この言葉は本当に不思議である
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  【明慧日本2024年2月1日】以前、明慧ネットで同修が「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を真摯に唱え、加護を受けたときに起こった奇跡的な出来事を共有しているのをよく見かけていました。今日は私も身の周りで起きた奇跡を共有したいと思います。

 数年前、ある新しい同修の娘は三退していましたが、大法の奇跡に対してはまだ完全に信じていませんでした。しかし、この同修は娘の運転の安全を考えて、娘とその子供たちに、心からの九文字の「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を毎日唱えるようにすすめました。ある日、この同修の娘が車を運転している時に、心からの九文字の言葉を唱えたところ、車の前に回転する「法輪」が現れたのです。彼女はその不思議な光景に驚き、一瞬唱えるのをやめてしまいました。車の運転に影響を与えるのを心配したからです。

 少し前のある夜、三退した友達が私に電話をかけてきました。

 この友達は非常に落ち込んでいました。その日、うつ病で苦しんでいた友人が、睡眠薬を飲んで自殺を図ったのでした。当時、この友達は自殺の現場にすぐに駆けつけ、120番の警察を呼んでこの友人を病院に搬送しました。その後、この友達は友人が全身にチューブを差し込まれ、非常に苦しんでいるのを見て、自分が悪いことをしているような感じがしたのでした。なぜなら、この友人は以前、「もし、自分が生きる気がなくなったら助けないでほしい、気軽に去らせてほしい、苦しませないでください」と言っていたからです。その時は冗談だと思っており、相手が本当に自殺するとは思ってはいなかったのです。病院はその自殺者が助からないと判断し、家族に葬儀事務の準備をさせました。

 友達は、友人が苦しむことなく、楽に去ることができなかったことを気にしていたのです。友達は私に、「私は何か悪いことをしたのでしょうか?」と尋ねました。私は「救急車を呼ぶことは間違いではありません。昔から言われているように『一命を救うことは、七重の塔を建てることに勝る』です。あなたは間違っていません。ただし、その人は私と縁がありませんでした。もし前もって私に彼の家に遊びに行って話してみることを頼んでいたら、おそらく後に自殺することはなかったでしょうね」と話しました。私は彼を慰め、電話を切りました。

 翌日、友達は奇跡的な話をしてくれました! 友達はその夜、自殺した友人のことを考え続け、なかなか眠れませんでした。そして、私が言った「このような場合、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を多く念じる」という話を思い出したのです。友達はこの言葉を唱えながら、「友人が意識不明から目を覚まし、生き返りますように」と願いました。その思いを抱えながら、この友達はなんと眠りに落ちてしまったのです。翌朝、友達が目を覚ますと、友達の友人の家族から『生き返った様子のビデオが送られてきた』と言いました。友人は深夜の12時過ぎに目が覚めたそうで、友達の友人の家族はこれは「奇跡」だと言いました。なぜなら病院はもう助からないと判断しており、亡くなることを待つだけだったからです。

 友達は喜んで、急いて私に連絡をしたのでした。友達は「奇跡です!」と言ったので、私は「これは奇跡ではなく、『神跡(神蹟)』(訳注:奇跡の中でも神の力による出来事を指す。同じ出来事であっても神の存在を信じていない人にとっては「奇跡」となり、神の存在を信じている人にとっては「神蹟」となる)です! なぜなら、あなたは誠心誠意この言葉を唱え、彼が生き返ることを望んでいたからです。その一念で、大法の師父はあなたの友人をお救いになったのです。これは神跡ではないでしょうか?」と言うと、友達も「それは確かに神跡です!」と言いました。

 これらの二つの実話は、誠心誠意「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を唱えることが、本当に災難を避け、幸運をもたらすことを改めて確認させられました。大法の真実が分かっている人々や、まだ分かっていない人々が、早く三退して獣の印を消し去り、迫り来るパンデミックの中で、誠心誠意にこの言葉を唱えて、大淘汰を避け、幸運をもたらすことを祈ります。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/1/21/471132.html)
 
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