流大学の大学院生に合格しました。現在すでに入学し授業が始まっています。これはすべて大法を信じ、大法を敬うことによってもたらされた奇跡的な福報です。

 結び

 私の最大の悟りは、大法の修煉の道において判断や選択をするときは、まず師父が望む按排と旧勢力の邪悪な按排をはっきりと区別しなければなりません。師父の按排はともすれば頂点に到達するようなもので、表面的には苦難と険しさに満ちているように見え、多くの決意と信念と意志が必要ですが、未来は限りなく明るいのです。しかし、旧勢力の按排は、往々にしてまずは人を惑わす薬を混ぜた美味しい酒を使って、人を転倒させ、その後崖に突き落とすというものです。感覚が麻痺している時に、やむなく逃避と脱出を空想し、知らないうちにすでに奈落の底に落ちているのです。したがって、どんなに困難であっても、私たちは師父が按排した頂点に到達する道を揺るがずに歩まなければなりません。

 師父は、「法が天体を正すことはすでに終了し、現在法がこの世を正すことに移行しつつあります[4]と仰いました。

 私個人は、「移行」とは段階であり、過程であり、時期であると理解しています。この過程において、師父の大きな慈悲によって、私たちが修煉の道を正しく歩み続け、欠点を改善し、間違いを正し、過ちを補う機会でありチャンスでもあります。特に、方向性を誤り、回り道し、誤って道を踏みはずした同修にとって、迫害は終わっておらず、真相も大きく明らかにされていないため、道を誤った者が正道に立ち返る最大の機会なのです。師父の新経文の題名は『目覚めよ』なので、大法と縁のあるすべての生命をまだ引き続き目覚めさせることを意味しているのではないでしょうか? 目覚めましょう! 私の同修たち、私自身も含めて。

 偉大なる師の慈悲なる済度と厚恩に感謝致します!

 師父に叩頭致します!

 同修の皆さんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『シンガポール法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「発正念の2種類の手印」
 [4] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』

 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/6/18/462070.html)
 
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