文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月14日】私の母は今年87歳です。都会で一人暮らしをしていますが、健康状態も良く、経済的にも自立しています。私はよく家事を手伝っていますが、最近、母の家に行くたびに、母は叔母・麗麗さん(仮名)のことで愚痴を言います。私は「叔母は田舎に住んでいて、田舎の人の生活は楽ではない、些細なことで怒ってはいけない」と言って母をなだめようとしますが、母は怒り、愚痴を言い続けるのです。
ある日、私が母の家に行くと、叔母がいました。私は新しい靴下を2足取り出し、叔母に1足選んでもらいました。叔母が柄のある方を選んだちょうどその時、母が台所から出てきました。叔母の手から靴下を奪い取って、自分も欲しいと言いました。私は母の態度が気に入らず、理不尽だと思いました。
私は、母の態度が自分の内面を見つめる機会だったことに気づきませんでした。私はいつも母が間違っていると思い、見たことを自分の心性の向上に役立てませんでした。
数日後、兄から電話があり、母が病気になったと聞きました。夫と私はすぐに母に会いに行きました。母はベッドに横たわり、ずっと気分が良くなったと言いました。めまいもなくなり、血圧も下がっていました。母は、これは叔母のせいだと言いました。
事情の経緯はこうなります。前日、叔母が母に電話をかけてきて、一番下の叔父・健さん(仮名)の家を訪ね、10日間以上滞在したと伝えたそうです。また、叔母は母に、一番上の娘の結婚行事に出席するよう頼んだと言いました。電話の後、母は「麗麗(叔母)は健の家で10日間もただで飲み食いをしたのに、どうして早く私を呼ばなかったのだろう? しかも、祝儀を出さないといけない」と怒りました。母は損したと思い、一晩中眠れず、その結果体調を崩しました。
私は母の理不尽な行動を見て、ようやく自分の内面を見つめ始めました。なぜ母はいつも私の前で不平を言い、恨みを露わにするのでしょうか。実は、私も母に対して恨みを抱いていました。母は理不尽で、許しがたい人だと思っていました。母は、中国共産党の言うことをよく繰り返します。テレビの嘘を信じないようにと毎回言っていますが、母は聞く耳を持ちません。
私は母の心が狭くて、けちだと軽蔑していました。これは私の嫉妬の表れではないでしょうか。私はまた、自分の利己心への執着も見ています。私は自分の良いことを聞くのが好きです。私は考えました。これらの人間の考えは、私の本当の自分ではないので、私は排除しなければなりません。
私がこれらの執着を手放すと、母は叔母について文句を言わなくなりました。私は、他人の欠点に気づいたら、すぐ内に向かって探すべきだと気づきました。
夫とその家族は、よく他人の悪口を言います。私自身を振り返ってみると、他の修煉者の陰口を言ったりすることに気づきました。修煉者が私を褒めてくれたとき、私は自分を見つめ直し、たいていは私も誰かを褒めていたことに気が付きました。お金に執着すると、他の修煉者がどの店でセールしているか教えてくれます。また、恐怖心が生じるたびに、住宅地の駐車場に不審な車が停まっているのが見えました。
修煉において偶然は何もないこと、私たちの周りで心性を修めるのを助けてくれるものはすべて良いものであり、修煉を助けてくれるということを私は今悟っています。人間の観念が浮かぶたびに、私たちはそれを見抜いてそれに同調しないようにし、正念でそれを見て排除すべきです。
私は深く掘り下げてみると、人間の観念の背後に利己心があることが分かりました。修煉者は常に他人を第一に考え、新しい宇宙の利他的な基準に到達する必要があります。私は常に自分を正し、師父が私のために用意してくださった道に従うことで、人間的な執着心をすべて取り除くことを決意しています。
個人的な理解ですので、不適切な点がありましたら、同修の慈悲なる指摘をお願いします。