自惚れ、自己中心を取り除く
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文/山東省の大法弟子  

 【明慧日本2024年8月12日】私は1998年に法輪功を学び始めました。当時の私はまだ19歳でしたが、法輪功は素晴らしいと言う事を知っていました。しかし、精進して修煉していなかったため、大法の修煉について理性的に認識することができませんでした。その結果、20年以上も修煉を中断してしまい、2020年に病気をきっかけに再び大法に戻り、初めて真剣に修煉を始めました。この体験談を書いているこの瞬間、私は涙が止まりませんでした。なぜなら、師父が弟子に何を与えてくださったのか、そしてこの世に生まれた意味を本当に理解したからです。今の私の気持ちをどう表現すればよいのかが分かりません。私は精進していない弟子ですが、最近悟った法理を同修の皆さんと共有したいと思います。

 修煉をするにつれて、私は少しずつ法理を理解するようになりました。私は、内に向けて探すことが鋭い剣のようで、心の中の妖魔鬼怪を切り払うことができると悟りました。しかし、次第に自分の心が膨らんでいき、自分がうまく修煉できていると感じ、内に向けて探すことができると自負するようになりました。この自惚れの心が、すべての功績を自分のものとしてしまいました。表面的には穏やかに見えても、根底では自惚れ、不満が募り、普段から気が強い口調で話し、自己主張が強く、自惚れが募ると魔性が爆発し、普段から高圧的で、人に口を挟ませず、一言でも言われると怒りが爆発するようになりました。

 しかし、私はある火災を引き起こすことによって、自惚れと魔性の恐ろしさに気づかされました。この火災は、私がストーブを使っていた時に炭灰が少しこぼれたことが原因で、気にも留めなかった結果、大災害になりかけました。火を消すのに10トン以上の水を使いました。自分自身の損失は大きくありませんでしたが、隣人の家の物が多く焼け、壊われました。ある同修は私のことを、物事をダラダラと行い、性格が大雑把で、何事もいい加減にし、忘れっぽく、せっかちで、手際が悪いと指摘したことがありますが、私はこれを自分の天性だと思って重視せずに、自分を修めてそれらを改善しようとは思いもしませんでした。

 しかしこの火災は、私に修煉の厳粛さを真に感じさせてくれました。この火災は無関係なものではなく、私が修煉の中で自惚れの心を深く掘り下げず、これくらいでいいと思っていたために起こったことであり、自分の修煉に対して無責任であったため起きたことだと悟りました。また、この火災が起きたのは、自分の心の中で火が燃え上がり、それを抑えずに放置し、魔性を出させてしまったためだと悟りました。自惚れを取り除かないと魔性が現れ、魔性を取り除かなければ善が現れることはありません。

 自惚れと魔性があると、自己の固守するものに触れた時、他人の感情を考えず、大声で叫んだり、不親切な口調で相手を責めたりして相手に苦痛を与えます。それは自分の欲望を満たすための自己中心的な行動の現れです。

 自惚れと魔性は密接に関係しており、燃え盛る大火のようになって善念を焼き尽くし、修煉者を破壊へと導きます。旧勢力は精進していない人の心を利用して魔性を強化し、これが自惚れとなり、自滅の原因となります。これらの人心が取り除かれないと、様々な形で現れ、時には常人の中で、時には修煉者の中で、時には自分が「強い」と思い込んでいるところで表れます。

 自惚れ、自己中心的な態度は、他人を見下すこと、自分を高く評価し他人を低く評価すること、意見を聞かずに自分の判断で物事を決めること、自己中心で他人の為であることを口実に他人を責めること、高圧的に他人を抑え込むこと、さらには他人に強要すること、他人が自分ほど理解していないと思い込み、誇示し、話を奪い、議論し、不適切な言葉で同修を褒めることなどの行為から現れます。そして、魔性が爆発すると、苛立ち、憎しみ、大声で叫び、ヒステリックになることもあります。

 今後は、私は厳しく自分に要求し、本を読み法に溶け込み、誓約を果たして、師父と共に家に帰りたいと思います。

 不適切な点があれば、同修の皆様の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/18/478377.html)
 
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