観念を変え、修煉の道を正しく歩む
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文/ 湖南省の大法弟子

 【明慧日本2023年9月25日】2022年8月、同修Aさんは社区の人と警官から不法に家宅捜索を受けました。翌日、同修Bさんの家も警官に家宅捜索され、大法の本などを持ち去られました。同修Bさんは警察署に連行され、取り調べを受け、新著の『洪吟六』の出処について聞かれました。同修Bさんは「同修Aさんは(70代)の高齢者だから名前を出せない。 ○○さん(私のこと)はよく修煉しているので、彼女の名前を出しても迫害なんかされないでしょう」と考え、 警察に何度も聞かれた末、私の名前を出してしまい、私が本を作るのを手伝ったと言いました。

 このことが起きた後、同修からは様々な意見が飛び交いました。私の家の本や機器を隠せと言う同修もいれば「20年以上も修煉しているのに、何かあるとすぐ同修を裏切るなんて!」と同修Bさんを非難する同修もいました。しかし、私はとても冷静になって考えました。「何事も偶然に起こるのではない。問題が既に起きたのであれば、ほかの人を責めるのではなく、内に向けて探すべきで、正法の基点に立って問題を見るべきだ。邪悪は、私たちがお互いにトラブルを起こし、責め合い、相手のせいにすることを望んでいる。私たちが常人の心で問題を見ることを欲しがっていて、それを迫害の言い訳にしようとしている」私は「旧勢力には旧勢力の按排があり、師父は師父の按排がある。師父の按排というのは、旧勢力の按排を利用して、私たちの心性を高めることであり、今回の出来事を利用して、私たちが自分の足りないところを意識し、向上させるためである」と悟りました。

 ある同修が、同修Bさんの愚痴を言う私の話を聞いて、私は「同修が過ちを犯したとしても、お互いに非難したり責めたりしてはいけない。お互いに寛容な心を持ち、理解し合い、何か問題があれば、慈悲を持って法に基づいて指摘するべきだ」と言いました。ある時、学法グループでの交流の中で、ある同修から「同修Bさんがあんなことをしたことについてどう思いますか」と聞かれ、 私は「もし警察がどこから本や資料を手に入れたかを聞いてきたら、このように答えればいいのです。 『私はそれを告知することができない。なぜなら、利益と圧力を前に、あなたは大法弟子を迫害するかもしれない。そうなれば、私はあなたに危害を加えることになり、迫害の真実を知らない中で、あなたは大罪を犯すことになる。将来あなたはどうなるでしょうか? (本当に心の底から、彼らを憐れみ、彼らの将来を考えているのです)もし、法輪功がどのように体を修め、心を養い、どのように病気を取り除き、健康になれるのかを知りたければ、すべて教えてあげます』」と言いました。

 私のことを心配してくれたある同修は、邪党(共産党)の追跡を防がなければならないと言いました。 私の身の安全を心配してくれた同修の気持ちはよくわかるし、心から感謝しています。 しかし、私はそこまで深く考えていなかったし、不安や迫害という概念も持っていませんでした。 これらの考え方はすべて人間的な考えであって、神様はそのようにお考えにならないのだと思います。 様々な人間の心や概念があるからこそ、様々な邪魔が入ったり、悪が迫害する口実になったりするかもしれません。

 また、なぜ同修に「○○はよく修煉しているから」と思われているのかについて考えた時「自分に顕示心はないのか? 自分を高め、正当化する言動はなかったのか? 大法や異なる次元の基準から遠く離れているのに、表面上はよく修煉しているという印象を同修に与えてはいないのか?」 と、内に向けて探しました。

 このようなことが起きた時、私はそれを問題と考えず、内面を見つめ直し、自分を修め、向上する機会だと捉えました。

 2017年の冬のある日、2人の男が「町内会の者です」と言って家に来ましたが、その時、家には息子の嫁しかいませんでした。 居間のテレビ台の上に『轉法輪』が3冊置いてあるのを見た2人は、本を並べて写真を撮りました。それから彼らが部屋に行くと、ちょうどプリンターで年間カレンダーが自動で印刷されているところをみました(カラープリンターが遅かったので、自動印刷に設定してから出勤しました)。 彼らはすぐに電話で上司に報告し、私が家にいないのを見て、嫁には何も言わず、しばらくして家を出ていきました。息子の嫁は慌てて私に電話をかけ、事情を詳しく話し、早く帰ってくるように私に言いました。

 このような大きな出来ことが突然起こった時、私は落ち着いて冷静に頭を整理しなければならないと思いました。「第一:大法弟子の家に来ることができたのは、彼らの運命であり、祝福である。第二:このような困難な状況でも、大法弟子が無私無欲で、恐れを知らず、衆生を救うために行動しているのを見ると、羨ましく、感心するしかない。第三:もし、私を向上させるために師父や神様が私を試されたのだとしたらどうしますか?  大法弟子が法に基づいて物事を見ず、隠れたり、引越ししたりするのを見ると笑われるのではないのか」私は、大法弟子がすべきことをするのは悪いことではないし、自分がすべきことをして、今回起きたことはあまり気にしないことにしました。こうしてその出来事から数年が経ちました。当時、家に来たあの2人の男の人は誰なのか? どこの町内会に所属していたのか、今でも私は知りません。

 この2つの出来事を通して、人心が少ないほど、正念は強くなり、善を持って法に沿って他の人のために考えるほど、すべての問題を解決できるようになるのだと悟りました。 私たちが遭遇する全ての困難(邪悪な迫害を除く)や難関を乗り越えるようなことは、すべて私たちを向上させるためのものであり、私たちの心が法に沿って、概念を変え、真に人の心を解き放ち、立ち上がりさえすれば、それらの難関はもう難関でなくなるのです。

 ある同修の家に行ったとき、彼女が発正念をするのを見て、なぜ11時に発正念をするのかと尋ねると「私たち数人で刑務所から帰ってきた同修に会いに行った時、その同修の息子に写真を撮られたので、彼が告発しないように発正念をしています」と言いました。 私は、彼女に「私たちが発正念をして解体するのは、彼女の息子を操っている異空間の悪事を働くように仕向けた黒い手(悪い神)と卑しい鬼、共産主義の悪霊であり、息子への毒害を取り除くためであり、本当の目的は息子の無垢で善良な性質を守り、すべての衆生の安全を守るためです。もし最初に考えることが他人のことであれば、私たちは無我の境地に向かって精進し、そうなると悪は崩壊し、衆生は救われるのです」と言いました。私の話を聞いて、同修も同感しました。

 この1年間、私は向上するのがとても早く、常に新たな法理を悟ることができると感じています。時には自分の観念を変えるだけでよくて、ひいては認識さえできれば、気づいたとたんに師が引き上げてくださると感じ、修煉すればするほど修煉の素晴らしさを感じています。

 師父が私たちを 「学習者」、「弟子」、「大法弟子」、「大法粒子」と呼ばれるのはなぜだろうと、私はよく考えていました。 それは段階的に向上する過程だと私は思います。一般人から 「弟子 」へ、そして未来の 「神」へ、これは段階的に向上する過程であると同時に、絶え間なく浄化し、真・善・忍の宇宙の特性を受動的から能動的に同化する過程でもあります。 私たちが常に法の中に溶け込み、三つのことをしっかりと行っていれば、師父は私たちに最高のものを与えてくださるのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/28/464411.html)
 
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