人を救いたいという一念で 1カ月続いた魔難を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年4月2日】10年以上前の出来事ですが、昨日のように今もはっきりと覚えています。 私はこの事について感じたことを書き出して、このような状況にある同修の参考になればと願っています。

 当時、私たちは田舎でたくさんの生姜を栽培していました。一日中働き、とても疲れていました。 自分たちは大法修煉者だと称していましたが、実は、法を学んだり、功を煉ったりすることはほとんどなく、心性も修めず、常人と同じようでした。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を知っているくらいのことが私と常人との唯一の違いでした。 秋ごろから腰痛に悩まされるようになり、最初は軽くかがむことができたのですが、だんだん症状が重くなっていきました。

 年配の同修がよく助けに来てくれたり、姉も来てくれたりして、私と心性についてあれこれ探したのですが、根本的な原因がわからず、腰痛は良くなるどころか、どんどん悪化していきました。 年配の同修は、私を三輪車に乗せて法を学びに連れ出したり、同修の家に行き、交流したりと、大変な努力をしてくれましたが、私の腰痛は相変わらずでした。 今になって、当時の私は、内に向けて探すことができず、実践もせず、うわべのものだけにこだわり、自分の執着心を深く掘り下げなかったため、あのような状況に陥ったことに気づきました。 今になって探してみると、当時の私には、欲望にまみれた心、色欲心、争う心、人に指摘されたくない心、顕示心(良いことは周囲に告げ、良くないことが知られることを恐れる心)、嫉妬心など、また、簡単には見抜けない心がありました。これだけの心があれば、旧勢力が介入せずにいるでしょうか?  その時、病院に駆けつけようとしましたが、姉は病院に行かなくて良い、それは虚像だと止めてくれました。今となっては、姉が病院に行くことを止めてくれたことにとても感謝しています。

 最初のうちは、まだ坐禅ができたのですが、だんだん腰痛が深刻になっていき、1カ月近く経ちますが、一向に突破口が見えません。 根本的な執着が見つからず、ただ自分が修煉者らしくないことだけは分かっていて、打開策がありませんでした。 それから1ヵ月ほどすると、手を洗う時に前かがみになることもできず、やかんを持ち上げることさえできなくなり、腰の骨はまるで分裂したかのようで、筆舌に尽くしがたい痛みになりました。一度に数センチも歩くことができませんでした。 ある晩、家に私1人しかいないので、煉功しようと思いました。それまでも腰が痛かったけれど、まだ煉功はできていましたが、その晩はほとんどできず、動功を煉るときは、痛みで手を伸ばす勇気もなく、咳をするにも何かで腰を押さえながらそっとしなければなりませんでした(以前は腰がそれほど大切だとは思わなかった)。それでは座って座禅しようと思いましたが、座ることもできません。ならば、横になって休んでリラックスしようと思っても、横になることもできなかったのです。

 「これは旧勢力が私を滅ぼそうとしているのだ、私は師父に見守られている、なぜ私は旧勢力の言いなりになるのか、私を寝かせないなら、私も眠るつもりはない!  私は真相を伝えて、人々を救いに外にいかなければならない」と私は警戒しました。 そう考えながら、私は懐中電灯を持ち、二つの大きな袋に真相資料を入れ、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という真相シールを持って出かけました。 その時は本当に歩き辛くて、一度に数センチも動けず、昼間なら、笑われたでしょうが、夜中の1時頃で真っ暗闇の中、しかも東隣には亡くなったばかりの義姉がいて、不気味な雰囲気でした。 でも、私は何も怖くありません、私には師父がおられる、すべては人を救うために道が開いているのだ、と思いました。

 こうして、いかなる雑念も消え、真相シールのポスティングを始めると無我夢中になり、自分は舞い上がり、空を自由に飛び回っているかのようでした。小さな一歩一歩を踏み出して、 東の村から西の村へ、南から北へ、夜明けに近づくと、腰の痛みも忘れて、普通の人のように歩いていました。 家に帰ると、すでに朝の6、7時で、何事もなかったかのように、背中はすっかり良くなり、痛みもありませんでした!  慈悲深い偉大な師父は私にはまだ人を救う心があると知り、業力を取り除く手助けをしてくださいました。師父に感謝を申し上げます。

 その頃、私たちは毎月15日に県の公安局と警察署に行き、近くで発正念をしていました。 その晩の翌日、私は姉の同修と一緒に自転車に乗り発正念に行きました。 奇跡のような2カ月間でした。 今回、腰痛の病業の虚像を経験した私は、師父が「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」(『洪吟二』「師徒の恩」)とおっしゃったことがその通りだと悟りました。

 今思えば、腰痛という虚像は、私が本当に三つのことをきちんと実践していなかったことが原因でした。 この挫折で、同修をどのように助けるかは確かにとても重要なのですが、最も大切なことは、師を信じ、法を信じることであり、自分が正念を強く持つことで、師父が私たちの魔難を解消するのを助けてくださると気づかされました。

 少しばかりの悟りですが、間違っていたら同修のご叱正をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/14/473944.html)
 
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