一思一念の修煉を重視し RTCプロジェクトで衆生を救い済度する
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2024年3月24日】「一思一念の修煉を重視する」というテーマは聞き慣れた話ですが、修煉者にとっては実に重要であります。

 最近、ある同修の交流文章を読んで、感銘を受けました。同修は、新鮮でないグレープフルーツを捨てるのがもったいと思って、食べました。これは本来何でもないことですが、同修が余計に「お腹を壊さないように」という一念が生じました。その結果、魔難を引き寄せ、病業の仮相をもたらしました。幸いなことに、同修はすぐに内に向けて探し、魔難をもたらした誤った一念を見つけて、関門を突破しました。

 私はRTCで電話をかけ、もっと多くの衆生を救い済度するべきだと思っています。そのためには、自分の心性を高めなければならない、特に一思一念が法に合っているかどうかに注意すべきです。しかし、実際のところ、私はRTCで電話をかけてからもう4年になり、多くの同修から「電話をかけるのはまあまあうまくいっている」と言われていますが、長い間多くの衆生を三退させられず、時に当直中に1人も三退させられませんでした。なぜこうなるのだろうと悩んでいました。そこで、私は真相資料を十分に把握していないか? それとも説得力が足りないのかと思って、違う年齢層の人たちにどう説得すればいいのか工夫しました。しかし、状況はよくなったり、悪くなったりして、ずっといい状態にいられませんでした。

 内に向けて探さなければならないと分かっていながら、実践しませんでした。自己満足の状態にとどまっていたので、自分の不足を見つけられませんでした。交流するとき、うまくできた同修たちはよく修煉の状態がよければ、三退させるのもうまく行くと強調するのですが、私もそれを分かっていますが、なぜか変わることはありませんでした。根本的な原因は、つまり真に法を理解していないため、法に照して自己を高めることができず、一思一念から自己の不足を見つけることができなかったのです。

 ある期間、当直中に次のような状況が頻繁に発生しました。電話がつながらなかったり、つながってもすぐに切られたりして、当直の時間を半分過ぎて、やっと何人か三退し始めました。このような状況がずっと繰り返されるうちに、時間を無駄にしているのではないかと思いました。でも、どうすればいいかが分かりませんでした。そんなある日、以前同修が交流した際に、電話がつながる前に法を学ぶと効果があると言っていたことを思い出しました。私も試しにやってみると、最初は本当に効果がありました。しかし、次の当直になると、また効果がありませんでした。

 不思議に思うと、ふと自分の心に不正な念があることに気づきました。分かった瞬間、恥ずかしくなって、すぐに不正な念を取り除き、電話をかけることに集中すると、すぐに結果が現れました。

 またある日、電話をかける前に、家にお客さんが来ました。お客さんは私が3時に予定があることを知っていたので、時間になる前に帰ろうとしました。しかし、私は「大丈夫です、今日は私がリーダーではないので、もう少し話をしましょう」と言ってしまい、結局当直に遅れていました。そうすると、最初の1時間またつながらなくなったり、つながってもすぐに切られたり、相手が私の声が聞こえなかったりして1人も救えず、合間に学法しても改善されませんでした。その後、脱退した人がいましたが、脱退させるために大変苦労しました。

 考えてみると、あの一念で招いてしまったと分かりましたので、自分もできるだけ正してみましたが、効果はありませんでした。したがって、毎回人を救う貴重な時間を有効に活用するためには、自分の一思一念を正しくしなければならないと感じました。

 以前、姑が元気だったとき、夫(法輪功を修煉していない)はいつも外に出て友達と遊んでいましたので、私には影響しませんでした。しかし、2年前に姑が体調を崩したため、夫は家にいる時間が増えました。彼は音楽が好きで、暇なときには、いつも大音量で音楽を流していました。私たちは山間部に住んでいるため、近所には迷惑にならないが、私には大きな妨害となって、ドアや窓を閉めても遮断できませんでした。そのため、私は不満を抱え、そわそわして落ち着かなくなって、特に電話がつながらないとき、音楽の音が耳に入ってくると、さらに辛かったのす。

 考えてみると、これはやはり自分が引き寄せたものであり、彼のことを気にせず、通常通りに電話をかけ続けようと思いました。この法に基づく一念により、次の通話では彼からの音はまったく聞こえなくなりました。むしろ、私の心が落ち着いたことで、音楽がいつの間にか止まっていました。

 昨年初めに師父が「なぜ人類が存在するのか」、「なぜ衆生を救い済度するのか」という2つの経文を発表され、年末に「険悪を遠ざけよう」、「大法修煉は厳粛である」、「師父の家族に正しく接する」、「台湾法会に参加する大法弟子へ」という経文が連続して発表されました。さらに、明慧編集部からも多数の記事が発表されました。謹んで拝読した後、私は突然大法の法理と修煉方法がより分かるようになって、心の中に法を入れておけば大法の威力を発揮できるようになると悟りました。それから大法の力を得て、私を阻んでいるものが、どんどん薄くなっていきました。

 したがって、私は修煉上の不足は一思一念を修めていないからだと分かりました。いま常に良い状態でいるわけではないのですが、よくない念が生じれば直ぐに見つけることができるようになり、効果も一目瞭然です。一思一念で修煉すれば、絶えず執着を取り除くことができるので、衆生を救い済度するプロジェクトもよくできるようになります。

 個人の次元が限られているため、上記の内容に不適切な点があれば、慈悲深いご指摘をお願いします。

 (2024年RTC交流会での交流文)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/19/474210.html)
 
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