淡々と軽く見ることについての感得
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年11月1日】慈悲なる創世主は宇宙を造り上げ、同時に宇宙の中の万事万物をも造り上げました。宇宙の中の一つの小さな生命にとって、人間界で宇宙大法のことを耳にすることは、この生命にとって、この生命の背後にいる数えきれない衆生をも含めて如何に幸運なことでしょう。

 人の心は、その人の全体的な状態が現れるプラットフォームであり、修煉者の心は、修煉状態を確認する試金石です。この心について、最近の感得を話したいと思います。

 長い間、同じ場所に置かれていたものは、時間の経過とともに、人々の過去の出来事を思い出す題材となったり、骨董品になったりすることがあります。

 長い間放置されたものは、少しずつ腐乱していきます。私たちの心は、物を置く場所に例えられます。修煉者は絶えず執着を切り捨て、自分の放下できないものを手放します。しかし修煉は「進まざれば、すなわち退く」ものです。心に放下できないものがある時、時間が経つにつれ、その物はあなたの空間を汚染し、修煉においてはあなたの周りが清浄ではなくなり、矛盾や面倒なことが影のようにあなたに付きまとい、その時、あなたは悩みと疲れを感じます。心にあるものが変異したためだということに気付かず、絶えず身体の周りのほこりを掃除し、私たちも修めているように見え、よくない物質を片付けているのです。しかし師父が説かれた「内を修めて外を安定させる」 [1]をおろそかにしており、師父の弟子への戒め「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」 [1]を忘れています。

 私は次のように感得しました。修煉者が人間の物質をあまりにも重く見ている時、あなたの心というこの天秤に重りを加えています。修煉者の心性は直接この人の次元を決め、修煉が向上する基準は、心を放下すればするほど、物事を淡々とみればみるほどよいと判断されます。こうみれば、私たちが物質利益をあまりにも重く見る時、心という天秤の重りがますます大きくなり、従って背負うものも大きくなり、その時、修煉者は功力が阻まれ、向上が見えず、下落せざるを得なくなります。

 数日前「心」の選択を体験しました。一見解決できないような矛盾を前に、途方に暮れ、解決の糸口が見つからず、ただ消極的に耐えるしかありませんでした。 しかし修煉者は世間の常人とは異なります。その時、私は師父と大法を思い出し、自分の心をコントロールして、目の前に起きていることを淡々と軽く見て、心が重くならないようにしました。私は師父の法を暗唱し続け、自分の心にこれらの雑物を置いて、自分の空間場が汚染されないように絶えず自分を戒めました。その時の私はとても辛く感じ、迷いの中にあった私は少し不器用で、時には希望が見えないような気がして、少し無力感を感じました。

 ある日の朝、子供が「昨日、師父の夢を見た」と言いました。慈悲深い師父が子供を前に導いていて、師父の手が子供の手を握り、後ろには多くの人が師父に付いて前へ進んでいたと言います。子供は幸せそうに私に夢の話をしてくれました。それを聞いた私は泣いてしまいました。子供は「どうして泣いているの」と聞きました。私は「師父は、私たちがこの難関を乗り越えるのは難しいのを見て『師父と一緒だから怖がらないで』と励ましてくださったのよ」と伝えました。子供は「そうだよね、昨晩は最悪の気分で、妄想をたくましくしていたが、今日は随分よくなりました」と言いました。私は子供に「師父は私たちの身辺にいらっしゃるのよ、私たちの今の気持ちを師父はすべてご存知だよ。師父は慈悲であるよ」と伝えました。私たちの内心は師父に対する感激でいっぱいになりました、師父、ありがとうございます! 弟子はまた師父にご心配をおかけしました!

 私はまるで前方に光が見えたようでした。師父の法に対して、またさらに深い悟りができ、師父の法は私たちの修煉における航路標識であり、その時、私たちが遭遇したいわゆるトラブルは、実際法に対する確固たる程度に対する試練であると知りました。なぜなら大法弟子は自分の世界、及び、自分の世界のすべての衆生を成就させ、師父の伝えられたこの宇宙大法に同化させなければならず、私たち大法弟子はそれらの天体世界の代表であり、私たちの修煉状態はそれらの天体世界の衆生の存続を決めるからです。

 このようにして、師父の法は絶えず私たちを成就させ、次第に私たちは目の前の難解と思われるトラブルに対して辛く感じず、疲れず、あまり重く見なくなります。その時、私は人間の思考があまりにも茫漠たる、根の無い、それらの思考から発せられる物質が非常に愚かで余計なものであるかのように感じ、これらの考えは師父の説かれた「昔、宗教の修煉では、佛家は空を強調し、何も考えずに、空門に入ります」 [3]と矛盾していると感じました。これらの無形の低能な考え方が、私が法に同化することをも妨害していたのです。

 考えが法の基準に達した時、宇宙の運転メカニズムが神の奇跡を現します。なぜならこの神の奇跡は法の体現であり、異なる次元での法の異なる現れだからです。ここまで書いた時、私は心から、「師父がいらっしゃって、本当に嬉しい」、法を得ることができて本当に幸運だと言いたくなりました。

 今回の感得を通じて、私は生命の昇華についての理解を深めることができ、師父の慈悲深い救いと済度に感謝の気持ちでいっぱいになりました。師父、ありがとうございました!

 以上は僅かな体験であり、不適切なところについては、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「内を修めて外を安定させる」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/9/432212.html)
 
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