三回転んだ話
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年7月8日】私はかつて骨がん患者でした。生死の境をさまよっていた1996年に幸運にも法輪大法を修煉し、新たな命を得ることができました。私の家族、生徒、先生、友人たちは皆、大法の奇跡を目の当たりにしました。

 20年以上の修煉の過程で起こった奇跡は数多くあります。私が死の淵にいた重病人から、20年以上一錠の薬も飲まず、一銭も医療費を使わず、風邪もひかない、今では全く病気をしない健康な人間に変わったことだけでも大きな奇跡です。それに加えて、自己中心的で狭量で、争いを好み、些細なことで悩んでばかりいて器の小さい私を大法は、寛大で、他人に善意を持って接し、俗世間で汚染されず、神の道を歩む修煉者へと変えてくれました。これこそがさらに大きな奇跡です。法輪大法は私に人生の意味を真に理解させ、神仏の実在を悟らせ、天国へ帰る道があること、数多くの神話や伝説が決して虚構ではないことを教えてくれました。

 2009年の一年間に、私は三回転びました。筋や骨を傷めましたが、私は師父と大法を堅く信じ、病院に行かず、薬も飲まず、何の治療手段も用いずに、一、二日で奇跡的に治りました。これは現代科学や現代医学では永遠に説明できないことです。

 初めての転倒

 2009年9月19日、黄昏に近づいたころ、私は客人たちと川辺のレジャースポットに集まっていました。その時、不注意で転倒し、右の坐骨を骨折しました。瞬間的に激しい痛みに襲われ、警備員が私を起こしてくれました。私は急いで子供たちに「早く家に連れて帰って、煉功させて」と叫びました。娘は「ここにお客さんがいるんだから、ここでやればいい。誰も何も言わないよ」と言いました。それで私は周りを気にせずに煉功を始めました。集いが終わった後、家族が私を車に乗せて、自宅のあるコミュニティの入口まで送ってくれました。しかし、そのまま客人を見送りに行き、自分たちが戻るまで待ってといいました。私はしばらく待っていましたが、ふと思いました。「なんで彼らを待つ必要があるのか? 今日は、私は這ってでも自力で帰る」と決心しました。それで花壇を支えにして前に進み始めましたが、警備員に見つかり、2人の警備員に支えられて家に運ばれました。

 右半身はすぐに腫れて激痛が走り、横になるのも困難でした。右の臀部から胸部までひりひりと熱が出ていたため、再び煉功しました。椅子を支えにしてトイレに行き、横になったり起きたりするのも抱き枕を使ってゆっくりと行いました。一度起きるのに40分かかりましたが、私は「私は修煉者であり、動けないはずがない」という一念を持っていました。そして翌日には普通に生活することができたものの、椅子を支えにして歩く必要がありました。

 三日目の朝、私は同窓会に行かなければなりませんでした。以前に何度か転倒しても問題なかったので、家族も止めませんでした。しかし、家族は今回、私がどれだけ重傷を負ったかは知らなかったのです。皆が出かけた後、私は歯を食いしばってバッグを持ち、木の椅子を支えにしてドアの前まで歩きました。そして腹をくくって「今日は絶対に外に出なければならない。普段からみんなに大法の奇妙と超常さについてあれだけ話してきたのだから、今日は転んで来られないなんて言うわけにはいかない」と思いました。そこで私は椅子を押しのけ、バッグを持ち、一念を起こしました。「今日は絶対に外に出る!」

 しかし、椅子の支えがないと足が震え、歩き出せませんでした。その時、師父の教えを思い出しました。「「常人の心を放下して法を得れば即ち是れ神」(『洪吟』「衆生を広く済度する」)」。「私は法を得たのだから、神であり、神は歩けないはずがない。私は必ず歩ける、今日絶対に外に出る!」と自分に言い聞かせました。その一念で、突然一歩を踏み出しました。あまりに不思議で自分でも驚きました。「一歩歩けるなら、当然二歩も歩ける」と思い、少しずつ歩いてエレベーターに乗り込みました。エレベーターを降りたところで2人の警備員が駆け寄り、私を支えながら「どこへ行くのですか?」と聞きました。彼らに支えられると私は歩けなくなり、しかも激痛が走りました。「今日は同窓会があります。自分で歩くから支えないでください」と言いました。彼らは「歩けますか?」と心配しましたが、「歩けますよ」ときっぱり答えました。彼らは私が転倒するのを心配していました。私は「転ばないです、大丈夫です」と言いました。彼らは信じられずに見守っていましたが、ようやく手を放し、驚いて見ていました。その時、痛みはなくなりましたが、歩けなくなりました。「見ないで、各自の仕事をしなさい」と言うと、彼らは去りましたが、時折振り返って見ていました。私は壁や手すりを支えに少しずつ階下まで降りました。駐車場の警備員がまた支えようとした時、「支えないで、タクシーを呼んでください」と頼みました。タクシーに乗り込んだのち、傷ついた足を車内に入れる時、また警備員が手伝ってくれて、その度に激痛が走りました。不思議でした。

 集合場所に着くと、優しい運転手が、私が座席を支えにしてゆっくり車を降りるまで待っていてくれました。昔の同級生がちょうど私を待っていました。私は椅子を支えにして移動し、話し始めました。その日は一日中話をしましたが、痛みは全く感じませんでした。この機会にまた法輪大法について伝えることができました。

 夕食後、同級生たちと一緒に街角まで歩きました。歩くたびに激痛が走りましたが、なんとか歩くことができました。私は声を出さず、他の人にも気づかれませんでした。不思議なことに、次々とタクシーが私の乗車を拒否しました。それでも悟らず、タクシーで帰ろうと固執していました。後で分かったのは、師父が私を自力で帰らせようとしていたのです。

 二度目の転倒

 前回の業力の除去が終わった直後、また転倒しました。

2009年10月14日の夜、家で一人でベッドの片付けをしていました。夏用の接触冷感シーツを普通のシーツ変え、床を掃除している時に床が濡れていました。そこで滑って床に倒れ、尾骨を骨折してしまいました。立ち上がれず、息子に電話しました。息子が駆けつけて私を抱き起こすと、私はすぐに煉功しました。前回と同じように痛みが走り、一回起き上がったり横になったりするのにまた数十分かかりました。しかし、前回の経験があったので、「前回は翌々日に出かけたので、今回は翌日すぐに出かける」と決心しました。

 ちょうどその夜、妹が病気になり、救急車で市内の病院に運ばれました。翌朝、病院に妹の見舞いに行きました。ついでに何人かの友人たちにも会い、法輪大法について伝えました。和やかに談笑しました。私が重傷を負っているとは誰も知りませんでした。私は何事もないように振舞っていました。家に帰っても、起き上がったり横になったりするのがやはり痛くて大変でしたが、「立ち上がれれば、歩いでかける」と思っていました。

 翌日、非合法に法廷尋問を受ける同修を支援するために発正念するため、私たちは早朝のバスに乗りました。揺れるバスの中で、私は尾骨の骨折した部分を大きな手が支えているのを感じました。痛みはありましたが、我慢できる程度でした。

 この消業もすぐに過ぎ去り、重傷の骨折が治療を受けずに翌日には歩けるようになるなんて、常人には考えられないことです。妹も同じように尾骨を折りましたが、一年近く寝たきりで痛みが続きました。大法には常人を超えた神力があるのです!

 三度目の転倒

 2009年11月14日、家族と一緒に公園の入口にあるレストランへ麺を食べに行きました。そこで、約1メートルの高さの段から側面に転倒してしまいました。周囲の人々は驚き、「救急車を呼べ!」と叫びました。皆が私が年配者であることを目にして、きっと大けがをしたと思っていました。私は身を起こして座り、「大丈夫です!」と言いました。家族も「大丈夫です」と言いました。しかし、周りの人たちは理解できず、息子を責めました。「こんなに年をとっているんだから、きっと何かあるはずです。転んだ時は痛くなくても、後で痛くなるかもしれないから、少なくとも病院で検査を受けて、骨に異常がないか確認するべきです」と言いました。それでも私たちは「大丈夫です」と主張し、私はすぐに起き上がって公園の中へ歩いて行きました。数人の親切な人が後ろからついてきて、「お婆さん、やっぱり一度検査を受けた方がいいですよ。少なくとも家に帰って薬酒や紅花油を塗るべきです」と言いました。私は「大丈夫です。なぜなら私は修煉者ですから」と答えました。すると、皆は「そうなんですね」と納得し、それ以上は何も言いませんでした。

 子供たちは私を親戚の家に送りました。親戚が私と一緒に半日歩きました。私は骨が刺すような痛みを感じましたが、歯を食いしばって歩き続けました。

 三回転倒しました。最初は二日後に外出し、二回目は一夜明けて外出し、三回目はすぐに起きて歩きました。この過程で、私は恐怖心、歓喜心、顕示心、事を試行するなどの人心を修めました。師父と大法を信じること、正しい念をもって正しく行うことこそが修煉者の状態であり、神の奇跡をもたらすのです。師父の慈悲深い保護と救い済度に感謝します。

 (編集担当者:瀋明)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/12/478269.html)
 
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