大法を利用する心を発見して取り除く
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文/中国の大法弟子   

 【明慧日本2024年4月17日】私が法輪功を修煉し始めて以来、いつもそうでした。プレッシャーと忙しさの中で、全式の煉功が出来ない時もありましたが、学法が多く出来なくても、なるべく空いている時間を利用し、煉功と学法をしました。しかし、家に一人でいると自由時間がたくさんあり、自分をリラックスさせて、すべての家事を終えた時、いつも携帯電話を手に取り、ネットニュース、小説、ドラマを見たり、他の携帯電話でネットショッピングをし、くつろぎました。(シニア向け携帯に買い替えましたが、スマホを捨てず、たまに調べるためという言い訳でした)したがって、多くの学法の時間が無駄になり、後で後悔しました。

 そして、精進しないたびに、トラブルが起こります。子供夫婦が喧嘩をしたり、孫娘が病気になったり、さらに修煉の状況が悪くなると、血便、鼻水やくしゃみが出るなど、身体の問題が起こります。長期間精進しなかった場合は迫害を招く恐れがあります。

 最近、テレビをつけ少し見ようと思ったのですが、結局一晩中ドラマを見てしまいました。その過程でいけないこととわかっていても、テレビを消すことなく、背後にある悪魔に支配されており、自分を抑制したくなかったのです。翌日、鼻水とくしゃみがずっと出ました。親戚の同修は、私が空から飛び降り、泥んこで遊んでいる夢を見たと言ってくれました。

 師父は何度もチャンスを与えてくださいましたが、私は何度も繰り返し、携帯電話とテレビを完全に手放すことができませんでした。時々、弟子が精進せず、師父がそのために耐えなければならないことを考えると、とても苦悩しました。自分は大法弟子に値するのだろうかと思いました。大法が良いものであることは知っていますし、私自身も奇跡を何度も経験しています。なぜ精進し続けることができないのでしょうか?  なぜいつも二歩進んでから休みたがるのでしょうか?  なぜ小説やテレビへの執着を完全に手放せないのでしょうか?  なぜ修煉に真剣に取り組むことができず、この一生に一度の機会を大切にできないのでしょうか?

 学法の量が少ないことが一つの原因ですが、時間があるときになぜ学法しないのでしょうか? 『ロサンゼルス市法会での説法』で師父は「もし、修煉がとても良くできている大法弟子が、理性的に大法とは何かを認識することができれば、きっと力を入れて行ない、この面において緩んでしまうことは決してありません。逆から言えば、精進していない弟子も法を勉強しており、法がとても素晴らしいと分かっていますが、法に則っておらず、正念も足りないので、認識はやはり高まらないのです。つまり、本当に法の貴重さを理解することができないから、なかなかやる気が湧いてこないのです」と説かれました。

 なるほど、私は大法を理性的に認識できず、法の尊さを真に理解できず、時間と機会を無駄にしています。なぜ法の尊さを真に理解できないのでしょうか?  私は自分の享楽を重視し、大法を第一に考えていないからでしょうか?  基本的に、自分の人生の楽しみを追求するために大法を利用しています。

 2016年、江沢民を訴訟するプロジェクトを行ったため、警察に家宅を不法捜索され、拘置所に送られたことを思い出しました。当時、突然安逸から目が覚め、修煉の厳粛さを認識し、精進しなければ大変なことになると思いました。(難を恐れ精進し、難がなければ安逸し)その期間、私は確かに自分自身を厳しく要求することができました。毎日目を開けると、私の主意識は非常にはっきりしていて、洗面や歯磨き、掃除、労働、当直をするたび、発正念をして、悪を一掃します。手を動かせば悪を殺し、一歩を踏み出せば悪を撲滅し、時間があれば法を暗記し写し、獄舎の人に真実を明らかにしました。朝の体操のときは後列に立って、第一式の功法を練り、やれるところまでやりました。

 同じ獄舎の人は、保証書を書かないと出られないと言っていましたが、私は保証書を書かなくても出られると言いました。私は常人が迫害を認めるという常習的な考え方を認めず、いかなる保証書も書かないと心の中で師父に言いました。私はいつも明慧の子供弟子についての記事を覚えています。この子供弟子は自分のおばあちゃんに、大法弟子が絶えずに正念を発し、法を暗記し、自己を向上させ続ける限り、邪悪に閉じ込めることはできないと話しました。私も何度か不法拘束を受けましたが、「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」(『洪吟二』「師徒の恩」)の力を真に体験しました。

 月末の最後の日は、同じ獄舎の人が「これは、保証書を書かないと出所できないね」と言いました。朝からカササギの鳴き声が聞こえるのも、外に出られるという予感はあったものの、何が起こるかは保証できません。師父、どこに行っても、悪を天地のひっくり返すまでやってみると私は心中で思いました。

 結局、正午前に拘置所を出ました。その過程でも、外に出る焦る心があり、人心があるため、出口で署名をしてしまいました。以前、警察の不法捜索リストに署名し、悪に協力したことがありました。この面では正しく歩むことができませんでした。

 私が何度か迫害を受けたことを振り返ると、法を十分に勉強せず、発正念をせず、携帯電話で小説を読み、多くの修煉時間を無駄にし、悪に隙をつかれました。普段は怠けていますが、自分の安全が脅かされると、主意識が強くなります。法で物事を認識し、法理は明確で、悟性も悪くありません。しかし、安逸な状況では、常人の楽しみを探し、修煉を緩めてしまう、修煉を自分の守りとみなしていました。私、私、私、私が先に来ることが多く、常人の中では修煉が私のためであり、私利私欲のためであるように思えます。

 大法に入った当時を振り返ると、病気を治すためではなく、ただ修煉が好きで、ずっと輪廻転生するのが嫌で、人生はとても苦く、幸せは長く続かないと思いました。しかし、修煉すれば、苦難を終えると、神や仙人になり、それは永遠に苦難から解放されます。私はただ個人の解放を求めていました。現在、修煉の中で大法に同化し、衆生を済度するという要素はありますが、それは自分の享楽ほど重要ではなく、その中には個人の目的を達成するために、大法を利用する利己主義も含まれています。

 また、私は大法を利用する悪い心を認識し、ずっとそれを否定し、解体しようとしましたが、長い間、この汚れた心を完全に打ち破ることができず、改善が緩く、あるいは停滞し、さらに衰退することもありました。したがって、常に法の尊さを心から感じることができず、常に精進することができません。

 最近、師父の経文から、法が世を正す日はそれほど遠くなく、時間はますます切迫していると感じます。私は自分に「もっと学法をせよ、真の大法弟子になりたければ、もっと法を勉強しなければならない」と言い聞かせ、法の中には弟子が正しい道を歩めるように、師父ができるすべてのことが含まれています。

 物事のやり方がわからないとき、法はすでに教えてくれました。考えてみてください、もし神だったらどう対処しますか?  うまく把握できないときは、これが大法の要求なのかどうかを自問してください。これが師父の望むことですか?  師父は私たちに教えています「大法弟子はどんなことをしても、法を第一位にしなければなりません。どんなことを扱う時でも、まず法のことを考えなければなりません。」(『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」)

 旧宇宙の私心を完全に捨て、大法に同化し、使命を完遂し、悟りを開きます。 これはやらなければならないことなのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/2/474770.html)
 
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