あの年の「5.13」
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2024年6月11日】中国共産党の迫害が始まった当初、まもなく「4.25」という敏感な日が近づいてくる時でした。邪党は大法弟子が北京への陳情に行くことを恐れ、各会社に対して「社内の人々を管理し、『門』を守るように」と命じました。その結果、現地の多くの大法弟子は公安局の警察によって不法に留置場へと連行されました。その日、私は仕事中でしたが、警察が職場に来て、「北京には行かない、陳情しない」という保証書を書くように求めました。私が拒否したため、留置場に連れて行かれました。

 当時、私がいた拘禁室には約十数人の大法弟子がいて、一般の人々を含めて約20人ほどいました。「5.13」が近づいているため、同修たちはどうやってこの神聖な日を祝うかを考えていました。当時、留置場では「割り箸の包装」作業が行われており、割り箸は赤いゴム手袋で束ねられて、大きなビニールの袋に入っていました。私たちはその場で使えるものを探しました。黄色い袋を見つけたので、それを洗って平らにして生地とし、そして、赤いゴム手袋を細く裂いて紐として使いました。

 夜、みんな休んでいる時に、同修たちにかばってもらいながら、黄色いビニールの生地に赤いゴム手袋の紐で「真・善・忍」の3文字を縫い付けました。数晩をかけて完成させた横断幕は、黄色い背景に赤い文字が映えて、とても美しかったです。留置場という環境で、小さいながらも横断幕を作ることができたことを、私たちは大変喜び、大切にし、貴重だと感じました。

 「5.13」が近づいてきました。その時の留置場の看守も法輪功が迫害されている真相を理解しました。大法弟子たちの他人への思いやり、面会に来た家族が届けてくれた食べ物や日用品を看守や拘禁されている常人たちに分け与えていたので、皆深く感動し、大法弟子が善良な人々であることを認識しました。そして、大法弟子が何か困難に直面した時、彼らも手を差し伸べてくれました。そうして、留置場の中は和やかな雰囲気に満ちていました。新たに入ってきた人が何も持っていないので、大法弟子たちは自分の食べ物や必需品を惜しみなく分け与えました。落ち込んで泣いたりする人がいれば、同修たちは親身になって慰め、法輪功の教えで相手を導き、徐々に悩みを解消させていきました。

 労働作業のない時は、学法します。常人たちも私たちと一緒に学びます。1人が『轉法輪』を読み(ある同修が常に持ち歩いている小サイズの『轉法輪』)、皆静かに聞きます。壁を向いて座っているため、監視カメラからも、看守からも何をしているのかは見えません。大法弟子が絶えず真相を伝えているため、皆真相を理解し、大法弟子たちが善良な人であることを知っています。新しく入った囚人に対しては、「法輪功の人に話を聞かせてもらいなさい」と警察が言うこともあります。時には私たちは煉功をし、常人たちも私たちに倣って煉功を始めます。ある農村の女性が、煉功中に小坊主たちが自分の周りを回っているのを見たと興奮して私に話してくれました。大法と縁があり、素質が良いと励ますと、彼女は家に帰ってちゃんと本を読むと言いました。

 このような環境で、「5月13日」を祝うと私たちが提案したとき、常人たちも皆、参加を望み、共に喜びました。看守の人たちも積極的に支援し、手伝ってくれました。皆、自分たちの果物やお菓子などを供え物として取っておきました。5月13日の前夜、全員冷たい水で身を清め、翌日のお祝いの準備をしました。

 そして、5月13日、朝食後、その日はたまたま労働作業がなかったので、皆で小さなテーブルを綺麗に片付け、用意していた果物やお菓子を並べました。そして、テーブルの前の壁には、「真・善・忍」と書かれた手作りの横断幕を掛けました。

 準備が完了した後、私たちは皆、整然と並び、常人たちも私たちと一緒に立ちました。当時の光景は、荘厳でありながらも神聖でした。その瞬間、ある同修が無意識に「普度」の旋律を口ずさみました。私は涙を止めることができず、同修たちの目にも涙が溢れているのを見ました。常人たちもまた私たちと同じく感動に打たれていました。

 涙をぬぐいながら、あらかじめ用意していた祝辞を取り出し、震える声で一節ずつ読み上げました……今は内容をあまり覚えていませんが、このような言葉があったのを憶えています。この日は、我々の偉大な慈悲深い師父の誕生日であり、創造主がこの世に降りた日であり、人類に光と希望を与えた日であり、佛光が世を普く照らす日です! 我々はこの特別な日を永遠に祝福し、忘れることはありません。

 その日、留置場にいた私たちは、まるで洗礼を受けたかのように心が清められました。牢獄にいるとはいえ、世界中の大法弟子たちと同じように、広大な佛光に包まれているのを感じました。

 今年も「5.13」が近づくにつれ、思わず留置場で過ごしたあの年の「5.13」を思い出します。あれから20年以上経ちました。迫害の中、師父の絶え間ないご加護のもと、私たちは今日まで歩んできました。師父が私たちと全ての生命のためになされた犠牲を思うと、その深い恩は言葉では表せません。「師恩への頌歌」を聞くたびに、涙があふれます。

 「誰があなたの心の痛みを理解し得るでしょうか。誰があなたの苦難を知り得るでしょうか。誰があなたが注ぎ込んだ心血を知り得るでしょうか。誰があなたが耐えた全てを知り得るでしょうか」

 「我々は衆生のためにここに来て、師が法を正すことを手伝うために苦難を恐れず、あなたは我々を連れて試練を越えさせ、嵐の中で、大法の尊厳を示しました」

 「天に響く賛美の声を聞いてください。永久の縁が天地に広がり、あなたは衆生を未来へと導き、大法の輝きが永遠に宇宙を照らし続けます」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/5/478057.html)
 
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