法輪大法は、15年前私を地震から守ってくださった
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年10月12日】私は72歳で、1997年に法輪大法の修煉を始めた女性の大法弟子です。 長年にわたって大法を学び、修煉してきました。私の思想は向上し続け、特に法輪大法の不思議さを深く理解するようになり、身体が浄化されて多くの恩恵を受けてきました。 忘れられないのは、四川省汶川でマグニチュード8の大地震が発生したとき、法輪大法と慈悲深く偉大な師父のご加護の下で、私は幸運にも難から逃れることができたことです。

 地震が起きた年、私は四川省都江堰市にある新築集合住宅の2階に住んでいました。

 2008年5月12日、その日の昼食後、夫はバルコニーで本を読んでおり、私はリビングでアイロンかけや衣類の整理をしていました。 午後2時40分ごろ、突然、大きな轟音が聞こえました。その地響きのような音はますます大きくなり、そして 一瞬にして家全体が揺れ始め、地面が上下に揺れるとともに、部屋も揺れました。 この突然の光景を目の当たりにして、私はすぐに地震が近づいているとわかり、パニックに陥り、どうしたらいいのか分からなくなりました。

 家の床はますます激しく揺れ、部屋の揺れもさらに激しくなり、突然、私は何かの力に持ち上げられ、リビングから2メートル先の部屋に叩きつけられました。 落下物もありましたが気にせず、私はすぐに起き上がり、ドアを開けて逃げようとドアに向かって走りました。 しかし、ドアノブをひねることも、ドアを押すこともできず、とても焦りました。

 この危機に直面した瞬間、私は突然「心からの九文字」を思い出し、すぐに両手を高く上げ、拳を握りしめ、力いっぱい叫びました。「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と。 何度も何度も叫んだ後、私は再びドアを開けてみました。すると、奇跡が起こりドアが開きました。 驚きながらも、すぐに階下に逃げるために階段を下りようとした瞬間、階段が再び揺れ始めました。躊躇しましたが、心を決めて必死で階段を下りました。そして、外に出た時には安堵のため息をつきました。

 しばらくすると、スウェットに短パン姿の夫が、同じように走って避難してくるのが見えました。 夫は食道がんの手術を受けたばかりで、羽織ものもなく、ズボンもはいていませんでした。もし、長時間食品を入手できなければ、彼は耐えられないのではないかなと思うと 、私は身の安全も考えず、再び自宅に向かって走りました。 避難所を出たところで、また地面が揺れました。 余震が続いていたのです。私が家に向かって走っているのを見た避難者たちは、「建物に入るな!  建物に近づくな!  危ないから!」と大声で呼びました。 しかし、自分は法輪大法修煉者であり、師父のご加護の下にあるから、身の危険を感じませんでした。このようにして、私は建物に入り、すぐに階段を上り、問題なく部屋のドアを開け、夫の衣類と食料を細心に集め、安全かつスムーズに避難場所に戻りました。

 避難場所に戻り、四方の状況を見渡すと、本当に悲惨な光景でした。地上の建物は、壁の一部が剥がれ落ちたり、割れた窓ガラスが地面に散乱したり、倒壊している家もあれば、歪んでいる家もあり、ただただ耐え難いものでした。 そして、避難所の辺りを見ると、乱雑に取り散らかっており、多くの人々の服はボロボロで身を隠すこともできず、スリッパを履いていたり、頭と顔は血まみれで腕や足もけがをしていました。

 さらに、地面に座ったり、横たわって呻いているのを目の当たりにしました。時折、大人も子供も泣き叫ぶ光景は人々に悲しみを与え、今でもその光景は忘れられません。 不完全な統計によると、四川省のマグニチュード8の汶川地震では、約30万人が死亡し、負傷者は数え切れない程でした。

 人々は放心状態に陥り、いつしか空は次第に暗くなりました。被災した人々は夕方の小雨の中、雨宿りをしながら、地震がもたらした心境や、家族の多大な犠牲を語り合っていました。 家の壁はひび割れてはがれ、床が盛り上がったりへこんだり、テレビやエアコンなどの家電製品、家具も破損し、すでに多くの家庭ではこれが一般的な状況でした。

 避難していた人々の中から、都江堰農業貿易市場の大型屋内市場が崩壊して数百人が死亡したとか、瓦礫の中に埋もれたという悲惨的な話しを聞いたとき、私はあまりの衝撃に思わず涙がこぼれました。

 経緯はこうでした。都江堰農業市場の中にある、レンガ造りで平屋建ての大型屋内市場には数百の露店があり、様々な野菜、果物、卵、水産物、肉や豆などの生活用品を販売しています。 ここは比較的品ぞろいが良いので、夫と私は毎日午後2時頃に、この市場に買い物に行きます。 ところがどういうわけか、5月12日の朝、夫は私にこう言いました。「今日は朝食の後、二人で市場に行って、何か買って、お昼にあと2品作ろう」、 普段は午前中に法の勉強をしてから、午後から市場へ行くのが日課だったのですが、彼の話しを聞いて同意したのです。そのため、朝8時頃、夫と一緒に市場へ買い物に行きました。市場から帰ると、夫と一緒に豚の角煮や豆のおかずを作り、さらに大きな餅を鍋で蒸したり、昼の食事の準備をしました。 しかし、これらの食べ物のすべてが、あの地震に遭遇した後の命を支える役割を担っていたのでした!

 私たちを救ってくださったのは、法輪大法であることを身をもって体験しました。震災の前に夫を導いて私たちを震災から守ってくださいました。師父の慈悲深い救いに感謝いたします!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/24/465476.html)
 
関連文章